令和5年春彼岸信行会&ミニコンサート開催

3月21日18時30分より、春彼岸信行会をお勤めしました。
今回は法要後に、お檀家さんでフルート・オカリナ教室を主宰されている村林涼子さんに演奏いただきミニコンサートを開催しました。本堂でのコンサートは、初めての試みでしたが、村林さんの素晴らしい演奏で、フルートやオカリナの音色が響きわたり、いつもの本堂とはまた一味違った素敵な雰囲気に包まれました。

ミニコンサートでは、「故郷」にはじまり、「春の小川」「七つの子」といった唱歌、坂本九の名曲「見上げてごらん夜の星を」「上を向いて歩こう」を演奏いただき、参加の皆さんと共に一緒に歌いながら楽しみました。

コロナ禍も収束に向かいようやく日常に戻りつつあります。こうして、声を出して一緒に歌うことができる日々がまたやってきたことを共に喜びながらひとときを過ごしました。

今回の信行会では、子どもの参加も多く、元気なお念仏の声が本堂中に響いていたのも大変喜ばしいことでした。

以前のように、多くの方がお寺に集まってくださるよう今後も務めてまいりたいと思います。

南無阿弥陀仏

東日本大震災から12年

いわき市内の体育館での炊き出しの様子(2011.5.2)

今年も3.11の日を迎えました。

当時、大学院生だった私(副住職)は、福島県いわき市に行き、避難所で生活する被災された方々に温かい食事を提供するために、地元浄土宗青年会と一緒に炊き出しを行いました。避難所が閉鎖された後は、仮設住宅を訪れ、サロン活動などにも参加しました。

また、住職は石巻や陸前高田を訪問し、その惨状を目の当たりにして、慰霊の行脚を重ねてきました。

あれから12年。地震や津波で亡くなられた方にとっては13回忌を迎える日です。まだ行方不明のままの方もいらっしゃいます。いまだ故郷に帰れぬ方もいます。同じ日本に生まれた者として、自分に何ができるだろうかと考えさせられることばかりです。

最近のことですが、ある新聞にこんな短歌が掲載されていました。

「死にたいな」「僕もさ」「わかる」「頑張ろな」 落書き続く 仮設のトイレ

避難所の外に設けられた仮設トイレの壁に、誰ともなく悲しい胸の内を書き、どうしようもない辛い思いを吐き出した一言。それに呼応するような共感の言葉と、一緒に乗り越えていこうという激励の言葉。

直接言葉を交わしたわけではないけど、仮設のトイレという「伝言版」を通じて、目に見えぬ連帯が生まれた様子がありありと描かれています。

苦しいのは自分だけじゃない。辛いのは自分だけじゃない。やりきれない気持ちをみんな抱えている。だからこそ一緒に生きていこう。

筆舌に尽くしがたい困難に直面した時、苦しみを理解し、支え合おうという気持ちを持つ人がいるとわかるだけで、おおいに勇気づけれられることと思います。

あの時ほど、家族や仲間同士の絆が大事だと感じたことはないでしょう。

あの時の想いを忘れずに、日々を過ごしてまいりたいと思います。

南無阿弥陀仏 合掌

【3月の言葉】一つの言葉が励みとなる

あなたのさりげない一言が、誰かの支えになることも。
他人にかける言葉には気を使いたいですね。
A casual remark makes encourage others.
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浄土宗月訓カレンダーの3月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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みなさんは、まいったなぁというとき、何気ない誰かの一言で救われたという経験はありませんか。逆に、不用意に発した一言が誰かを傷つけてしまい、あんなこと言わなければ…と後悔したことはありませんか。

私たちが発する言葉は力を持っています。その力は、人を勇気づけるものにもなれば、人を傷つけるものにもなります。そのことをよくよく考えて、私たちは言葉を選ばなければいけません。

さて、仏教の修行の一つに「布施」があります。布施というと、「あぁ、お寺に収める寄付のことね」と思われるかもしれませんが、本来は貪りの心や、執着を離れるための行いのことを言います(お金はその一部に過ぎません)。

お金がなければ布施ができないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、『雑宝蔵経』という経典の中には、「無財の七施」(※)と呼ばれる布施行が説かれています。
その名の通り、財物がなくても他者に施すことができる行いのことを言いますが、その一つに「相手に柔らかい思いやりのある言葉をかける」というものがあります。難しい言葉では「言辞施ごんじせ」といいますが、別名「愛語施(あいごせ)」ともいいます。

