令和3年 おてつぎこども奉仕団のご案内

昨年はすべて中止となってしまった本山行事も、今年は少しずつですが再開の兆しを見せています。例年、夏休みに総本山・知恩院で行われる「おてつぎこども奉仕団」も募集が開始されました。これを受け、当山では、8月18日~20日の枠を予約しました。

おてつぎこども奉仕団は、お子様たちが日常と異なる環境で仏様との縁を深め、出会った友達との共同生活を通じて「明るく、正しく、仲良く」暮らすことを学ぶ修行道場です。総本山・知恩院での宿泊をともなう修行体験は、またとない体験となるでしょう。

例年、参加した子どもたちからは「思い出深いものになりました。友達もたくさんでき、また参加したいです」との感想をいただいています。こどもの時の体験は大きくなっても記憶に残っているものです。この機会に、ぜひお子様、お孫様にご参加をお勧めください。

※新型コロナウイルスの感染拡大状況によっては、中止となる場合もございます。あらかじめご了承ください

【日 時】 令和3年8月18日(水)~20日(土)
【会 場】 
総本山知恩院(2泊)
【対 象】 
小学校4年生~中学校3年生(小学校3年生でも参加可能です)
【費 用】 
無料(ただし、知恩院までの往復交通費は各自負担ください)
【申込方法】
7月10日までに、【こちらのフォーム】から住所氏名をお知らせ下さい。申込書類一式をお送りします。以下の【こどもおてつぎチラシ】をダウンロードして、記入した申込用紙を法源寺(〒416-0954 富士市本市場町1040)に直接お送りいただいても構いません。
【問合先】 ☎0545(61)1066 ✉hougenji.temple☆gmail.com(☆を@に変えて下さい)

ウェブサイトはじめました

「冷やし中華はじめました」みたいなタイトルになってしまいましたが、遅ればせながら法源寺のウェブサイトを立ち上げました。

社会の変化は目を見張るばかりですが、家族や近所付き合いのあり方も、ずいぶん変わりました。

お寺とどうお付き合いしていいのかわからない…、こんなこと聞いてもいいのかしら…そんな思いをお持ちの方もいらっしゃるでしょう。

ですので、このウェブサイトは、たんにお寺からの情報発信だけでなく、みなさんのお寺や仏事にまつわる疑問や悩みが少しでも解消されるようなサイトにしていきたいと思っています。

もちろん、対面でのお付き合いはこれまで通り大切にしていきます。

このウェブサイトをきっかけに多くの方にお寺に足を運んでいただければ幸いです。

新たなご縁づくりの場として、どうぞよろしくお願いいたします。

【12月の言葉】我行精進 忍終不悔

自分が為すべきことに全力で取り組んだ時、
たとえ結果がどうであれ、後悔はないものです。
When you have done your best, there are no regrets.
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浄土宗月訓カレンダーの12月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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今月の言葉は『無量寿経』の中の一説「我行精進 忍終不悔」です。経典の一節ですので、あまり聞きなれない言葉かもしれません。これは阿弥陀如来がまだ修行中の身にあった頃、多くの人を救う仏となるために「どんなにつらいことにも耐え忍び、修行に励んで、決して後悔することはない」と誓った偈文で、ここには多くの衆生を救いたいという強い決意が表れています。

私たちは、結果が得られやすいことには取り組みますが、どうなるかわからないものに一生懸命汗をかいて取り組むということをついつい嫌がってしまいます。かけたコストが回収できないなら最初からやらないほうがよいということですが、損得勘定で物事を判断するとついそうした姿勢になりがちです。

努力は必ず報われるとは限りませんが、成功した方は必ず努力をしています。たとえ成果が出なくても、まっすぐに向き合い、努力をしたという経験は何物にも代えがたい財産となるでしょう。

仏教詩人の坂村真民の言葉に「念ずれば花ひらく」というものがあります。
有名な言葉ですが、これは実は詩のタイトルでその先に続く文があります。
以下に紹介しましょう。

