おてらおやつクラブ「夏のおすそわけ」

ありがたいことに、夏のお盆の期間、お檀家さまから「仏さまに」と多くの御供物をいただきました。これらにくわえ、お寺で別に用意したとあわせて、おてらおやつクラブのHPを通じて、必要とするひとり親家庭にお届けしました。

「おてらおやつクラブ」は、お寺にお供えされるさまざまな「おそなえ」を、仏さまからの「おさがり」として頂戴し、子どもをサポートする支援団体の協力の下、さまざまな事情で困りごとを抱えるひとり親家庭へ「おすそわけ」する活動です。奈良の浄土宗のお坊さんが始めた活動ですが、現在では全国1900か寺に広がっています(詳しくは【こちら】をご覧ください)。

今から23年前、浄土宗が21世紀を迎えるにあたって、すべての人びとの幸せを願って誓った「劈頭宣言」の中には、家庭にみ仏の光を 社会に慈しみを という一文があります。

寺院として浄土宗の教えを広めるだけでなく、阿弥陀様の慈悲のみ光が多くの方に届くよう、そして慈しみの心が社会に広がるよう実践してまいります。

南無阿弥陀仏

令和5年度 盂蘭盆会・新盆家回向法要をおつとめしました

8月13日18時30分より、令和5年度盂蘭盆会および新盆家回向法要を行いました。新型コロナウイルスも5類に移行しましたので、今年は4年ぶりに新盆家以外檀信徒の方も参加できるよう、従来通りの形での法要となりました。

オンラインでの配信は行わず対面のみでの開催でしたので、どれほどの方がお見えになるか心配でしたが、当日は新盆家以外の方もお参りにお越しくださり、本堂にはお念仏の声が響きました。

さて、お盆は「盂蘭盆」(うらぼん)の略語といわれています。『盂蘭盆経』には、今日のお盆の風習につながる以下の様な逸話が説かれています。

お釈迦様の弟子のひとりに、神通力を持つ目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。ある日、亡き母がどうしているかと、神通力を使って母親の姿を探したところ、餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに苦しむ母親の姿が見えました。神通力で食べ物や飲み物を届けようとしますが、母親の元に届く前に火に包まれてしまい、母親を助けることはできません。何とか救いたいと願った目連尊者は、師匠であるお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、雨期に行われる修行を終えた修行僧であればその徳をもって母親を救えるかもしれない、したがって彼らに食べ物や飲み物をささげるよう目連尊者に告げました。そして、修行僧たちにもまた、この施しを受ける際には、施主家の七代の父母のために祈りを捧げるようにと伝えました。目連尊者はその通りに修行僧たちを供養し、その功徳によって目連尊者の母親は餓鬼道から救われました。

この逸話をもとに、当山では毎年8月13日に盂蘭盆会を厳修し、とくにその年に初めてお盆を迎える新しい仏様の供養をねんごろに行っています。また、新盆家には目連尊者のように、飲み物をご寄進いただき、袋詰めしたあと、参加者一人ひとりにお渡しし、供養のための施しをしていただきました。

暑い中、法要にご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。

南無阿弥陀佛

お盆は7月?8月?

今年もお盆の季節がやってきました。
法源寺のある岳南地域(富士・富士宮地区)は8月にお盆を迎えますが、静岡や沼津などは7月にお盆を迎えます。東京などの大都市も7月が多いかと思います。

「なぜ7月と8月にお盆がわかれるのか?」と思う人もいるでしょう。
これは新暦(7月)でお盆を迎えるか、旧暦(8月)でお盆を迎えるかの差によります。

さかのぼること150年前、明治5年(1872年)に明治政府はこれまで使われていた天保暦(旧暦)をグレゴリオ暦(新暦)に切り替えました。西洋列強との交流が増える中で、カレンダーを揃えなければ不都合が生じるから、というのは表向きの理由で、本当の理由は財政難の打開策だったとも言われています。

明治政府は、グレゴリオ暦1873年1月1日にあたる明治5年12月3日を、明治6年1月1日と定めました。これにより、12月はわずか2日となり、官僚の給与の支給をせずに済んだようです。

それだけではありません。旧暦のままでは明治6年は閏月がある年にあたります。つまり、1年13か月の年です。

それまで採用していた天保暦は、月の満ち欠けを基準として、ひと月の長さを決めていました。 そのため、当時は、小の月が29日、大の月が30日で、ほぼ交互に並べて一年を数えていました。現在のグレゴリオ暦は、2月を除けば、小の月が30日、大の月が31日ですので当然ながらずれが生じます。旧暦の1年はおよそ354日となり、現在の1年より11日ほど短くなってしまいます。そこで、約3年に1度、「閏月」を作り、1年13か月となる年を設けてずれを調整していました。

