【4月の言葉】未来は善き縁で開かれる

この季節にはさまざまな出会いがあり、
なかには善い方向へと導いてくれるものも。
一つひとつの出会い、大事にしたいですね。
Good encounters can lead you to a better future.
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浄土宗月訓カレンダーの4月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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春は別れの季節でもあり、出会いの季節でもあります。
新しい環境に身を置き、新たな交友が生まれる方もいるでしょう。
ライフステージの変化により故郷に戻り、旧友との再会を果たす方もいるでしょう。

仏教では縁起(えんぎ)という考え方があります。もともとは「因縁生起(いんねんしょうき)」という言葉ですが、私たち人間やすべての物事は、互いに関係しあって、また影響を与え合って存在しているという意味です。

もう少し詳しく言うと、因とはそれなくしては生じえない原因のこと、縁とは生じるための諸条件のことをいいます。例えば、花を咲かせるそもそも種を植えなければいけません。したがって、花にとっての因は種にあたります。しかし、種だけあれば花が咲くわけでもありません。適度な気温、日光、水など、眼を出し、根を張り、成長するための条件が必要です。この諸条件が縁となります。

私たちに置き換えてみれば、今ここにこうしているのは、父母あってこの世に生を受けたからにほかなりません。そうしてみれば、父や母は、まさに直接の原因です。一方、「私」というアイデンティティを持った人間が存在するのは、こんにちまで生きてきた中で、多くの人に出会い、感化され、学んだり、喜んだり、悲しんだり、悩んだりしてきたからです。先生、友達、兄弟姉妹、近所の人、さらには偉人や有名人など、直接話したり、その言葉に感銘を受けたり、経験や体験を通じて「私」という自己が形成されてきたのではないでしょうか。これらの方々(もちろん父母も含め)が、こんにちの私を私たらしめる条件(縁)ということになります。

また、これは一方的な関係ではありません。私たち自身もまた誰かの因となり、縁となりえます。私たちは、こうした相互の関係性の中で互いに支え合い、助け合って存在しているのです。

未来は善き縁で開かれる

きっとこの春の出会いの中で、新たなことに挑戦したり、これまで気づかなかったことに気づいたりして、新しい自分の可能性に触れることでしょう。そして新しい自分との出会いもまた、あなた自身を善き未来へと導く大きな原動力になるものと思います。

どうぞ人とのつながりを大事にお過ごしください。
何気ない日々の経験や体験を大切に受け止めてください。

わたしたちを未来へ導く善き縁は、きっとその中にちりばめられていることと思います。

南無阿弥陀仏

東日本大震災から12年

いわき市内の体育館での炊き出しの様子(2011.5.2)

今年も3.11の日を迎えました。

当時、大学院生だった私(副住職)は、福島県いわき市に行き、避難所で生活する被災された方々に温かい食事を提供するために、地元浄土宗青年会と一緒に炊き出しを行いました。避難所が閉鎖された後は、仮設住宅を訪れ、サロン活動などにも参加しました。

また、住職は石巻や陸前高田を訪問し、その惨状を目の当たりにして、慰霊の行脚を重ねてきました。

あれから12年。地震や津波で亡くなられた方にとっては13回忌を迎える日です。まだ行方不明のままの方もいらっしゃいます。いまだ故郷に帰れぬ方もいます。同じ日本に生まれた者として、自分に何ができるだろうかと考えさせられることばかりです。

最近のことですが、ある新聞にこんな短歌が掲載されていました。

「死にたいな」「僕もさ」「わかる」「頑張ろな」 落書き続く 仮設のトイレ

避難所の外に設けられた仮設トイレの壁に、誰ともなく悲しい胸の内を書き、どうしようもない辛い思いを吐き出した一言。それに呼応するような共感の言葉と、一緒に乗り越えていこうという激励の言葉。

