お地蔵さんの前掛けはなぜ赤い?

7月20日、中島地区にある子育地蔵尊の祭礼で、子どもたちの健やかな成長を願う法要を行いました。

中島地区は法源寺から1㎞ほど離れたところにありますが、この子育地蔵を安置するお堂とその境内は、法源寺の飛び地境内になっています。この地蔵尊とのご縁は、時を遡ること昭和6年、当地区住まいの檀家さんが自宅に安置していた地蔵菩薩を祀るため、宅地及び堂宇を菩提寺である法源寺に寄進されたのがきっかけとうかがっております。

以来93年にわたって、中島子育地蔵尊は地域の子どもの守り仏として大切に祀られ、代々法源寺の僧侶が縁日に御祈願のお参りをしてきました。また、この日にあわせてお祭りが行われ、神輿や太鼓が町内を巡回します。

法要後の法話では、なぜお地蔵様の前掛けは赤いのか?というお話をいたしました。

そもそも前掛けは赤ちゃんの象徴です。お不動様、観音様、阿弥陀様、御薬師様、様々な仏様がいらっしゃいますが、前掛けをしているのはお地蔵様だけです。

お地蔵様はつるんとした頭から赤ちゃんの姿を連想させます。昔は幼くして亡くなる子どもも多く、その菩提を弔うために地蔵菩薩を造立する方も多くいらっしゃいました。幼き子どもに着せる前掛けや頭巾をつけることで、我が子の極楽往生を願ったのです。そこから転じて、残された子どもの健やかな成長を見守る仏様となりました。

そして、太陽や血の色を連想させる赤は、古来より魔除け、厄除けの色として宗教的な意味を持ち、使われてきました。神社の鳥居も、還暦のちゃんちゃんこも赤色ですね。これも汚れを祓う、災いを遠ざけるという意味を持っています。

子どもの厄を除け健やかな成長を願う姿として、お地蔵様は赤い前掛けをしているのです。

でも、そうしたお地蔵様が地域にあることで、皆が集い、交流し、大人が子どもの成長を見守る場ができる。そのことこそお地蔵様の何よりの功徳ではないでしょうか。

いつの時代も子どもたちが笑って元気に過ごせる社会になるよう努めてまいりたいものです。

南無地蔵尊

梅雨はいずこへ?

連日、暑い日が続きますね。梅雨明けはまだだったと思うのですが…

こうした暑さにも負けず、法源寺農園部は元気に活動しています。
畑の雑草がすくすく育ってしまっていましたが、先日草刈りをし、ずいぶんと畑の見栄えが良くなりました。若者たちが頑張ってくれたおかげで、花壇やサツマイモの畝の間もきれいになりました。

夏野菜も順調に育っています。今年初めて挑戦する大玉トマトも実をつけ始めました。あとはうまく熟してくれることを願うばかりです。

緑のカーテンでよく知られるゴーヤも、農園部の看板(フェンス)に茂り、可愛い実をつけています。たくましいですね。

野菜たちに見習って、暑さに負けぬよう頑張りたいと思います!

みなさまもどうぞ暑さ対策を忘れずにお過ごしくださいね。

南無阿弥陀仏

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

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【7月の言葉】周りを照らす人になろう

やさしい言葉やなごやかな表情などのささやかな心配りでも、接した相手には伝わります。
それは周りの人の笑顔にもつながっていくはずですよ。
Be someone who helps others.
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浄土宗月訓カレンダーの7月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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今回はお布施のお話をいたしましょう。

「布施」というと「葬儀や法事の際にお寺やお坊さんに渡すお金のこと」と思われる方も少なくないでしょう。本来の布施にはもう少し深い意味があります。

布施には、財施(ざいせ)法施(ほうせ)無畏施(むいせ)の3つがあります。

財施は、現代の「お布施」のイメージに最も近いかもしれません。お金や物品を必要としている人に提供をすることです。しかし、大事なのはその際に見返りを求めないこと。“これをしてくれたのでいくら払う”といったようなサービスの対価ではありません。