天保暦のまま明治6年を迎えると、給与の支給も13か月分必要になります。ここで、新暦に切り替えることで、明治5年の12月分の給与だけでなく、明治6年の閏月分の給与も支給せずに済むことになります。政府としては、2か月分出費を節約できます。こうした事情があったからこそ強引に改暦を行ったのではという話もあります。

話を戻しましょう。

いずれにせよ、明治の改暦によって、明治5年の12月がほとんどまるまるなくなりましたので、新暦と旧暦には1か月の差が生まれました。これが7月盆(新暦)と8月盆(旧暦)の差になります。

では、7月盆の地域と8月盆の地域の違いは何によって生じるのでしょうか?

それは当時の人々の生活基盤(職業)が何だったかによります。都市化が進んでいた地域では、人々の生活基盤が農業以外の他の産業に開かれていました。一方、そのほかの多くの地では農業が主要産業です。

暦が変わったからといって、作物がひと月早く植え付けられるわけでも、収穫が早まるわけでもありません。自然は人間の物差し(暦)とは別に、あるがまま進みます。したがって、いくら7月にお盆を移したからといって、農繁期であれば手が回らず、供養も十分できるものではありませんでした。そこで、従来通りの時期(8月)にお盆を迎えるようになったのです。

たしかに、大正9年(1920年)の第1回国勢調査では、静岡市で農業に従事している人はわずか2.4%であるのに対し、富士郡(現在の富士市・富士宮市)は58.8%と、圧倒的に農業従事者が多く居住していることがわかります。一方、商業、公務・自由業など、現在でいう第三次産業にあたる職業従事者の割合は、静岡市が52.3%であるのに対し、富士郡は16.3%です。農業従事者が少ない静岡市では、農繁期に縛られず、早々に7月盆に切り替得ることができたのも納得です。

こうして地域の人々の暮らしに合わせ、お盆の供養は営まれてきました。しかし、時期はずれようと、先祖を供養する想いは変わりません。暑い日が続きますがどうぞご自愛いただき、ご先祖様の里帰りを皆様でお迎えくださいませ。

また、当山では毎年8月13日18:30より、お盆の法要を本堂にて行っています。新盆家だけでなくどなたでも参加できますので、ぜひ涼しい格好でお参りにお越しください。

南無阿弥陀仏

【8月の言葉】涼しさ奏でる鈴の音

暑い中に吹くひとときの涼風は、「極楽の余り風」とも
呼ばれます。頬をなでるやさしい風は、
ご先祖さまからのエールかもしれません。
On hot days in the summer, refreshing
breezes from the Pure Land come to cool us.
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浄土宗月訓カレンダーの8月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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暑い夏がやってきました。動いてなくても汗ばむ季節です。
日本では音で涼をとる風習がありました。軒下の風鈴はその最たる例です。
チリンという音がすれば、「あ、風が吹いた」と耳で感じ、風情も感じられますよね。
しかし、最近では、その暑さゆえ窓を閉め切ってエアコンで涼をとることの方が多いように思います。

さて、浄土三部経の一つである『阿弥陀経』では、美しい極楽浄土の様子が描かれています。あちらこちらにきらびやかな装飾が施され、さまざまな色をした蓮華が池に浮かんで咲きほこっています。絶えず美しい音楽が流れ、素晴らしい鳴き声の鳥が生息し時折さえずる、といった具合です。

その中に、「彼の仏の国土には微風吹動し、諸の宝行樹及び宝羅網微妙の音を出す。譬えば百千種の楽を同時に倶に作すが如し。是の音を聞く者は皆自然に念仏・念法・念僧の心を生ず」という一説があります。

簡単に現代語訳をすると以下のようになるでしょう。

極楽浄土で吹くそよ風がさまざまな宝でできた樹木や飾り具を動かすたびに、美しい音色をたてる。まるで百千もの楽器を一度に演奏したようで、この音色を聞く者は、自然と仏を念じ、法を念じ、僧を念ずる心が生まれる

酷暑の中、そよ風が吹き、涼を覚えれば、「あぁ、ありがたい」「あぁ、気持ちがいい」と感じることでしょう。「地獄に仏」とはまさにこのことですね。

でもひょっとしたらその風は、極楽浄土からのご先祖様のお便りなのかもしれません。うだる暑さで「大丈夫かい?」「無理してないかい?」という子孫を気遣う声なき声かもしれません。