念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころか
となえるようになった
そうしてそのたび
私の花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった

「念ずれば花ひらく」は真民の母親がよく口にしていた言葉だそうですが、これはただ念じさえすれば、花がひらく(成果が出る)というわけではありません。

念という字は、「今」と「心」という字から成ります。今この時を心に懸け、一瞬一瞬を精一杯生きることです。精一杯生きるとは、手を抜かない、努力を怠らないということです。つまり、心の中で念じて夢がかなうのを待っているのではなく、日々を精一杯生きていけば、夢や目標がかなうという意味です。

真民は次の詩も残しています。

よくやった
よくやったと
いつの日か
世尊にほめていただく
詩人になろう
そう念じて
その日
その時を
充実させて生きてゆこう
点火された灯りを
消さないように
足もとをよく見つめ
懈怠なく
一歩一歩
世尊に接近してゆこう

世尊とはお釈迦様のことです。懈怠とは「けたい」と読み、なまけることです。特に仏教では、悪を断ち切り、善を修する努力を尽くしていないことを懈怠と言います。

真民は、いつの日かお釈迦様に褒められる詩人になりたいという願いを、その日その時を一生懸命生きることで叶えようという決意を表明しています。ここでも願いを念じてはいますが、その達成のために努力を怠らないことが示されています。

我行精進 忍終不悔

私たちはなかなか阿弥陀様のようにはいかないかもしれませんが、一念発起し頑張る姿は尊いものです。

まずは私たち自身が、目標に向かって精一杯努力し、汗を流すことの格好良さを次世代を担う子や孫に伝えていけたらきっと社会はより良くなるのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏

法源寺おてつぎ信行奉仕団

11月29日から30日にかけて、おてつぎ信行奉仕団として総本山知恩院へ行ってまいりました。

「おてつぎ」とは、浄土宗の教え、一人でも多くの方がお念仏をお称えし、手から手へ、人から人へ、心から心へと法然上人の教えをおてつぎ(お手次)し、明るく正しく仲良い社会を願って、お念仏の信仰を深めていく活動のことです。総本山知恩院では、そのための修行体験を「おてつぎ信行奉仕団」として長年推進してきました。

法源寺として24回目の参加となる今回は、住職、副住職はじめ、檀信徒の皆様、あわせて21名での祖山登嶺でした。信行奉仕団は、朝5時に法源寺をバスで出発し、休憩をはさみながら10時30分に知恩院に到着しました。

知恩院到着後は結団式をし、浄土宗の檀信徒として、信と行を深める一日になるよう誓いを立てました。御影堂にお参りし、法然上人にごあいさつした後は、集会堂での別時念仏。礼拝や念仏で心の垢を落としました。また、作務では参拝客が気持ちよくお参りできるよう、境内の落ち葉拾いをしました。

間もなく師走という時期でしたが、日差しは温かく、堂内よりも外の方が過ごしやすい陽気でした。鮮やかに染まった紅葉を見ながらの清掃作業は目の保養にもなりますね。

この時期、知恩院ではこの時期(11月19日~12月7日)秋のライトアップをしており、夜の知恩院も楽しむことができました。三門前には大きな金の環が。これは、先の大阪万博・アイルランド館で展示されていたモニュメント「マグナス・リン」で、人と自然の循環をテーマに制作されたオブジェです。

昼とはまた違う御影堂の姿もまた幻想的でした。堂脇から放たれる6本の光は、南無阿弥陀仏の六字を意味しているのだそうです。阿弥陀様の御光が闇を照らし、私たち凡夫に救いの光明を示してくださるようでした。

翌朝は日の出前から阿弥陀堂、御影堂にお参り、朝のおつとめに参加。今年一番の冷え込みとのことで、堂内は凍てつく寒さでしたが、みなさん一心にお参りをしていました。おつとめの後の朝ご飯は、功徳を積んだ後だったので一段と美味しく感じられました。