直接言葉を交わしたわけではないけど、仮設のトイレという「伝言版」を通じて、目に見えぬ連帯が生まれた様子がありありと描かれています。

苦しいのは自分だけじゃない。辛いのは自分だけじゃない。やりきれない気持ちをみんな抱えている。だからこそ一緒に生きていこう。

筆舌に尽くしがたい困難に直面した時、苦しみを理解し、支え合おうという気持ちを持つ人がいるとわかるだけで、おおいに勇気づけれられることと思います。

あの時ほど、家族や仲間同士の絆が大事だと感じたことはないでしょう。

あの時の想いを忘れずに、日々を過ごしてまいりたいと思います。

南無阿弥陀仏 合掌

【3月の言葉】一つの言葉が励みとなる

あなたのさりげない一言が、誰かの支えになることも。
他人にかける言葉には気を使いたいですね。
A casual remark makes encourage others.
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浄土宗月訓カレンダーの3月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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みなさんは、まいったなぁというとき、何気ない誰かの一言で救われたという経験はありませんか。逆に、不用意に発した一言が誰かを傷つけてしまい、あんなこと言わなければ…と後悔したことはありませんか。

私たちが発する言葉は力を持っています。その力は、人を勇気づけるものにもなれば、人を傷つけるものにもなります。そのことをよくよく考えて、私たちは言葉を選ばなければいけません。

さて、仏教の修行の一つに「布施」があります。布施というと、「あぁ、お寺に収める寄付のことね」と思われるかもしれませんが、本来は貪りの心や、執着を離れるための行いのことを言います(お金はその一部に過ぎません)。

お金がなければ布施ができないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、『雑宝蔵経』という経典の中には、「無財の七施」(※)と呼ばれる布施行が説かれています。
その名の通り、財物がなくても他者に施すことができる行いのことを言いますが、その一つに「相手に柔らかい思いやりのある言葉をかける」というものがあります。難しい言葉では「言辞施ごんじせ」といいますが、別名「愛語施(あいごせ)」ともいいます。

なんだか字面は難しそうですが、いたってシンプルです。
辛そうな相手には、「どうしたの?」「何かあったの?」、悲しそうな相手には「大丈夫、そばにいるよ」、「力になるよ」、嬉しそうな相手には「よかったね」、「みんなも喜んでるよ」など、相手のことを慮って声掛けをすることです。

しかし、シンプルなことほどなかなかできないものです。ましてや、こちらの心に余裕がない時などは、他人のことより自分のことを優先に考えがち。相手の気持ちを推し量るどころか、どうしてこちらのことをわかってくれないのか!とつい突っかかってしまいます。

一つの言葉が励みとなる

あなたの言葉には力があります。ぜひ、その言葉を発する前に、投げかける相手のことを想像してみてください。言葉によって励まされた人は、きっとほかの人を励ます人になるでしょう。

人と人との間に優しい言葉があふれ、ともに励まし合う社会になれば、今よりももっと生きやすい世の中なると思いませんか。

ぜひ今日から実践していきましょう。

南無阿弥陀仏

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※無財の七施:誰でもいつでもできる布施行。以下の七つのことをいう。
眼施げんせ・・・相手を憎むことなく、好ましい眼差しで接すること。
和顔悦色施わげんえつじきせ・・・和やかな喜びの顔つきで接すること。
言辞施ごんじせ・・・相手に柔らかい思いやりのある言葉をかけてやること。
身施(しんせ)・・・相手を敬い、我が身を惜しむことなく、他に尽くしていくこと。
心施(しんせ)・・・善い心で相手の立場にたち心をかけていくこと。
床座施しょうざせ・・・相手に座席を設けたり、譲ったりすること。
房舎施ぼうしゃせ・・・自分の家を一夜の宿として提供すること。

涅槃会を行いました

2月15日13時より、当山本堂で涅槃会をお勤めしました。底冷えのする日でしたが、寒い中お集まりくださった方には改めて御礼申し上げます。

さて、涅槃会とは仏教の開祖であるお釈迦様を偲び、その恩に感謝するために行う法要です。お釈迦様は2月15日に亡くなられたと言い伝えられていますので、多くのお寺ではこの日に涅槃会を行います。当山でも、13時より法要を勤め、その後、住職が絵解きを行いました。

絵解きでは、臨終に際し、頭北面西(頭を北向き、顔を西向き)にして横たわるお釈迦様の姿から、ご遺体を北枕にして寝かせるようになったこと、お釈迦様のお母様である摩耶夫人が我が子を助けようと薬袋を投げたことから「投薬」という言葉が生まれたことなど、現代の風習や言葉に通じうルーツがこの涅槃図に描かれていることをお話いたしました(※薬袋は一説には修行者の持ち物を入れる、衣鉢袋とも言われています)。

