【5月の言葉】完璧でないから つながれる

私たちは誰も万能ではありません。
だからこそ、お互いに頼り、頼られながら生きていく。
それでいいのです。
We can connect with one another precisely because none of us are perfect.
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浄土宗月訓カレンダーの5月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)さんという小児科医がいます。
この方は、生後間もなく脳性麻痺となり、以来、車椅子が手放せない生活をしています。東京大学医学部を卒業後、小児科医として10年ほど臨床経験を積み、現在は東京大学先端科学技術研究センターで障害と社会の関係について研究していらっしゃいます。

熊谷さんは「自立とは依存先を増やすこと」とおっしゃいます。

私たちは「自立=自分で何でもできるようになること」と思いがちです。人に頼らないで生活することを「自立」としたら、障害や病気を持ち介護が必要な人は一生自立することができないということになります。

ある学会の講演で、熊谷さんがこんな話をしてくださいました(記憶を頼りにまとめたものですので正確性はお許しください)。

大学生になって一人暮らしを始めた私に、介護スタッフがこう言ったんです「熊谷さん、これからは自分でできることは自分でしましょうね」と。当時は私も若かったので、「なぜ私だけにサバンナの掟を適用するのですか」と言ってしまいました。たしかに、私だって頑張れば靴下も履けます。ただし、2時間くらいかかりますが(笑)できるできないで言えば、「できる」になるのでしょうが、でも人の手を借りた方が圧倒的に早くできます。健常者の人だって同じです。服や靴を自分で作っている人はそれほどいないはずです。食事を食べるのにも、自分で野菜を作ったり、魚を獲ったりする人もそういないでしょう。それぞれ商品として購入しているんです。人は得意不得意があって、不得意なことはサービスや商品で置き換えて生活しているのに、なぜ障害者だけが不得意なことも自分でやることを勧められなればいけないのか、と思ったのです。(2024年11月 スピリチュアルケア学会 基調講演)

サービスや商品の形をとると見えづらくなってしまいますが、私たち多くの人の世話になっています。いわば他者とのつながりの中に日々の営みを築いています。

誰にも頼らずに生きていくことは不可能です。熊谷さんは、頼って生きることの大切さだけでなく、その頼り方についてもお示しくださいました。

依存先(=頼れる人、場所)が一つだと相手にも過度の負担がかかってしまいます。しかも命綱は一本ですから、その依存先がなくなれば、たちまち生きていけなくなります。しかし、いくつもの依存先(=頼れる人、場所)を作っておけば、一つ一つの依存先の負担は軽減されるし、ここがダメでもまだ次があると心の余裕につながることでしょう。

逆説的に思えますが、人が自立するためには頼れる人や場所をできるだけたくさん作っておくことが大事なのです。そして、依存先を増やすためには、自分一人では生きていけない、自分自身は至らない者である、という自覚が必要です。

浄土宗の教えでは、これを「愚者の自覚」といいます。

完璧でないから つながれる

万能でないからこそお互いに頼り、頼られながら生きていく。
頼ることを恥ずかしいと思わず、頼られることを煩わしいと思わず、時には助け、時には助けられ、心豊かな日々を送りたいものですね。

南無阿弥陀仏

【4月の言葉】呼ぶ喜び 呼ばれる嬉しさ

知らない人に声をかけるのは勇気がいります。でも、その一言がよりよい関係を築いていく一歩になりますよ。
Talking tto someone for the first time takes courage, but can also be the beginning of a good relationship.
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浄土宗月訓カレンダーの4月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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4月は進学や就職など新たなステージで新たな出会いを経験する人も多いでしょう。
初めての場所で期待と不安を抱きながらドキドキしているとき、仲間ができるとうれしいですよね。

これから起こるであろう楽しいことを分かち合える人との出会いには誰しも胸が躍ります。

最初のきっかけづくりが肝心です。自分から声をかけるか、それとも声をかけられるのを待つのか。本当は自分から声をかけたいのにそっけなくされてしまうのが怖くて、つい声をかけられるのを待ってしまう。そんな気持ちもわかります。

自分がそんな不安を感じているなら相手もそうかもしれません。勇気をもって声をかけてみると意外とうまくいくこともあるでしょう。

そんな時はぜひ名前を呼んで声をかけてみてください。名前を呼ばれると人は不思議と嬉しくなります。なぜなら、他ならない私を認識してもらっている、覚えてもらっている、という感覚が沸き上がるからです。