法施は、仏法を説くことです。つまり、仏様の教えを未だに知らない人に伝えることで、説法や布教がこれにあたります。もちろん直接的な言葉以外にも、姿勢や行動で仏教の教えを伝えることも法施に含まれるといってよいでしょう。

そして、無畏施とは、不安や恐怖を取り除き、安心を与えることを言います。死や困難に直面したとき、多くの人は恐れおののき、心が乱れます。仏様や菩薩様はそうした不安を取り除き、私たちの心を穏やかにしてくださいます。

こうした無畏施はなかなか仏様でなければできないかもしれませんが、仏教の教えを知らなくても、また人に施すだけの財産がなくてもできる布施もあります。

それが「無財の七施」と呼ばれるものです。「無財」の言葉通り、財産がなくても施すことができる、誰にでもできる布施として『雑宝蔵経』には、それぞれ、以下のように説かれています。

眼施(げんせ)   
やさしい眼差しで人に接する。にこやかな目線は相手の心を和らげます。

和顔施(わげんせ) 
なごやかな顔で接する。私たちの表情によってもまた相手の心は和みます。

言辞施(ごんじせ) 
相手を思いやるやさしい言葉で接する。私たちは言葉により癒されたり救いを得たりします。

身施(しんせ)   
重い荷物を持ってあげる、困っている人を助けるなど、自分の身体をつかって人助けをする。

心施(しんせ)
自分だけがよければいいというのではなく、他人のために心をくばり、思いやりを持つ。

床座施(しょうざせ)
席や場所を譲る。座席だけでなく、すべてのものを分かち合い、譲り合う心を持つことです。

房舎施(ぼうじゃせ)
雨風をしのぐ場所を提供する。訪れた人に対して温かくおもてなしをする。

これら七施は、いずれも他者を思う心からおこるものです。しかし、この布施を受けた人もまた、心が豊かになります。たとえば、なごやかな顔をして、やさしい眼差しで、こちらを見る人がいたら、自然と私たち自身もにこやかな表情になりますよね? 

笑顔には人を幸せにする力があります。

周りを照らす人になろう

周りの人を照らすというと大げさなように聞こえますが、私たち自身が無財の七施を実践することで周りの人は自然とニコニコ、笑顔になれるに違いありません。

まずは自分自身の心を整え、周囲の人にやさしい声かけをする。小さなことですが、そうしたことが周囲に広がり、やがて、思いやり、慈しみあふれる社会へとつながっていくことと思います。

南無阿弥陀仏

バリアフリー化も進行中

法源寺では、現在、法源寺会館の改修にあわせ、寺院のバリアフリー化、冷暖房の導入なども進めております。

まだ、工事中ですが北側玄関に設置しているスロープの様子をご紹介します。

北側の玄関は書院にすぐつながる出入り口ですが、書院の高さと玄関の高さを合わせ、車いすでの出入りがしやすいようにしました。また、これにあわせ、北側駐車場に車椅子用の駐車スペースを設けるほか、玄関わきに広いスペースのお手洗いを用意する予定です。

年をとっても、体が不自由になっても行きやすいお寺を目指して。

多くの方にとってお参りしやすい環境を整えることも大切なことと思っています。

工事の進捗はまたお伝えしますので、お楽しみにお待ちください。

【6月の言葉】心の中も衣替え

6月は衣替えの季節。服だけでなく、
気持ちを切り替える機会にしてみましょう。
When changing out your clothes for the season,
refresh your spirit as well.
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浄土宗月訓カレンダーの6月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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今年も衣替えの季節がやってきました。

実は僧侶の衣や袈裟にも、夏物、冬物があり、夏物は6月から9月末まで、冬物は10月から翌年5月末までという決まりになっています。そうはいっても温暖化が進んだ今日では、10月や5月はまだまだ気温も高く、冬物を着る身としてはなかなか辛いものがあります。

さて、一般的に「衣替え」といえば、タンスやクローゼットの中の衣類を冬物から夏物へ、夏物から冬物へと入れ替えることを言いますが、そのタイミングで古くなって着なくなったものを処分したり、着られなくなった子どもの服をお下がりとして親族の子どもにあげたり、必要なものと不要なものとに分け整理することもあるでしょう。