涼しさ奏でる鈴の音

さて、まもなく棚経が始まります(日程は【こちら】から)。

檀信徒の皆様のお宅では、お仏壇の鈴(リン)の音が響くことでしょう。風鈴とは異なりますが、こちらもまた、ご先祖様をお迎えするために欠かせないものです。涼しい風を感じたら、ご先祖様のお便りだと思って、お仏壇の前で「お返事」をなさるとよいかもしれません。

どうぞ、鈴を打ち、十遍のお念仏をお唱えして、今年の夏のご報告をなさってください。

南無阿弥陀仏

中島地蔵尊祭礼

7月22日、中島地区の地蔵盆の祭礼が行われ、同地区の地蔵堂にて祈願法要を行いました。

中島の地蔵尊の祭礼は、篤信の檀家様によって昭和6年この地を法源寺の飛び地境内にご寄進いただいたことに端を発します。以来、90年余にわたって、この地で子供の成長を見守る、子育地蔵として信仰を集めてきました。

毎年、地蔵盆の時期には祭礼が行われ、神輿渡御や太鼓の奉納が行われます。また、地蔵堂脇にはステージが設けられ、カラオケ大会が催されるなど地域の方々にとっての楽しみとなっているようです。

今年はコロナ禍明けということで、実に4年ぶりの完全開催となりました(それまでは祭礼だけで神輿や太鼓などはありませんでした)。

きっと多くの人が待ち望んでいたことでしょう。

こうした地域行事は子供や大人が顔を合わせる機会となり、自然と地域のつながりが生まれてくる仕掛けになると思います。

中島地蔵尊の祭礼を通じて、地域の皆さんがつながるきっかけとなれば、きっと祀られているお地蔵さまも喜ばれるに違いありません。

後世まで守っていきたい風習ですね。

南無阿弥陀仏

令和5年棚経のご案内

お盆にあたってご先祖を迎えるための仏壇でのご供養を棚経といいます。わずか10分ほどの短い読経ですが、ご家庭のお仏壇でご先祖様をお迎えする大切な供養ですので、どうぞご自宅で一緒にお参りいただけましたら幸いです。

新暦のお盆は7月、旧暦のお盆は8月という具合に時期がずれますが、富士・富士宮では8月にお盆の棚経に参りますが、静岡や沼津は7月盆にそれぞれお参りいたします。富士・富士宮地区は以下のように回ります。どうぞご予定のほどよろしくお願いいたします。

なお、新型コロナウイルスが5類感染症に移行したとはいえ、心配な方もいらっしゃるかと思います。その際は遠慮なくお寺までお知らせください。寺院本堂での回向をいたします。

南無阿弥陀仏

墓地の掃除をしました

まもなくお盆の季節がやってきます。

昨日は、観音講にいらっしゃる方々にお手伝いいただき、みなさんが気持ちよくお参りできるよう、お墓の掃除をいたしました。

この時期の雑草は勢いがちがいます。まさに雨後の筍のごとく、取っても取ってもたくましく生えてきます。この暑い最中に、墓地境内の掃除・草取りをお手伝いくださった皆様に心より感謝申し上げます。

お寺に来た時、境内がきれいに保たれていると、「よし、うちのお墓もきれいにしよう」ときっと思われるでしょう。そして、「またお参りに来よう」という気も起きるのではないでしょうか。

寺院の境内が清浄であるのは、こうして支えて下さる方々の力があってこそです。こうした「見えない力」に思いを寄せながら、きれいになった墓地をゆっくりお参り下さい。

南無阿弥陀仏

お手伝いくださった皆様、ありがとうございました

【7月の言葉】当たり前と思うあやうさ

多くのつながりに支えられている日常。
当然と思っていると、
思わぬほころびにつながることも。
Be aware that every day consists of delicate balancing.
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浄土宗月訓カレンダーの7月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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「当たり前」の対義語は何でしょう?