呼ばれることの嬉しさを感じた人は、名前を呼ぶことにも積極的になれるはず。人を嬉しくさせるというのは、言い換えれば人を幸せにするということ。「幸せにする」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、日々の生活の中に心がほっとする、豊かになる、そうした瞬間にも私たちは「幸せ」を感じます。ですから、名前を呼ばれて嬉しいなぁと思ってもらえたら、それは小さな幸せを提供できたということです。

周りの人を幸せにできることは喜ばしいですよね。

呼ぶ喜び 呼ばれる嬉しさ

さて、浄土宗では「なむあみだぶつ」と念仏をとなえることが大事と説きます。これは、阿弥陀仏の名前を呼ぶことにほかなりません。

法然上人が師と仰ぐ善導大師の遺した書物の中に、「衆生しゅじょうほとけとなうれば、ほとけこれをたまう」(わたしたちが阿弥陀様の名前をとなえれば、阿弥陀様はお聞きくださる)という一説があります。その名をとなえれば、きっとその声は届くということです。

さらに、その先には「衆生しゅじょうほとけねんずれば、ほとけ衆生しゅじょうねんたまう」(わたしたちが阿弥陀様を念じれば、阿弥陀様もまた私たちのことを念じてくださる)と続きます。私たちが思いをかければ、阿弥陀様もまた私たちに思いを寄せてくださるということです。

きっと阿弥陀様は、私たちの呼ぶ声を聴き「よく頼ってくれたね」と喜び、救いの手を差し伸べてくれることでしょう。

今月の言葉には、そうした意味合いも込められているのではないでしょうか。

現世での人との関係性であれ、来世を願う中での仏様のとの関係性であれ、名前を呼ぶことはとても大事なコミュニケーションと言えるでしょう。新年度、新生活で初めて会う人同士に限らず、普段の生活の中で、身近にいる人、いつも接している人にもぜひ和顔をもって名前をよんであげてください。

南無阿弥陀仏

春彼岸信行会をお勤めしました

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、この1週間はみぞれが降るほど冷え込んだり、汗ばむ陽気になったり、体調管理が難しい1週間でした。

そのようななか、17日には春の彼岸を迎え、中日である20日にはの春彼岸信行会を本堂にておつとめしました。

彼岸は中日を境に前後3日ずつありますが、この1週間の間に彼岸(=さとりの世界、浄土)へ行くための仏道修行を行う時期と言われています。仏道修行は以下の6つで、これらを六波羅蜜と呼びます。

布施(ふせ)・・・貪りの心を捨て他者に施すこと
持戒(じかい)・・・きまりを守ること、もし破ったら悔い改めること
忍辱(にんにく)・・・ぐっとこらえて我慢すること
精進(しょうじん)・・・努力を怠らないこと
禅定(ぜんじょう)・・・心を静かに精神集中すること
智慧(ちえ)・・・偏らない心で物事を正しく見ること

中日は春分の日で、ちょうど太陽が真東から上がり、真西に沈む日です。
沈む夕日の先には西方極楽浄土があるといわれています。
西方極楽浄土には先立った方々がいらっしゃると信じられてきました。
西に傾く太陽のその先に西方極楽浄土を想い浮かべ、そこにいらっしゃる故人に思いを馳せ念仏にいそしむのがお彼岸のあるべき過ごし方と言えるでしょう。

そうはいってもみなさまお忙しく、なかなかお参りに来ることは難しいようで、今回の信行会は少人数でのお勤めとなりました。
しかし、念仏一会の時間をたっぷりとり、礼拝も行いましたので、阿弥陀様のお顔を見ながらしっかりとお念仏をとなえることができたのではないかと思います。

忙しい日々の中で足を止めて、家族のこと、自分のことを想いながら時を過ごす。

ご参加いた皆様にとっては、そのような時間になったのではないかと思います。
一人ひとりの念仏の声がだんだんと大きくなり、本堂によく響いた春彼岸のお勤めとなりました。
よくぞお参りくださいました。

南無阿弥陀仏

【3月の言葉】香薫にあの人を想う

3月はお彼岸の月です。漂う春の香りに、極楽浄土の大切な方々へ想いを寄せるひと時としてください。
With scents of spring at Ohigan (equinox), let us turn our thoughts to the loved ones in the Pure Land.
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浄土宗月訓カレンダーの3月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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2月は寒い日が続きましたが、このところ気温がぐっと暖かくなってきました。
花粉もちらほらと飛んでいるようで、花粉症にはつらい季節が始まります。