また、横たわるお釈迦様のまわりにある樹木は沙羅双樹の木です。全部で8本ありますが、4本は葉が青々と茂り、もう4本は葉が白く枯れています。これは、お釈迦様が残した仏教が不滅であることと、肉体はあるものはいずれ滅びるという無常観を示したものです。

誰もが習う平家物語の冒頭にある「娑(沙)羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」の一節はまさにこのことを言っているのです。

こうした「絵解き」はまさに仏教に親しむ機会となります。難解な言葉や教えも、こうして絵にして視覚的にとらえることで、多くの人が仏教の教えを理解することができます(キリスト教の教会にあるステンドグラスや絵画、彫像なども同じ効果があるといわれています)。ご参加の皆様にも、普段の法話以上に伝わったのではないでしょうか。

さて、ここで豆知識をひとつ。

お釈迦様が亡くなられたのは2月15日と言われていますが、そのほかにも、生まれた日は4月8日、さとりを開いた日は12月8日と伝わっています。それぞれの日に、花祭り(降誕会)や成道会を行うお寺さんもあるのではないでしょうか。

しかし、この記念日はインドからシルクロードを経て、中国、朝鮮半島と伝わってきた北伝仏教(大乗仏教)にしか示されていません。一方、スリランカ、タイなど南伝仏教(上座部仏教)では、生まれた日、さとりを開いた日、亡くなった日はすべて同じ日とされています。

ウェーサク(Vesak)と呼ばれるこの記念日ですが、東南アジアでは、毎年5月満月の日とされ、この日は国連の定める祝祭として公式に認定されています。国連はさまざな国で構成される国際機関ですので、宗教についても多様性を重んじているのです。

ひとくちに仏教といっても、国によってその信仰や実践の形態はずいぶん異なります。時代や人に合わせて発展していったのが今の日本の仏教の在り方ですので、他国とずいぶん違うところもあります。そんな違いもまたいずれご紹介したいと思います。

南無阿弥陀仏

【2月の言葉】今できること 少しずつ

物ごとを成し遂げるには、積み重ねが大切。
少しずつでも着実に進めましょう。
Advance little by little, starting with the things you can do now.
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浄土宗月訓カレンダーの2月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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いつのまにか1月が終わってしまいました。
みなさんは、先月の言葉を覚えているでしょうか?
そうです。「思いから行いへ」というものでした。

2月の言葉はまるでこの続きのように聞こえますね。
いざ行動に移そうと思っても何から始めたらよいのか、どう始めたらよいのか、何に気を付けたらよいのかとためらわれている人もいらっしゃるかもしれません。あるいは、始めてみたもののこれでよいのか、ほかによい方法はなかったのか、この先何をすればよいのかと悩んでいる人もいらっしゃるかもしれません。

先のことを見すえてあれやこれや気をもむ。過ぎたときをふりかえり悔やむ。私たちにはよくあることです。

さて、お釈迦様は次のような言葉を残しました。

過去を追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、
揺らぐことなくどうずることなく、よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。

過ぎ去った過去や、まだ来ない未来に心を傾けるのではなく、今ここにおいて自分がなすべきことをせよ。明日も命があるかどうかは誰にもわからない、だからこそ悔いの残らないように今を生きよということです。やや強い語調ですが、それだけに重みが伝わってきます。

2月の言葉は、お釈迦様のこの教えを一言で表しているようにも思えます。

今できること 少しずつ

思いを形にするために行動は欠かせません。
しかし、はじめから大きなことをやろうとしたら二の足を踏んでしまうでしょう。
小さくてもよいのです。踏み出した足と逆の足をまた踏み出してみましょう。
駆け出さなくてもよいのです。ゆっくりでも歩き続けましょう。
少しずつでも前進すれば、果てしなく先にあると思えるものにもいずれはたどり着くことでしょう。

一歩一歩、自分の足元を見つめながら、ともに歩んでまいりましょう。

今できることを少しずつ、ね。

南無阿弥陀仏

【1月の言葉】思いから行いへ

せっかく立てた目標も、
実行しなければ達成できません。
まず一歩、踏み出してみましょう。
Right now, thake the first step toward achieving the goals youhave set.
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これから毎月、浄土宗月訓カレンダーの言葉を紹介していきます。字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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新しい年が始まって2週間が経ちました。
「一年の計は元旦にあり」とよく申しますが、みなさんはどのような願い(目標)を立てましたか?