朝食後は解団式。今回、5回目、7回目の参加者の方は表彰を受けました。ちなみに参加者中最多は23回参加という方もいらっしゃいます。一度来ても楽しい、何度来ても学びになるのがおてつぎ信行奉仕団のよいところかと思います。

解団式の後は、お昼までフリータイム。各々に東山散策を楽しみました。お昼は皆さん一緒にいもぼう平野屋本店へ。和順会館の横にあり、京都の伝統料理であるえび芋と棒鱈の炊き込みを楽しむことができます。こちらで精進落とし、ということで楽しくお食事をしました。

身も心も満たされた後は、富士に向け帰路に。帰りのバスの中でも楽しい話声が漏れ聞こえてきて、皆さんにとって充実した修行&行楽となったことがうかがえました。

来年はおてつぎ運動が始まって60周年の記念の年です。知恩院でも特別な記念大会が催されることとなっております。これを機縁に次世代に浄土宗の教えを「お手次(おてつぎ)」すべく、多くの皆様とまた参加したいと思います。

ご参加くださった皆様ありがとうございました!

南無阿弥陀仏

【11月の言葉】見えないけれど 大切なもの

少し、心の眼、心の耳を研ぎ澄ましてみて!
目に見えないものを感じる豊かさを大事にしよう
Not everything that is important can be seen.
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浄土宗月訓カレンダーの11月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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信州・善光寺には「お戒壇巡り」と呼ばれる体験があります。真っ暗闇の回廊を手探りで進み、極楽の錠前を触れることで、現世の罪が滅し、極楽往生が叶うとされているものです(京都・清水寺にもありますね)。光のない世界で、触覚や聴覚を頼りに進むのは至極困難なことです。

実際、人の情報判断の8割は視覚から得ていると言われます。言い換えれば、私たちは見えるものに頼っている、ということです。

しかし、目に見えるものがすべてではありません。また目に見えているからと言ってそれが正しい姿であるかどうかはなかなか判断しづらいものです。ましてや、至らぬ私たちですから、見えていると思いこんで見失っていることもあれば、見えているからこそ惑わされることもあります。

視覚情報に頼り切っているものですから、見えないものを大切に扱うということもおろそかにしがちです。見えるものにしか価値を見出せなくなっている病とでもいえるでしょう。

先日、東北地方のある山間の町の古老からこんな話を聞きました。

集落の共同墓地が町のはずれにあり、そこには100基ほどのお墓がありました。どの地域でもそうですが、このあたりも年々人口が減り、現在は数えるほどの人で管理しているとのこと。維持管理のため、地域外に住む人からも墓地の清掃や整備のため1,000円ほどの年間管理料をお願いしていたところ、ある年、「このお金がどのように使われているのか会計報告をしてほしい」と言われたそうです。それ以来、事務仕事は増えたが、領収書をつけ、会計報告を出すようにしているとのことでした。

1,000円だろうと貴重なお金ですので何に使われているかを知ろうとするのは普通のことです。しかし、会計報告があれば適正に使われているかが本当にわかるのでしょうか。紙の報告書より、実際にお墓参りに行く方がよっぽどよくわかるでしょう。墓地の通路に雑草がない、落ち葉や倒木がない、トイレが設置されている、駐車場の入り口が舗装されているなど、気持ちよくお参りできる環境が整えられていることに気づくはずです。そして、それはその地に住み続け、その場を守り続けている人がいるからこそ可能であるということも。

書面で「見える化」することに慣れていると、こうした発想になるのかもしれません。しかし、その「見える化」は果たして物事の実態が見えていることになるのでしょうか。

ご先祖様しかりです。ご法事やお墓参りの際、「先祖」にどのくらい思いを向けられるでしょうか。直接、顔を見たことがある祖父、祖母はイメージがわきやすいですが、祖父、祖母にも父や母、祖父、祖母がおります。そして、その祖父の祖父、祖父の祖母、祖母の祖父、祖母の祖母にもそれぞれ父や母がおり・・・。こうして10代さかのぼると1024人になりますが、このうち一人でも欠けると今の私たちはこの世におりません。見たことはないけど、存在はしている自分のルーツの有り難さにどれほどの人が手を合わせられているでしょうか。