3月は春の彼岸のある月です。このお彼岸の時期にお墓参りに行かれる方も多いでしょう。

今年は、3月20日が春分の日(お中日)ですので、その前後3日間を含め7日間がお彼岸になります。当山では20日の18:30より彼岸信行会を行います。ぜひ本堂にお参りいただければ幸いです。

さて、今年の月訓カレンダーの3月の言葉は、「香薫にあの人を想う」です。

香薫は香と薫という二つの文字が組み合わさっています。どちらも「かおり」を意味するものですが、少しニュアンスが異なります。

「香」という字は、鼻で感じられるよい匂いがすることを意味し、具体的に感じる匂いとして用いられます。一方、 「薫」は、どことなく匂うという意味で、漂っているにおい、肌で感覚的に感じられることに対して使われ、比喩的・抽象的な表現に用いられるといいます。

仏教には、薫習(くんじゅう)という言葉があります。薫習とは、香りが物に染みつく様子になぞらえた表現で、人の精神や行いが別の人の心にまで影響を与えていくことを意味します。たとえば、よい人と行動を共にしていると、気がつかないうちに自分もよい行動をとるようになる、といったことです。

自分の考え方や行動は亡き人の薫習の賜物かもしれません。今月の言葉には、お線香のよい香りが亡き人の記憶を喚起するだけでなく、自分の内側にあるものにふと気づいた時に、亡き人の存在やありがたさにあらためて気づく、という深い意味があるように思えます。

ぜひこの春彼岸を機縁として、この世では会えない大切な人に想いを寄せてみてください。

みなさんは香薫の向こうにどんな人を想い浮かべますか?

南無阿弥陀仏

涅槃会と絵解き―「如是我聞」の秘密

2月15日は、お釈迦様が涅槃に入られた(亡くなられた)日といわれています。涅槃(ねはん)とはサンスクリット語のニルバーナを音を漢字にあてたもので、さとりの境地、苦しみが消滅した状態を意味します。当山では、2月15日の13時より、後世に残る仏教の開祖であるお釈迦様のご遺徳を偲び涅槃会を厳修いたしました。

涅槃会の後は、「絵解き」を行いました。絵解きとは図像の解説のことです。

少しご紹介しますと、お釈迦様が横になっているすぐ下に、伏してうなだれている若いお坊さんがいます。この人は阿難(あなん)といい、お釈迦様に付き従い、身の回りの世話をしていたお弟子さんです。お釈迦様の十大弟子の一人で、お付きとして常に説法を聴いていたことから多聞第一(たもんだいいち)と呼ばれていました。師として長年仕えてきたお釈迦様の入滅に際し、自分はこれからどうしていったらいいのかと嘆き悲しむ様子が描かれています。

阿難はその後、仏典の編集で大きな功績を残します。

中央下にいる若い僧形の人が阿難です

多くのお経は「如是我聞」(かくのごとく、われ聞けり)で始まることが多いのですが、この「我」とは阿難のことです。お釈迦様が亡くなった後、弟子たちが集まって、教えを書き記そうとしました。これが後にお経となるのですが、その際、お釈迦様のそばでよく説法を聞いていたことから、阿難は経典の編集者として重宝されることになります。

もし阿難がいなければ、如是我聞(現代語訳:お釈迦さまからこのようにうかがいました)といって始まるお経はなかったかもしれません。

2月いっぱいまでおまつりしてありますのでぜひご覧ください。

【2月の言葉】ほのかな光で花は開く

わずかな光の下でも植物が少しずつ育つように、
日々の小さな出来事も自分の糧としていくことが大切です。
A flower will bloom even with the faintest of light.
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浄土宗月訓カレンダーの2月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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みなさんは「因縁」という言葉を聞いたことがありますか。実は「因縁」は仏教の言葉なのですが、因と縁はそれぞれ違う意味があります。

因とは直接の原因となるもの、それに対して縁とは間接的な条件のことです。

花で例えるなら因は種です。種がなければどんな植物も芽を出しません。それに対して、縁は土や水、日光など、芽を吹かせ、葉を茂らせるための様々な条件のことを指します。種がなければそもそも芽が出ませんが、種さえあれば花が咲くかと言ったら決してそんなことはありません。因と縁があわさって、初めて花が咲くのです。