願い(目標)をかなえるには、それに向け何かしら努力をしなければなりません。
頭ではわかっていても、私たちの心は弱いもの。やるべきこと、やらなければいけないことをつい先延ばしにしてしまいがちです…


実は、ギリシャのことわざにも「始めは全体の半分」という言葉があります。
始めてしまえば半分は終わったようなもの、まず手を付けることが大事、という意味です。
どの国、どの時代でも最初の一歩は、みんなためらったり、おっくうに感じたりするものなんですね。

思いから行いへ

今月の言葉は、まさに新たな年を迎え「今年こそ」と思う私たちの心に響く言葉です。
かくありたいという「思い」を声に出して人に伝えてもよいでしょう、文字にして目に入るところに掲げておくのもよいでしょう。きっとそれが、思いを形にする「行い」へつながることと思います。

年の初め、新たな心で「えいや」とその一歩を踏み出してみましょう(自戒を込めて)。
みなさま本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏

年末の応援会

12月29日(木)、法源寺会館で「年末応援会」が開催されました。

これは、青少年就労支援ネットワーク静岡の富士支部ココ☆カラさんを中心とした有志のボランティアさんによって、年末の行政の相談機関が閉まっている時期に、食べ物の提供や居場所の提供、生活相談などを行う活動です。今年で3回目となりますが、今回も法源寺会館をお使いいただきました。

当日は朝にNHKの取材が入り、お昼のニュース(静岡版)で報道されたこともあり、50人ほどの方が来場され、食事をしたり、食べ物を持ち帰ったり、休んだりされていました。

折しもこの日の静岡新聞の一面には、全国の自治体の自立相談支援機関での生活困窮相談が、今年上半期だけで17万件もあったことが記事になっていました。

長引くコロナ禍に加え、海外情勢や円安による物価高も追い打ちをかけた形となっているようです。とくに、もともと生活基盤がぜい弱な方がより影響を受けやすく、こうした官民の支援がより必要になってくることでしょう。

実際、お昼のニュースを見て会場に訪れた方も大勢いらっしゃいます。一方、ニュースを見てご寄付をお持ちくださった方もいらっしゃいました。また、お檀家様や知り合いの方から、この応援会のためにと事前に生活用品や食品をお預かりすることもありました。他者を思いやる方が多くいらっしゃること、本当にありがたいことです。

さて、大乗仏教の根幹には、智慧と慈悲の実践があります。

智慧とは単なる知識の習得ではなく、物事を先入観なくありのままに受け止め、真理を見極めること、そして慈悲とは、他者をいつくしみ、いたわることです。そして、一番大切なのは、これらを頭で理解するのではなく、実際の行動に移すことです。

私たちは弱い心を持つ凡夫です。煩悩によってあれやこれやと余計なこと考えてしまうかもしれません。

仏様のように、完全な智慧、完全な慈悲の実践は難しいかもしれませんが、それでもその理想に少しでも近づけるよう、自分が今できることを行う、これも立派な仏道修行だと思います。

そうした実践の場を寺院で提供できるならば、お寺としても非常に喜ばしいことです。

期間限定の活動ではありますが、当山の活動にご理解ご協力賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏

年末の大掃除

今年も例年のごとく、住職が外部指導員を勤める富士高剣道部の生徒さんにお手伝いいただき、お寺の大掃除を行いました。

本堂、位牌堂、書院(客殿)、枯山水、会館と掃除する箇所はたくさんありますが、大勢の若い力のおかげであっという間に綺麗になりました。

これで無事に新年を迎えることができます。

お手伝いくださった生徒さん、ありがとうございました。

さて、年末の大掃除ですので、普段なかなか掃除しないところも綺麗にしました。

その代表格が香炉(こうろ)です。別名「線香立て」とも言いますが、ここにお線香を立てると、灰の下に埋まった分は燃え残ってしまいます。そのままにしておくと、燃え残りの線香が灰の中でひしめき合い、やがて線香を立てることができなくなってしまいます。