見えないけれど 大切なもの

「かんじんなことは 目に見えないんだよ」

フランスの作家サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の有名な一節です。
洋の東西を問わず、大切なものは目でとらえようとするのではなく、思いを巡らせ、心で感じなければ受け止められないと言われ続けてきたいうことでしょう。

あなたにとって「見えないけれど大切なもの」は何ですか?
秋の夜長にぜひゆっくり考えてみてください。

南無阿弥陀仏

サツマイモの収穫祭

先日、お寺の農園「青空」でサツマイモ掘りをしました。

この農園は富士市就労支援ネットワーク「ココ☆カラ」とつながる若者たちの力を借りて管理・運営されています。ココ☆カラは引きこもりや不登校の当事者、家族をサポートするNPOで、ブランクがある若者が就労や社会復帰を目指すための支援を行っています(農園部立ち上げの経緯はこちらをご覧ください⇒農園部発足!農園部収穫!)。活動開始は2021年ですが、2023年からは公益財団法人浄土宗ともいき財団の支援を受けています。

この日はゴールデンウイークに植えたサツマイモの収穫ということで、檀家さんやご近所さんのお子さんたちに声をかけて、みんなでイモ掘りをしました。

先々週の試し掘りの段階では、あまり大きなものはなく、今年は失敗かなぁと思っていましたが、掘れば掘るほど大きなサツマイモが出てきてみんな大喜びでした。

ココ☆カラのお兄さん、お姉さんは、子どもたちのために畝(うね)を崩したり、穫れたイモをきれいに拭いたり、サポート役に徹してくれました。みなさん、サツマイモを見つけて喜ぶ子どもたちを見て、野菜を育てる喜びだけでなく、収穫を分かち合う喜びも感じたのではないでしょうか。

収穫後は仏様にお供えして「大きく育ててくれてありがとう」「来年もいっぱい穫れますように」とお礼とお願いをしました。お参りの後は、収穫したサツマイモを分けて、おやつタイム!子どもたちもお菓子をほおばりながらにぎやかに談笑していました。

参加した子どもたち、保護者、ココ☆カラの若者、ボランティアスタッフは、みな年齢も性別もバラバラで、お互いに「初めまして」の方もいらっしゃいましたが、終始和やかな雰囲気で、和気あいあいとサツマイモ収穫祭を楽しむことができました。

お寺は楽しい場所、気軽に来れる場所と感じていただけたら嬉しいです。

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

富士ニュースでとりあげられました(十夜法要)

先日の十夜法要の様子が、10月19日付の富士ニュースの紙面に紹介されました!

片山先生のご講演だけでなく、十夜法要の歴史や当山との関係についてもふれられています。お檀家さんはもちろんのこと、地域の方々に法源寺のことを知ってもらうよい機会になったのではないかと思います。

南無阿弥陀仏

十夜法要をおつとめしました

10月14日14時より、本堂にて十夜法要を厳修いたしました。

十夜法要とは、浄土宗に伝わる念仏会で、当山の開山上人である鎌倉光明寺第九世・観譽祐崇上人が、室町時代に後土御門天皇の勅許を得て浄土宗寺院で行うことが許されるようになった由緒ある法要です。

この十夜法要は『無量寿経』の一節にある教えを実践したものです。そこには、「娑婆世界で十日十夜の間、善行を修めることは、仏の世界で千年にわたって善行に励むよりもすぐれている」と説かれています。