「断捨離」という言葉が一時期流行りましたが、まさにそれですね。この言葉は一見、仏教用語のように聞こえますが、そうではなくヨガに由来する造語だそうです。

ただ、断捨離とは、単に物の整理にとどまらず、情報や関係など不要なものや多すぎるものを断ち、捨て、離れることで、身の回りや心を整理しようというもので、究極的にはこれまでの自分の生き方を振り返り、これからの自分の生き方を見直してみようという意味まで含んでいるようです。

しかし、言うは易し、行うは難しで、そうはいってもなかなか実行できないのもまた事実。

私たちは、せっかく手に入れたものを手放すのは惜しいと思ってしまう生き物です。仏教ではこれを執着(しゅうじゃく)と呼び、苦しみの原因と説いています。

「これは私のモノ」という思いがあると、自分がコントロールできると思ってしまうからですね。でも実際、自分がコントロールできないこともしばしばです。いや、むしろコントロールできないことの方が多いのではないでしょうか。

お釈迦様は、さとりを開いた後の最初の法話で、人生とは苦の連続であること、そして、その苦の種類として、四苦八苦を説きました。四苦とは、生、老、病、死のこと。これに愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦を加えて八苦とします。それぞれは以下の通りです。

生(しょう):生まれること
老(ろう):老いること
病(びょう):病気になること
死(し):死ぬこと
愛別離苦(あいべつりく):大切な人と別れなければいけない苦しみ
怨憎会苦(おんぞうえく):憎らしい人と会わなければいけない苦しみ
求不得苦(ぐふとっく):求めても得られない苦しみ
五蘊盛苦(ごうんじょうく):心と体の働きが次々と欲を生み出してしまう苦しみ

このうち、五蘊盛苦は総括的なものですが、生老病死は自分の身体に起こる変化によって生じる苦しみ、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦は他者との関係性の中で生じる苦しみと言い換えることができるでしょう。

自分の身体さえ自分の思い通りにならないのですから、ましてや他人との関係なんてそれ以上に思い通りにならないことでしょう。しかし、どこかで「こうありたい」「こうあるべき」という思い込みがあればこそ、そうあれない自分に「なぜできないのか」「なぜ違うのか」と苦しんでしまうのです。

2500年も前から仏教では、人はこうした苦しみの中にいると説いてきました。裏を返せば、私たちの悩みの根本は今も昔も変わらないのです。実際に執着を離れることができなかったとしても、「な~んだ、苦しみを抱えているのは私だけじゃないのか!」と思えたなら少しは気が楽になるかもしれません。

心の中も衣替え

冬服から夏服へ。せっかく身が軽くなるのですから、心も軽くしたいものですね。
みなさまにとって、仏教の教えがその一助になれば幸いです。

南無阿弥陀仏

ジャガイモの収穫!

5月26日、飛び地境内にある畑「青空」でジャガイモの収穫を行いました。

法源寺農園部は、富士市就労支援ネットワーク「ココ☆カラ」とつながっている若者たちのサポートで活動を続けてきました。2月に植えたジャガイモがそろそろ穫れごろということで、急遽、地域の子どもたちにも声をかけ、大勢でじゃがいも掘りをしました。

若者たちは、今日は指導員役としてお手伝い。子どもたちが掘りやすいよう、スコップで土をほぐしてくれたり、マルチ(黒いビニールシート)をはがしてくれたりと大活躍でした。

ジャガイモ掘りをまるで宝探しのように楽しむ子どもたちの姿をみて、普段、農園活動に従事する若者たちも笑顔に。自分たちが育てた野菜で子どもたちが笑顔になってくれるなんて、こんな嬉しいことはないですね。

仏様に見守られているおかげか、種芋を切らずにそのまま植える作戦が功を奏したのか、例年以上の豊作で、コンテナいっぱいのジャガイモが穫れました!