このことを仏教では因縁生起(いんねんしょうき)といい、世の中のありとあらゆるものはこの因と縁によって生じていると説きます。

もちろん私たちもです。

因とは、この世に生を授けてくれた両親のことでしょう。そして縁とは、家族や友人、恩師など、今の自分を形づくるのに欠かせない人たちのことですね。場合によっては、「あの時のあの経験が」とか、「あの人のあの言葉が」とか、過去に体験したことが今の自分に大きな影響を与えているという人もいるかもしれません。まさにこれも縁といってよいでしょう。

今年の月訓カレンダーの2月の言葉は、「ほのかな光で花は開く」です。

縁は、出会った直後、体験した直後は何とも思わなくても、後になって心にずしりと響いてくるものもあります。今は関係ないと思っていることでも、後から振り返れば「あれがターニングポイントだったな」と思うことも少なくありません。

きっと、日々の小さな出来事も、私たちを形づくる縁となっていくことでしょう。
そして、私たちもまた誰かの縁になることでしょう。
私たちが縁によって花を開かせるように、私たちもまた誰かの花を開かせる縁になるに違いありません。

世の中に美しい花がたくさん咲くよう、縁を紡いでゆきたいものですね。

南無阿弥陀仏

【1月の言葉】新たな芽の出る年に

今年はどんな年になるのか、どんなことをしようか、
そんな期待にワクワクしながら、目標を立てるのもいいものですね。
This is the year to take another step forward.
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浄土宗月訓カレンダーの1月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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新年あけましておめでとうございます。

一年の計は元旦にありと言いますが、みなさんはどのような目標を立てましたか?
これまで続けてきたことがもっと上達するようにと願う人もいれば、新たな事に挑戦しようという人もいるかもしれません。受験や就職などまさに今正念場を迎えようとする人もいるでしょう。新年の決意は人それぞれですが、どんな目標でも立てて、そこに向かって努力することが大切です。

今年の月訓カレンダーの1月の言葉は、「新たな芽の出る年に」です。

新たな芽が出るには、枝から栄養を送らなければなりません。
枝から栄養を送るためには、幹がしっかりしていなければなりません。
幹がしっかりするためには、根が深く張られていなくてはなりません。

私たちが日々行っている何気ないことも、実は新たな芽を吹くための根っこになっているのかもしません。一日一日、一言一言、一挙手一投足を大切に、暮らしてゆきたいものです。

さて、今年は巳年。干支の動物はヘビです。ヘビは金運の象徴としてよく知られていますが、脱皮をすることから再生や新たな命の象徴としても崇められています。

年頭に思い描いた新たな自分に生まれ変わる一歩をともに進んでまいりましょう。

南無阿弥陀仏

【12月の言葉】見守られている幸せ

阿弥陀さまはどんなときもやさしく見守ってくださっています。お念仏をとなえれば、そのぬくもりを感じられるはずです。
The people you love who have passed away are watching over you.
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浄土宗月訓カレンダーの12月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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今年もあっという間に師走を迎え、一年が終わろうとしています。町の木々が慌てて色づいたかと思うと一気に冷え込んできました。肌を刺すような風に、今年も暮れが迫ってきたなと感じる今日この頃です。皆様にとってこの一年はどのような年だったでしょうか。

さて、我が家には3人の小さな子どもたちがおりますが、子どもたちと一緒に生活していると、日々の成長に驚かされることが多くあります。いつの間にかこんなことができるようになっている、あんなことができるようになっている、自分の成長の遅さに比べると羨ましいことばかりです。

先日、自転車の練習をしていた時のことです。

最初は後ろをつかんでいなければ転ぶことを恐れて漕ぎ出そうともしなかったのに、だんだん慣れてくると手を添えなくても前に漕ぐことができるようになりました。一緒に並走しながら「今、支えてないよ」と言うと、本人も驚いた様子で「あれ?私自転車乗れてる!」と喜んでいました。一度乗れるという体験をつかむとあとは早いものです。何度も何度もお寺の参道を自転車で嬉々として往復していました(その間、父は自転車の後ろをダッシュし続けていました…)。

一人じゃ怖くてできないと思っていたことも、誰かに見守ってもらえることで安心して挑戦することができます。失敗したって大丈夫、受け止めてあげるよ、そういう視線を感じることでのびのび取り組むことができます。