「有り難い」です。めったにないという意味ですが、感謝を伝えるときに口にする「ありがとう」の語源でもあります。

そう、私たちは日常の生活がいつでも変わらずそこにあるものと思い漫然と過ごしています。ひとたび、病気になったり、怪我をしたりすると、健康でいることの有り難さをヒシと感じるわけですが、のど元過ぎれば何とやらで、身体が回復すれば元気でいることが当たり前と思い、また不摂生な生活に戻ってしまいます。

健康だけではありません。
こうして生を受け、今ここにあること自体も当たり前と思っています。

地球に生物は約175万種いるといわれています。そのうち、ほ乳類は6000種。数ある生き物の中で、ほ乳類に生まれてくることも大変ですが、ほ乳類の中で人間として生まれてくることはさらに大変です。単純に計算すれば6000分の1ですから、0.017%ということになります。

そう考えれば、まず人として生を受けること自体が極めて有り難いことであると気づくのではないでしょうか。

『華厳経』の中に、三帰依文と呼ばれる一説があります。お釈迦様の時代から、仏・法・僧に帰依する、すなわち仏道に入門しようと決意した弟子が唱える経文として知られています。

人身受け難し、いますでに受く。仏法聞き難し、いますでに聞く。
この身今生において度せずんば、さらにいずれの生においてかこの身を度せん。
大衆もろともに、至心に三宝に帰依し奉るべし

この世に、人として生を受ける有り難さは先ほど述べた通りですが、人として生まれた中で仏教に巡り合える人はどのくらいでしょうか。現在の世界の人口は約79億人といわれています。世界の仏教徒人口は約5億人ですから、世界の総人口の6%ぐらいにあたります。

世界の仏教徒はスリランカ、タイ、ミャンマー、中国、韓国、台湾など日本以外にもいますが、日本だけでは8000万人くらいといわれています。79億分の8000万ですから、確率的には1%を若干超えるくらいです。

このなかで、浄土宗の教えに出会える人はどのくらいでしょうか…。さらに少なくなることは間違いありません。こう考えると、仏教、ましてや浄土宗の教えに出会えることもまた極めて有り難いことであると気づくでしょう。

こうして、希少な確率として人として生まれ、なかなか出会うことない仏教の教えに触れたのだから、この世でさとりを得るよう努力しなければ、次はいったいいつこのような機会に恵まれるだろうか。心から仏法僧に身を任せ、仏道修行に励みましょう。というのが『三帰依文』の趣旨です。

当たり前と思うあやうさ

仏教徒であること、菩提寺があること、先祖のお墓があること、どれも当たり前ではありません。そして、それらは自分一人でなしえたことではなく、先人たち、そして、周りの人たちとの縁によってもたらされた部分が大きくあるのではないでしょうか。

普段身近にあること、変わらないと思っていることに有り難味を感じることは少ないかもしれません。毎日とはいいませんが、たまにはその「当たり前」がどのように成り立っているのか、誰によって支えられているのか思いを巡らしてみると、物事に対して別の見方が出てくることでしょう。有り難味に気づくと、自然と感謝の念も湧き上がってきますよね。

まもなくお盆の季節がやってまいります。
みなさんがここにこうしている「有り難さ」を、ぜひご先祖様にもお伝えください。

南無阿弥陀仏

じゃがいも収穫しました

東海地方は梅雨入りしたようですが、大雨が降ったかと思えば、真夏日に近いピカピカの晴れ日が続いたり、体調管理にも気をつかう今日この頃です。

さて、法源寺農園部では梅雨入り前の5月末にじゃがいも掘りをしました。昨年の反省を生かし、おかげさまで豊作となりました。参加者一同で分け合うだけでなく、いつも活動を見守ってくださる近隣の方にもおすそ分けし、喜んでいただきました。

翌週は、じゃがいもを栽培していたところに枝豆を植え、ミニトマトの雨よけも設置しました。もともとトマトは中南米の高地が原産地で、乾いた環境を好む野菜です。雨水が急激に根から吸収されると、実にヒビが入ってしまうので雨よけが必要なんだとか。自然を相手にすると、学ぶことがたくさんありますね。

ここ数回は、若者たちだけでなく、お檀家さん、ボランティアの方々も参加してくださり、社会参加の場としても農園部の活動が定着してきたように思います。最近は、一人で畑に来て「草とりしておきました!」と連絡をくれる若者も現れるようになりました。皆が喜ぶようにと思ってのこうした行動は、本当に嬉しいものです。

法源寺農園部の畑は、細い路地に面した場所にあります(お寺からは徒歩1分です)。車は通れませんが、地域の方が抜け道としてよく使います。地域の方々もこの路地を通るたびに声をかけて下さり、地域内での認知度も上がってきたように思います。