なんだか字面は難しそうですが、いたってシンプルです。
辛そうな相手には、「どうしたの?」「何かあったの?」、悲しそうな相手には「大丈夫、そばにいるよ」、「力になるよ」、嬉しそうな相手には「よかったね」、「みんなも喜んでるよ」など、相手のことを慮って声掛けをすることです。

しかし、シンプルなことほどなかなかできないものです。ましてや、こちらの心に余裕がない時などは、他人のことより自分のことを優先に考えがち。相手の気持ちを推し量るどころか、どうしてこちらのことをわかってくれないのか!とつい突っかかってしまいます。

一つの言葉が励みとなる

あなたの言葉には力があります。ぜひ、その言葉を発する前に、投げかける相手のことを想像してみてください。言葉によって励まされた人は、きっとほかの人を励ます人になるでしょう。

人と人との間に優しい言葉があふれ、ともに励まし合う社会になれば、今よりももっと生きやすい世の中なると思いませんか。

ぜひ今日から実践していきましょう。

南無阿弥陀仏

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※無財の七施:誰でもいつでもできる布施行。以下の七つのことをいう。
眼施げんせ・・・相手を憎むことなく、好ましい眼差しで接すること。
和顔悦色施わげんえつじきせ・・・和やかな喜びの顔つきで接すること。
言辞施ごんじせ・・・相手に柔らかい思いやりのある言葉をかけてやること。
身施(しんせ)・・・相手を敬い、我が身を惜しむことなく、他に尽くしていくこと。
心施(しんせ)・・・善い心で相手の立場にたち心をかけていくこと。
床座施しょうざせ・・・相手に座席を設けたり、譲ったりすること。
房舎施ぼうしゃせ・・・自分の家を一夜の宿として提供すること。

ジャガイモを植えました

三寒四温の今日この頃、暖かい日があったと思えば、急に寒くなったり、体調管理に気をつかう季節ですね。

法源寺農園部では、春の訪れの前に、ジャガイモを植え付けました。

さすがに3年目ともなると手慣れたものです。あらかじめ耕しておいた畑に畝を立て、溝を切り、30cm間隔で種イモを並べていきます。あとは土をかぶせて、マルチ(黒いビニール)をかければ、一丁あがりです。

今年は西側の畑2畝にキタアカリを植えました。昨年はこちらの畝は全くダメでしたので、リベンジです!昨年の反省をふまえ、マルチをしたので地温も上がって、無事育ってくれるのではないかと期待しています。

うまくいくよう、皆さん祈っていてください!

涅槃会を行いました

2月15日13時より、当山本堂で涅槃会をお勤めしました。底冷えのする日でしたが、寒い中お集まりくださった方には改めて御礼申し上げます。

さて、涅槃会とは仏教の開祖であるお釈迦様を偲び、その恩に感謝するために行う法要です。お釈迦様は2月15日に亡くなられたと言い伝えられていますので、多くのお寺ではこの日に涅槃会を行います。当山でも、13時より法要を勤め、その後、住職が絵解きを行いました。

絵解きでは、臨終に際し、頭北面西(頭を北向き、顔を西向き)にして横たわるお釈迦様の姿から、ご遺体を北枕にして寝かせるようになったこと、お釈迦様のお母様である摩耶夫人が我が子を助けようと薬袋を投げたことから「投薬」という言葉が生まれたことなど、現代の風習や言葉に通じうルーツがこの涅槃図に描かれていることをお話いたしました(※薬袋は一説には修行者の持ち物を入れる、衣鉢袋とも言われています)。

また、横たわるお釈迦様のまわりにある樹木は沙羅双樹の木です。全部で8本ありますが、4本は葉が青々と茂り、もう4本は葉が白く枯れています。これは、お釈迦様が残した仏教が不滅であることと、肉体はあるものはいずれ滅びるという無常観を示したものです。

誰もが習う平家物語の冒頭にある「娑(沙)羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」の一節はまさにこのことを言っているのです。

こうした「絵解き」はまさに仏教に親しむ機会となります。難解な言葉や教えも、こうして絵にして視覚的にとらえることで、多くの人が仏教の教えを理解することができます(キリスト教の教会にあるステンドグラスや絵画、彫像なども同じ効果があるといわれています)。ご参加の皆様にも、普段の法話以上に伝わったのではないでしょうか。