法源寺では今年も大勢の檀信徒の皆様にお参りいただき、功徳を積んでいただきました。

法要後は、片山善博先生をお招きし、「人口減少下の日本~活気ある地域をつくるには何が必要か~」というテーマでお話しいただきました。日本全体で人口減少局面に突入し、特に地方都市では人口減少が年々進んでいます。しかし、こうした中にあっても、生産性を向上させることで対応できるとのこと。そして、生産性向上のためには、いきいきと働ける環境を整えること、性別や障害の有無で役割や能力を決めつけないこと、男性も育休をとり子育てに参加することなどが肝要であるとお話しくださいました。

仏教では、偏見や固定概念を離れて物事をありのままでとらえることを大事と説きます。まさに、こうした教えに通じるものが社会の維持発展の役立つものだとあらためて感じるお話でした。

なお、講演会には檀信徒以外の方の参加もあり、大変にぎやかな十夜法要となりました。

ご参加くださった皆様、運営にご尽力くださった総代、世話人の皆様、ありがとうございました。

南無阿弥陀仏

令和7年度十夜法要ご案内

今年も10月14日に十夜法要を行います。十夜法要とは、浄土宗に伝わる念仏会で、当山の開山上人である鎌倉光明寺第九世・観譽祐崇上人が、室町時代に後土御門天皇の勅許を得て浄土宗寺院で行うことが許されるようになった由緒ある法要です。

当山では毎年法要にあわせて、布教師による御法話、コンサート、落語などを行ってまいりましたが、今年度は、元・総務大臣の片山善博先生をお招きし「人口減少下の日本~活気ある地域をつくるには何が必要か~」というテーマでご講演をいただきます。

片山先生はコメンテーターとしてテレビでもよく目にする機会もあるかと思いますが、現在大正大学地域創生学部の特任教授で、副住職と同僚(立場は違いますが…)ということで、このたびお越しいただくこととなりました。

みなさま、どうぞお誘いあわせの上ご参加ください。

なお、檀信徒以外の方の参加、聴講も歓迎です(参加費無料)。
十夜法要終了後(14:30頃)、本堂にお入りいただければと思います。浄土宗の法要を見るよい機会として、法要から参加くださっても構いません。

〈プログラム〉
13:00 受付開始
14:00 十夜法要
14:40 講演(片山善博先生)
15:40 終了予定

〈片山善博先生 略歴〉
1951年岡山市生まれ。74年、東京大学法学部卒業、自治省に入省。99年、鳥取県知事(2期)。2007年、慶應義塾大学教授。2010年9月から11年9月まで総務大臣。2017年、早稲田大学公共経営大学院教授。現在、大正大学地域創生学部教授、同大学地域構想研究所所長。著書に『知事の真贋』(文春新書)、『地方自治と図書館』(共著:勁草書房)など。

【10月の言葉】右は仏 左は私 合す掌

合掌する左右の手、それは、仏様に対する深い思いの表現。
その時、平和でおだやかな時に抱かれます。
When you bring your hands together in prayer,
you bring the Budda and yourself together.
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浄土宗月訓カレンダーの10月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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今から20数年前、初めての海外旅行はインドの仏跡巡拝でした。
仏跡とはお釈迦様にまつわる場所のことで、お生まれになったルンビニ、さとりを開かれたブッダガヤ、初めて法を説いたサ-ルナート、そして涅槃に入られたクシナガラの四つを四大聖地と呼びます(このうちルンビニはネパールにあります)。

インドでは毎日カレーを食べましたが、インドの方は手で召し上がります。そして、使うのは決まって右手だけです。なぜなら、インドでは右手は清浄な手、左手は不浄な手として認識されているからです。こうした、手に対する浄不浄観はヒンドゥー教由来のものです。ヒンドゥー教の原型は、バラモン教と言われていますが、バラモン教は古代インドから多くの人々の生活や思想に影響を与えていました。合掌もその一つです。

合掌は、右手はさとりを開いた迷いなき仏を、左手が迷いの世界に生きる私たち衆生を表し、この浄なる右手、不浄なる左手をあわせることで、仏さまと私たちが一体となることを願う姿を象徴すると言われます。

