東日本大震災から12年

いわき市内の体育館での炊き出しの様子(2011.5.2)

今年も3.11の日を迎えました。

当時、大学院生だった私(副住職)は、福島県いわき市に行き、避難所で生活する被災された方々に温かい食事を提供するために、地元浄土宗青年会と一緒に炊き出しを行いました。避難所が閉鎖された後は、仮設住宅を訪れ、サロン活動などにも参加しました。

また、住職は石巻や陸前高田を訪問し、その惨状を目の当たりにして、慰霊の行脚を重ねてきました。

あれから12年。地震や津波で亡くなられた方にとっては13回忌を迎える日です。まだ行方不明のままの方もいらっしゃいます。いまだ故郷に帰れぬ方もいます。同じ日本に生まれた者として、自分に何ができるだろうかと考えさせられることばかりです。

最近のことですが、ある新聞にこんな短歌が掲載されていました。

「死にたいな」「僕もさ」「わかる」「頑張ろな」 落書き続く 仮設のトイレ

避難所の外に設けられた仮設トイレの壁に、誰ともなく悲しい胸の内を書き、どうしようもない辛い思いを吐き出した一言。それに呼応するような共感の言葉と、一緒に乗り越えていこうという激励の言葉。

直接言葉を交わしたわけではないけど、仮設のトイレという「伝言版」を通じて、目に見えぬ連帯が生まれた様子がありありと描かれています。

苦しいのは自分だけじゃない。辛いのは自分だけじゃない。やりきれない気持ちをみんな抱えている。だからこそ一緒に生きていこう。

筆舌に尽くしがたい困難に直面した時、苦しみを理解し、支え合おうという気持ちを持つ人がいるとわかるだけで、おおいに勇気づけれられることと思います。

あの時ほど、家族や仲間同士の絆が大事だと感じたことはないでしょう。

あの時の想いを忘れずに、日々を過ごしてまいりたいと思います。

南無阿弥陀仏 合掌

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