さて、ここで豆知識をひとつ。

お釈迦様が亡くなられたのは2月15日と言われていますが、そのほかにも、生まれた日は4月8日、さとりを開いた日は12月8日と伝わっています。それぞれの日に、花祭り(降誕会)や成道会を行うお寺さんもあるのではないでしょうか。

しかし、この記念日はインドからシルクロードを経て、中国、朝鮮半島と伝わってきた北伝仏教(大乗仏教)にしか示されていません。一方、スリランカ、タイなど南伝仏教(上座部仏教)では、生まれた日、さとりを開いた日、亡くなった日はすべて同じ日とされています。

ウェーサク(Vesak)と呼ばれるこの記念日ですが、東南アジアでは、毎年5月満月の日とされ、この日は国連の定める祝祭として公式に認定されています。国連はさまざな国で構成される国際機関ですので、宗教についても多様性を重んじているのです。

ひとくちに仏教といっても、国によってその信仰や実践の形態はずいぶん異なります。時代や人に合わせて発展していったのが今の日本の仏教の在り方ですので、他国とずいぶん違うところもあります。そんな違いもまたいずれご紹介したいと思います。

南無阿弥陀仏

涅槃図公開中

毎年この時期、本堂にはお釈迦様入滅時の様子を表した涅槃図をおまつりしています。

涅槃(ねはん)とはサンスクリット語のニルバーナを音を漢字にあてたもので、さとりの境地、苦しみが消滅した状態を意味します。

入滅することを、「涅槃に入る」とも表現しますが、これは、物理的な肉体の終わりによって身体的な苦からも脱し、いかなるものごとにも煩わされることのない寂静の境地に至ることを表しています。

法源寺に伝わる涅槃図は、弘化4年に当時の檀信徒の寄進によって収められたものです。その大きさもさることながら、鮮やかな色彩も残っており、その迫力に圧倒されます。

弘化4年といえば、西暦でいうと1847年です。ペリーが黒船に乗って浦賀沖に現れたのが1853年ですから、それよりも6年前に作られた一幅ということになります。

裏には寄進した方のお名前も残されており、江戸時代末期の作という歴史的な価値だけでなく、檀信徒の気持ちが込められ、代々受け継がれてきたという「次世代への想い」という価値も感じられるものです。

副住職による絵解きの様子

涅槃図は2月末まで本堂内におまつりしております。この時期ご法事がある方には絵解き(涅槃図の解説)を行っていますが、それ以外でも本堂におあがりいただき自由に見ることができます。

また2月15日には涅槃会を行い、法要の後、絵解きも行います。

手が届きそうな距離で、これほど大きな涅槃図を間近に見ることができるのはそうそうないかと思いますので、ぜひお立ち寄りください。

南無阿弥陀仏

【2月の言葉】今できること 少しずつ

物ごとを成し遂げるには、積み重ねが大切。
少しずつでも着実に進めましょう。
Advance little by little, starting with the things you can do now.
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浄土宗月訓カレンダーの2月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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いつのまにか1月が終わってしまいました。
みなさんは、先月の言葉を覚えているでしょうか?
そうです。「思いから行いへ」というものでした。

2月の言葉はまるでこの続きのように聞こえますね。
いざ行動に移そうと思っても何から始めたらよいのか、どう始めたらよいのか、何に気を付けたらよいのかとためらわれている人もいらっしゃるかもしれません。あるいは、始めてみたもののこれでよいのか、ほかによい方法はなかったのか、この先何をすればよいのかと悩んでいる人もいらっしゃるかもしれません。

先のことを見すえてあれやこれや気をもむ。過ぎたときをふりかえり悔やむ。私たちにはよくあることです。

さて、お釈迦様は次のような言葉を残しました。

過去を追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、
揺らぐことなくどうずることなく、よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。

過ぎ去った過去や、まだ来ない未来に心を傾けるのではなく、今ここにおいて自分がなすべきことをせよ。明日も命があるかどうかは誰にもわからない、だからこそ悔いの残らないように今を生きよということです。やや強い語調ですが、それだけに重みが伝わってきます。

2月の言葉は、お釈迦様のこの教えを一言で表しているようにも思えます。

今できること 少しずつ

思いを形にするために行動は欠かせません。
しかし、はじめから大きなことをやろうとしたら二の足を踏んでしまうでしょう。
小さくてもよいのです。踏み出した足と逆の足をまた踏み出してみましょう。
駆け出さなくてもよいのです。ゆっくりでも歩き続けましょう。
少しずつでも前進すれば、果てしなく先にあると思えるものにもいずれはたどり着くことでしょう。