豊作の御礼で、ジャガイモを本堂の仏様にお供えし、みんなでお参りした後に山分けしました。その後、畑のご近所の方や、高齢で一人暮らしをしているお檀家さんのところなどにおすそ分けしました。

子どもたちのにぎやかな声に、本堂の阿弥陀様も心なしか微笑んでいるように見えます。

何もないところから、野菜だけでなく、笑顔まで生み出してしまう農園活動。若者たちだけでなく、法源寺にとっても重要な活動になっている気がします。

なむあみだぶ

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

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法源寺会館の補修工事のお知らせ

現在、法源寺改修事業の一環で、法源寺会館の補修工事を行っております。

会館下の駐車場は使えますが、外壁補修作業のため足場を組んでおり、出入り口が若干狭くなっております。また、見通しも悪くなっています。お車での出入りの際はくれぐれもお気を付けください。

なお、法源寺会館の工事は6月いっぱい7月いっぱいを目途に終了予定です。檀信徒の皆様には、しばらくの間ご迷惑をおかけいたしますが、ご理解ご協力のほどよろしくお願い申し上げます。

おてつぎ運動推進大会および岳陽組檀信徒総会

5月18日、法源寺会館を会場に岳陽組檀信徒総会が開催されました。

また、今年は諸般の事情で総会に先立って総本山知恩院のおてつぎ運動推進大会も併修され、知恩院執事の神田眞晃上人をお招きし、ご法話をいただきました。

神田上人は大阪・法善寺のご住職で、法善寺は小説『夫婦善哉』で“大阪の顔”として紹介される有名な寺院です。大阪の繁華街の町中にありますが、多くの人の信仰を集め、長年水をかけられて苔むしたお不動さんをお祀りしているお寺でもあります。

神田上人からは、「親が拝めば 子も拝む 拝む姿の美しさ」というお話をいただきました。親から子へ、子から孫へ、大切な教えが、見せる姿によって受け継がれていくとのことで、まさにおてつぎ運動そのものであると感じられました。

昨今、子どもが遠くに住んでいるという人も少なくありません。仏教に限らず、文化や伝統を次世代に伝え、残していくことの難しさを感じている人も少なくないでしょう。言葉だけではなく姿勢で伝える、ということも必要なのかもしれませんね。

おてつぎ推進運動に続く、檀信徒総会では令和6年度の事業計画案が示され、開宗850年に向け様々な行事が組をあげて行われることが承認されました。

その中でも、今秋は総本山知恩院へのおてつぎ奉仕団が計画されています。開宗850年という節目の年に、ぜひご一緒に祖山にお参りし、法然上人の残した念仏のみ教えをともに嚙み締めましょう。

南無阿弥陀仏

【5月の言葉】比べなくても あなたはあなた

私たちは何につけ自分と他者を比べ勝ち。
でも、あなたにはあなたの良さがありますよ。
You have your own good qualities so don’t
compare yourself with others. Just be who you are.
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浄土宗月訓カレンダーの5月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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「隣の芝は青い」ということわざがあります。人は他人の持っているものや他の状況を、自分のものよりも魅力的に感じてしまう傾向があることを戒めることわざです。

では、隣の芝が青く見える時はどんな時でしょう?

きっと、自分に自信がなかったり、不安だったりする時ではないかと思います。失敗した時、つまづいた時など、より一層そういう思いが頭に浮かんでしまうかもしれません。
でも、あなたは本当に何も手にしていないのでしょうか?
いいえ、あなたはあなたの価値があるのです。

あいだみつおさんの詩に「トマトとメロン」という詩があります。少し長いですが、以下にご紹介いたします。

トマトにねえ
いくら肥料やったってさ
メロンにはならねんだなあ

トマトとね
メロンをね
いくら比べたって
しょうがねんだなあ

トマトより
メロンのほうが高級だ
なんて思っているのは
人間だけだね
それもね
欲のふかい人間だけだな

トマトもね メロンもね
当事者同士は
比べも競争もしてねんだな
トマトはトマトのいのちを
精一杯生きているだけ
メロンはメロンのいのちを
いのちいっぱいに
生きているだけ

トマトもメロンも
それぞれに 自分のいのちを
百点満点に生きているんだ


トマトとメロンをね
二つ並べて比べたり
競争させたりしているのは
そろばん片手の人間だけ
当事者にしてみれば
いいめいわくのこと

「メロンになれ メロンになれ
カッコいいメロンになれ!!
金のいっぱいできるメロンになれ!!」
と 尻ひっぱたかれて
ノイローゼになったり
やけのやんぱちで
暴れたりしているトマトが
いっぱいいるんじゃないかなあ