そこで、香炉の中の灰をすくいザルで漉します(左)。すると、灰の中にある線香の燃え残りが出てきます(中央)。下に落ちた灰はきれいな灰です(右)。この作業を繰り返し、灰を掃除していきます。

最後、きれいになった灰だけをまた香炉に戻し、香炉を拭き上げて終わりです。
単純な作業ですが、灰はすぐ舞ってしまうので、香炉から出すとき、香炉に戻すときも丁寧にしなければなりません。もちろんくしゃみは厳禁です(笑)

ちょっと神経を使いますが、掃除が終わるとこの通り。清々しい気持ちになれます。

ぜひみなさんもご自宅の香炉のお掃除をしてみてください。香炉がきれいになると、きっとお線香を立てたくなるはず。お線香を立てるということは自然とお参りする機会が増えるということです。

そうすれば、お念仏がよりいっそう身近になることでしょう。お念仏をとなえれば心も洗われ、きれいになるはずです。どうぞ清らかな心で新たな一年を迎えましょう。

南無阿弥陀仏

境内の掃除をしました

12月7日、観音講にいらっしゃるみなさまのお力を借り、境内の掃除をしました。
風もなく日差しの暖かな午前中でしたが、秋から冬にかけての落ち葉が多く、まとめると7袋分の量になりました。気づかぬうちにこんなにゴミがあったのですね。私たちの心も同様です。知らず知らずのうちに汚れは溜まるもの。

払えども 払えども積む 胸の塵 南無阿弥陀仏の 箒はなすな

さとりとは程遠い凡夫の私たちは、普段の生活の中で、ついつい悪しき煩悩が芽生えてしまうものです。しかし、阿弥陀如来の光明の一つに清浄光と呼ばれるものがあります。それには、むさぼり・いかり・おろかさの三垢を消滅して心身に安らぎをもたらす功徳があると言われています。ですので、定期的に仏様に向き合い、私たちの心の垢を取り除いていただく必要があるでしょう。

お手伝いいただいた皆様は、まさに、清浄光のようなお働きをしてくださいました。おかげさまで、境内も短時間ですっかりきれいになりました。きっとお参りにいらっしゃる方も喜ばれることと思います。

お手伝いいただいた皆様、本当にありがとうございました。

南無阿弥陀仏

岳陽組おてつぎ奉仕団

知恩院三門

11月12日~13日、岳陽組の檀信徒の皆さんとおてつぎ奉仕団に参加し、総本山知恩院に登嶺してまいりました(おてつぎ奉仕団とは)。

みなさんで庭掃除

知恩院では別時念仏や礼拝、作務(掃除)に加え、布教師さんからの法話を伺い、信と行を深める機会をいただきました。とくに、夜の法話では、唱歌「ふるさと」の歌詞を手話付きで一緒に歌いながら、私たちの心のふるさと、帰っていくべき場所をお示しいただき、思わず胸が熱くなりました。

平等院鳳凰堂

翌日は、宇治の平等院、大津の石山寺を参拝し、観光も楽しみました。ちょうど昼頃から雨がぽつりぽつりと降り始め、石山寺では石段を上るのに苦労しましたが、本堂からの紅葉の景色は素晴らしく、一見の価値があるものでした。

紫式部ゆかりの石山寺

コロナ禍以降、組全体として遠出するのは初めてで、久しぶりの交流を通じて、横のつながりも深まったことと思います。日常を離れ、こうして浄土宗の教えや仏教文化に触れる機会を作ることは、自分自身を見つめなおすよい時間となるでしょう。それだけではありません、こうした機会を通じて、寺院と檀信徒の皆様が仲が深まるのはもちろんですが、寺院の垣根を超えて檀信徒の方々が知り合い、つながりができることで、より一層、ともに念仏に励もうという気持ちにもなるのではないでしょうか。

石山寺本堂からの眺め

仏教では、仏道に導いてくれる人のことを、善き友という意味で「善知識(ぜんちしき)」と呼びます。ぜひ、おてつぎ奉仕団にご参加いただき、みなさまにとっての善知識と出会ってください。みなさまのご参加お待ちしています。

南無阿弥陀仏

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