一歩一歩、自分の足元を見つめながら、ともに歩んでまいりましょう。

今できることを少しずつ、ね。

南無阿弥陀仏

講演のご報告「地域共生社会の実現に向けた取り組み」

講演の様子が岳南朝日に掲載されました

1月22日、富士宮市ボランティア連絡会主催の「ボランティアまつり・ふれあいトーク」にて、富士宮市・平等寺住職岩田照賢上人と一緒に副住職が講演をしてまいりました。

「地域共生社会の実現に向けた取り組み」と題した講演では、はじめに副住職から厚生労働省が掲げる地域共生社会のコンセプトや人が集う場所の重要性、地域にすでにある資源としての寺院の可能性について述べた後、岩田上人から兼務寺の来迎寺で取り組まれている介護者カフェやひきこもりの親の会、学び直しの場などの具体的な活動について紹介いただきました。

ライフスタイルや人付き合いの変化により、人と人とが支え合う地域社会は衰退の一途をたどっています。

「地域共生社会」とは、このような社会構造の変化や人々の暮らしの変化を踏まえ、制度・分野ごとの『縦割り』や「支え手」「受け手」という関係を超えて、地域住民や地域の多様な主体が参画し、人と人、人と資源が世代や分野を超えつながることで、住民一人ひとりの暮らしと生きがい、地域をともに創っていく社会を目指すものとされています。

そうはいっても、人と人、人と資源が世代や分野を超えつながる場をどう作るかという課題は簡単に答えが出せるものではありません。

しかし、すでに人が集まっている場を活用することでこの課題に対応できるのではないか、そしてその場に寺院が活用できないかというのが私の話のあらましです。

当日の聴衆は100人を超え、みなさん大変熱心に耳を傾けてくださっていました。こうした場を通じて寺院の地域貢献の取り組みへの理解が広がっていくことを期待しています。

農園部3年目の始動

法源寺では飛び地境内を活用して農園活動を行っています。

きっかけは、ひきこもりや不登校の当事者・家族を支援するNPO富士市若者相談窓口「ココ☆カラ」の方から、コロナ禍で就労体験、社会体験できる場が減っているので、何か活動できることはないかというところからでした(これまでの活動はこちらから→ )。

2021年に始まったこの農園部も今年で3年目を迎えます。
先日、種まきの前に土壌改良ということで、たい肥やもみ殻を鋤き込み、野菜が育つような土づくりをしたほか、用水路沿いに2つ目の花壇を作りました。

今年は野菜だけでなく、道行く人が目で楽しめるよう、花壇の整備にも力を入れていきたいと思います。

ヨーロッパでは、様々な人が社会参加できる場として「ケアファーム」と呼ばれる農園があるそうです。農園物の活動を通じて、ここが人と人の交流が生まれる場にしていきたいと思っています。応援よろしくお願いします!

南無阿弥陀仏

【1月の言葉】思いから行いへ

せっかく立てた目標も、
実行しなければ達成できません。
まず一歩、踏み出してみましょう。
Right now, thake the first step toward achieving the goals youhave set.
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これから毎月、浄土宗月訓カレンダーの言葉を紹介していきます。字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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新しい年が始まって2週間が経ちました。
「一年の計は元旦にあり」とよく申しますが、みなさんはどのような願い(目標)を立てましたか?

願い(目標)をかなえるには、それに向け何かしら努力をしなければなりません。
頭ではわかっていても、私たちの心は弱いもの。やるべきこと、やらなければいけないことをつい先延ばしにしてしまいがちです…


実は、ギリシャのことわざにも「始めは全体の半分」という言葉があります。
始めてしまえば半分は終わったようなもの、まず手を付けることが大事、という意味です。
どの国、どの時代でも最初の一歩は、みんなためらったり、おっくうに感じたりするものなんですね。

思いから行いへ

今月の言葉は、まさに新たな年を迎え「今年こそ」と思う私たちの心に響く言葉です。
かくありたいという「思い」を声に出して人に伝えてもよいでしょう、文字にして目に入るところに掲げておくのもよいでしょう。きっとそれが、思いを形にする「行い」へつながることと思います。

年の初め、新たな心で「えいや」とその一歩を踏み出してみましょう(自戒を込めて)。
みなさま本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏

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