(あいだみつお『にんげんだもの』より)

この畑いっぱいになっているトマトがメロンだったらどれだけお金になったかと考えるのは人間だけ。きっとトマト自身はメロンになりたいだなんてこれっぽっちも思っていないことでしょう。いくら甘いメロンでも、パスタに合うソースは作れないでしょう。生でよし、煮てよし、トマトの使い勝手の良さは多くの人の知るところです。

さて、浄土宗で大切にされている経典の一つに『阿弥陀(あみだ)(きょう)』というお経があります。その中には、「青色(しょうしき)青光(しょうこう) 黄色(おうしき)黄光(おうこう) 赤色(しゃくしき)赤光(しゃっこう) 白色(びゃくしき)白光(びゃっこう)」という一説があります。

これは、阿弥陀仏の浄土に咲く蓮の花のありさまを語ったもので、「青き色には青き光、黄なる色には黄色の光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」という意味です。もっといえば、私たち一人ひとりが、すでに、それぞれの色を持ち、光り輝いていることを語っています。青い色は、黄色い光を放とうとはしないですし、赤い色は、白い光になろうとはしません。

私たちは、すべからく本来の姿のままで、価値ある尊いものです。誰もがみな、得意なこと、不得意なこと、できること、できないことを持っています。今できることすら永久ではありません。年老いて、あるいは体の具合が変化して、それまでできていたことができなくなってしまうこともあるかもしれません。他者と比べて多少(すぐ)れたところがあったとしても、仏様からしたら大した違いのない凡夫(ぼんぶ)にすぎないのです。

比べなくても あなたはあなた

あなたはあなた。ほかの誰かになろうとしなくていいのです。
出来ない自分も、出来る自分も、まるごと愛して生きていきましょう。

南無阿弥陀仏

増上寺御忌参拝(岳陽組団参)

4月3日(水)、増上寺の御忌大会・浄土宗開宗850年慶讃会にあわせ、岳陽組の団参として増上寺へ参拝いたしました。岳陽組としては98名、うち法源寺からは住職、副住職含め18名の参加でした。

増上寺は浄土宗大本山の一つで、徳川将軍家の菩提寺として江戸時代大いに栄えた寺院です。また、檀林とよばれる学問所としても知られ、浄土宗僧侶になるための修行道場として現在でもつかわれています。ちなみに浄土宗にはここ増上寺を含め、光明寺(鎌倉)、善光寺大本願(長野)、清浄華院(京都)、金戒光明寺(京都)、知恩寺(京都)、善導寺(久留米)の7か寺を大本山と呼んでいます(※知恩院は総本山です)。

毎年、4月の上旬には数日にわたって法然上人のご遺徳を偲ぶ御忌大会が営まれますが、今年は浄土宗開宗850年の節目に当たりますので、その慶讃法要もあわせて、例年以上に盛大に厳修されました。

4月3日は、増上寺の前執事長である友田達祐上人(静岡・法伝寺住職)が浄土宗開宗850年慶讃会の慶讃導師をつとめられ、岳陽組だけでなく静岡教区から大勢の檀信徒の方が参拝されました。

当日はあいにくの雨模様でしたが、随喜(法要に参列すること)の僧侶の数も大変多く、また本堂内に入りきれないほどの参拝客が法要に参加し、大変賑々しく厳修されました。

これほどの規模の法要は、本山でも増上寺や知恩院でしかなかなかお目にかかることはありません。参拝された方はその迫力やきらびやかさに圧倒されたことと思います。

秋には知恩院で行われる慶讃法要にあわせ、おてつぎ信行奉仕団が企画されています。ぜひご一緒にお参りいただき、850年の節目をともにお祝いいたしましょう。

これを逃すと次は50年後です。ちょうどよい巡り合わせの時期ですので、ぜひ多くの方にお参りいただきたいと思います。

南無阿弥陀仏

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