その昔、仏壇屋さんのCMで「お手てのしわとしわを合わせて“しあわせ”、なーむー」というものがありました。今でも合掌する時というのは、仏事以外でも、敬意や感謝を示すときに使います(ときには謝罪も?)。仏と私が一体となった姿ですので、いくら至らない私たちでも仏の力で心が清らかになりますから、自然と穏やかな心になるものです。

右は仏 左は私 合わす掌

10月はお十夜シーズン。浄土宗の各寺院で十夜法要が営まれます。
十夜法要とは、十日十夜にわたって行う念仏会のことで、古くは室町時代、鎌倉光明寺九世であった観譽祐崇上人によって浄土宗にもたらされた由緒ある法要です。この季節、きっとお寺にお参りして念仏を称える機会も多くあることでしょう。

合す手と手に御仏を感じながら、御仏の名を声に出す。きっと心は穏やかになるに違いありません。合掌して念仏を称えるこの素晴らしい勝縁に、ぜひともお参りいただければと思います。

南無阿弥陀仏

秋彼岸信行会をおつとめしました

9月23日(火・祝)18:30より、秋彼岸信行会をおつとめしました。
めっきり秋らしくなり、すがすがしい気持ちで皆さんと一緒にお念仏をお称えすることができました。

法要後にはフルート・オカリナ奏者の村林涼子さんによる、牧之原特復興支援ミニコンサートを開催しました。

今回は、フルートのほか、ライアーハープ、ケーナといった珍しい楽器も演奏くださいました。ライアーハープはドイツ発祥の小さな竪琴でとてもやさしい音色が特徴です。ケーナは南米アンデス地方の縦笛で哀愁を帯びた音色を奏でます。

彼方の光、シューベルトの子守歌、ジュピター、風の旅人などを演奏いただきました。その後、アンパンマンのマーチ、見上げてごらん夜の星を、を一緒に歌い、和やかな雰囲気の中で演奏会は幕を閉じました。

お参り下さった皆様ありがとうございました。

★☆★10月1日 追記★☆★
このミニコンサートで集まった募金(25,000円)は社会福祉法人静岡県共同募金会を通じて「令和7年台風第15号災害静岡県義援金」として寄付いたしました。ご協力くださった皆様に感謝申し上げます。

静岡教区檀信徒大会開催

9月18日、富士ロゼシアターにて、浄土宗静岡教区檀信徒大会が行われました。岳陽組は開催地区の当番でしたので、組内寺院の世話人様の力を借りながら、大会運営に尽力しました。

檀信徒大会前には、おてつぎ運動推進大会を併修し、知恩院執事の神田眞晃上人をお招きし、法話をいただきました。

檀信徒大会では、三遊亭円楽師匠の「時そば」「親子酒」、志賀昭裕氏による南米の弦楽器・アルパの演奏なども楽しみました。円楽師匠は以前、王楽時代に法源寺の十夜法要で一席お話をいただきました。現在は、7代目円楽として、楽太郎師匠の跡を継いでいらっしゃいます(血縁上の父は笑点でもおなじみの好楽師匠です)。

また、アルパの演奏をされた志賀さんは、知恩院のライトアップの時期、三門前で演奏を何度もしてこられたとのことで、浄土宗とのご縁も話してくださいました。
アルパはラテンハープともよばれ、パラグアイやコロンビアなどで演奏されるそうです。地球の裏側の国の楽器ですが、その音色はどこか哀愁漂うもので、神田川や秋桜、なごり雪など往年のヒットソングを演奏して下さり、会場の参加者も大喜びでした。

受付係でしたので、落語も演奏もあまりじっくり聴くことはできませんでしたが、会場から漏れる笑い声や拍手に、ご参加の皆さんの満足感が伝わってまいりました。また、帰り際には、ねぎらいの言葉を多くかけていただき、組内で一丸となって取り組んでよかったなと感じられました。

南無阿弥陀仏

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