こうして、身体を動かす喜び(農作業)、成果を得る喜び(収穫)、他者と交流する喜び(挨拶&声掛け)を体感することは、いずれ社会に出ていく若者にとって大きな後押しになることでしょう。趣味に毛が生えた程度のわずかな農園部の活動ですが、生きづらさの解消に少しでも役立つことができたら野菜の収穫以上の大きな成果ではないかと思います。

これからも応援よろしくお願いいたします。

南無阿弥陀仏

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

【6月の言葉】こころ耕す なむあみだぶつ

往生を願い、お念仏をとなえ続けるなかに、
阿弥陀さまや極楽浄土への想いは自然と育まれます。
Each time you chant nembutsu, your faith in Amida Buddha deepens.
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浄土宗月訓カレンダーの6月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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浄土宗では「なむあみだぶつ」ととなえることが大切と説きます。
「なむ」とは「帰依する」という意味で、わかりやすくいうと「お任せする」「お願いする」ということです。「あみだぶつ」とは阿弥陀仏のこと、すなわち、私たちを西方極楽浄土へ救い取って下さる如来さまのことです。つまり、「なむあみだぶつ」ととなえることは、「あみださまどうぞお願いします」という私たちの救いを求める願いを形(言葉)にして、阿弥陀さまに届けるものです。

今でこそ「念仏」といえば、この「なむあみだぶつ」と声に出してとなえることを指しますが、声に出すことを勧めたのは浄土宗を開いた法然上人で、それ以前は心に仏の姿を想い浮かべる観想念仏(かんそうねんぶつ)が主流でした。では、法然上人は、なぜ声に出す念仏を推奨したのでしょうか?

それは、いつでも、どこでも、だれでもできるからです。

観想念仏を行うには、まず思い浮かべる仏の姿を知っていなければいけません。それは、阿弥陀経などの経典に書かれていますが、経典を読んで理解できるのは、貴族や僧侶など一部の人だけでした。

そして、仏の姿を知っていても修行に集中できる環境がなければ実行することはできません。その日その日の暮らしにあくせくしている一般民衆にとって、日常を離れて精神集中できる場や時間を確保するのは難しいことでした。

法然上人自身は、比叡山で智慧第一の法然坊と呼ばれるほどの秀才でしたから、経典の内容も理解していたでしょう。また、比叡山は修行道場ですから、生活の糧の心配をせずに修行に打ち込むこともできたでしょう。しかし、観想念仏のみを往生の行としてしまえば、これを行えない一般の人々は、仏の救いに与れないことになってしまいます。ですので、「念じることは声に出すことと同じ」と解釈し、より簡単な声に出す念仏を勧めたのです。

さて、法然上人が亡くなる二日前に遺したとされる『一枚起請文』には、以下の一節が出てまいります。

ただし三心四修と申すことの候は、皆決定して南無阿弥陀仏にて、 往生するぞと思う内にこもり候なり。

三心(さんじん)とは、噓偽りの無い真の心(至誠心)、自身の至らなさを自覚し仏さまの救いを深く信じる心(深心)、極楽浄土へ往生したいと願う心(回向発願心)の三つの心のことを言います。四修(ししゅう)とは、仏さま対していの心を持つこと(恭敬修)、お念仏以外の諸行を修めないこと(無余修)、忘れずに念仏をとなえること(無間修)、念仏の教えに帰依(したら臨終のときまで念仏を怠らないこと(長時修)の四つの実践態度のことを言います。

つまり、念仏を漫然ととなえるだけでなく、こうした心構えや態度が必要だというのです。これはちょっと難しそうですね。でも大丈夫です。これらさえも、となえているうちに自然とそなわっていくんだというように説かれています。難しく考えずに、まずは実践せよ、ということですね。

こころ耕す なむあみだぶつ

ひとたびなむあみだぶつととなえると、私たちのこころは耕され、仏様のことや仏教のことを大事だと思える種が芽吹きやすくなります。「こころ耕す」とはそういう意味でしょう。

私たちは、何をするにも「これをするとどうなるのか」、「どのくらいすればいいのか」など頭で考え、メリットとコストを比べて功利的に行動をとりがちです。

しかし、やってみることで新たな気持ちが芽生えたり、心持ちが変わったりして、さらに私たちの行動に影響を与えることもしばしばあります。人生の豊かさは、コスパ(コストパフォーマンスの略)だけでは測れない、そうしたところにあるのではないでしょうか。

ぜひ、法事や墓参の際には、大きな声でなむあみだぶつとおとなえください。気持ちや行動に変化が現れるかもしれません。

南無阿弥陀仏

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