令和3年度 盂蘭盆会・新盆家供養

8月13日18時30分より、令和3年度盂蘭盆会及び新盆家供養を本堂にて行いました。

お盆は「盂蘭盆」(うらぼん)の略語といわれています。『盂蘭盆経』には、今日のお盆の風習につながる以下の様な逸話が説かれています。

お釈迦様の弟子のひとりに、神通力を持つ目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。ある日、亡き母がどうしているかと、神通力を使って母親の姿を探したところ、餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに苦しむ母親の姿が見えました。神通力で食べ物や飲み物を届けようとしますが、母親の元に届く前に火に包まれてしまい、母親を助けることはできません。何とか救いたいと願った目連尊者は、師匠であるお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、雨期に行われる修行を終えた修行僧であればその徳をもって母親を救えるかもしれない、したがって彼らに食べ物や飲み物をささげるよう目連尊者に告げました。そして、修行僧たちにもまた、この施しを受ける際には、施主家の七代の父母のために祈りを捧げるようにと伝えました。目連尊者はその通りに修行僧たちを供養し、その功徳によって目連尊者の母親は餓鬼道から救われました。

この逸話をもとに、当山では毎年8月13日に盂蘭盆会を厳修し、とくにその年に初めてお盆を迎える新しい仏様の供養をねんごろに行っています。

例年100人ほどの参加者があり、本堂内が満員になるほどの大きな法要ですが、今年は昨年同様、感染症拡大防止の観点から本堂でお参りいただくのは新盆家のみとし、本堂前での焼香、もしくはzoomを使ったオンラインでの法要参加を呼びかけました。

当日はあいにくの雨模様でしたが、本堂内には27名ほど、オンラインでも15名ほどの参加者がおり、本堂前での焼香台でも8名ほどの方がお参り下さいました。例年通りとはいかないまでも、様々な形でのご参加をいただきましたこと、改めて御礼申し上げます。

足元の悪い中お参り下さった皆様、オンラインでの法要にご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。

忘恩

今年は例年より早く梅雨入りを迎えました。

今年は、例年より早く、東海地方は梅雨入りを迎えました。ただ、じめじめと降り続けることはなく、むしろまだ本格的な梅雨入りとは言えない天気が続いています。傘の出番はこれからかもしれません。

さて、当山の三門前にはそんな傘にまつわる言葉を掲示してあります。

忘恩  借りた傘 雨が止んだら 邪魔になる

出かけた先で雨が降り出したら困りますよね。そんなとき、訪問先で親切に傘を貸してくださることもあります。「あぁ助かった、濡れなくてすむ」と思っていても、しばらくしたら雨が止むことこともあります。
借りた傘ですので、なくすわけにはいきません。あれほどありがたかった傘は、今度は手をふさぐ「荷物」に感じられるでしょう。「こんなことなら借りてこなければよかった」「こんなにすぐ止むなら雨宿りしていればよかった」と、さきほどの感謝の気持ちが後悔にかわるかもしれません。

私たちの人生はどうでしょう。

困った時、苦しい時、誰かの助けや存在が自分にとっての大きな支えになることがあります。
しかし、楽しい時、うまくいっている時はその恩を忘れがちです。時にはうっとうしく思うこともあるかもしれません。身近な人であればなおさらです。

また、人生の中での苦しみや悲しみに、仏教の教えが癒しをもたらすこともあるでしょう。
しかし、順風満帆な人生を歩んでいるときは、目に見えないものを心の拠り所と感じることはないかもしれません。

人生の雨の日に支えになったものを、晴れの日にも忘れずにいたいものです。

南無阿弥陀仏

念ずれば花ひらく

新年あけましておめでとうございます。

2020年は新型コロナウイルスに振り回された一年となりましたが、今年はどんな年になるのでしょうか。感染症が早く収まり、平穏な暮らしが戻ってくることを願っています。

「念ずれば花ひらく」とは、仏教詩人・坂村真民(さかむら しんみん)が残した言葉です。

しかし、当然ながら念じるだけでは花は開きません。種をまき、水をやり、気にかけ、世話をし、はじめて花が咲くのです。ところが、「花を咲かせたい」という想いがなければ、種を植えることも、水をやることもないでしょう。私たちは「こうしたい」という想いがあるからこそ、それに向かって努力をすることができますよね。何かを始めるきっかけ、それが念じること(=想いを起こすこと)なのです。

新年を迎え、皆様の心には様々な願いが起こっていることと思います。心に念じたら、それが成就するよう、日々精進したいものです。

今年一年、皆様の花がきれいに開きますように。

南無阿弥陀仏