年をとるとなかなか見守ってくれる人がいなくなってしまいますが、私たちにはお浄土から見守ってくださる方もいます。仏壇やお墓の前で、今日はこんなことがあったよ、今度こんなことをするんだと語りかければ、目を細めて聞いてくださっていることでしょう。

もちろん阿弥陀様も私たちを見守ってくださっています。道を外さないよう、極楽浄土へ迷わず来られるよう、慈愛の眼差しでもって私たちを照らしてくださっています(月影の歌)。

見守られている幸せ

見守られていることを感じられるのは幸せなことです。

自分一人の人生ではない、誰かがそばで見守ってくれている。そう思えるだけで、前に進む力が湧いてきますよね。

私たちはひとりではありません。これまでも、これからも。

見えない視線を感じながら、手を合わせて共に暮らしたいものです。

南無阿弥陀仏

【11月の言葉】共に願い 共に生きる

知る、知らずにかかわらず多くのつながりによって生きている私たち。同じくお浄土へと歩む者同士、支え合う心を大切に過ごしていきたいですね。
Let’s us support each other for a better and happier life.
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浄土宗月訓カレンダーの11月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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今年は法然上人が浄土宗を開いて850年目の節目の年にあたります。
法然上人が浄土宗を開くにあたって多大な影響を受けたのが善導大師というお坊さんです。

善導大師は中国唐代初期に活躍した阿弥陀仏信仰者で、法然上人が生まれる500年ほど前に活躍した僧侶です。当然、直接会ったことはありませんが、法然上人は善導大師が遺した書物に大きな影響を受け、「阿弥陀如来の化身」と評するほど、絶大な信頼を寄せています。

さて、その善導大師の著した『往生礼讃』には「願共諸衆生 往生安楽国」という一説があります。意味は「もろもろの衆生とともに安楽国(極楽浄土)に往生することを願う」というものです。

往生とはってまれること、すなわち、共に生まれることを共に願うのがこの偈文です。

大正から昭和にかけて活躍した浄土宗の僧侶に(しい)()(べん)(きょう)というお坊さんがいます。仏教学者であり、大正大学の学長や大本山増上寺の御法主も務めたほか、第1回普通選挙(1928年)に立候補し当選すると、その後、衆議院議員を3期も務めました。近代浄土宗を代表する僧侶ですが、仏教を社会生活の中に生かす「共生(ともいき)運動」を広めたことでも知られています。

椎尾大僧正は、いまあるすべてのいのちの連綿とした繫がりを大切にしたいという考えのもと、「共生」を「ともいき」と呼びました。「共に生まれる」だけでなく「共に生きる」こと、過去、現在、未来の命のつながりだけでなく、現世における人と人、人と生き物など、命のつながりに着目したのです。

死んだら終わりではない死生観は浄土教の大きな特徴です。

共に願い 共に生きる

「また会えるね」「また会おうね」極楽での再会を願い、そのために今をどう生きるのか。「また会いたい」とお互いに思えるようにするために、どう生きるのか。

「ともいき」には、今だけ、ここだけ、自分だけの価値観とは全く違う、いのちのつながりの中で自分をとらえようとする哲学が感じられます。

大切な人のことを願い、大切な人と共に生きるには何が大事でしょう?

秋も深まり夜が長くなってきました。ゆっくり考える時間はありそうです。

南無阿弥陀仏

吉水先生ご法話「真の佛教徒とならん」

先日の十夜法要ならびに開宗850年慶讃法要へのご参加ありがとうございました。

当日ご参加できなかった方や遠方の方、はては同じ浄土宗の僧侶の方々から、吉水上人のご法話をぜひ聞きたいとの声を頂戴いたしました。
そこで記録用に録画したものを公開してよいか吉水上人にお願いしましたところ、ご快諾いただきましたので、多くの方にお聞きいただければ幸いです。

本当に素晴らしいご法話です。

南無阿弥陀仏

【吉水岳彦(よしみずがくげん)上人プロフィール】
1978年生まれ。2009年に若手僧侶有志と「社会慈業委員会 ひとさじの会」を発足。以来、ホームレス状態にある人や身寄りのない人の葬送支縁、浅草山谷・上野地域における炊き出し夜回り、東日本大震災被災地支縁に取り組んできた。一方、2016年には病院のスピリチュアルケアワーカーとしての活動を開始。2017年に、自坊に「こども極楽堂」を開設し、子どもの居場所支縁を行う。現在、浄土宗光照院住職、大本山増上寺布教師、ひとさじの会事務局長、大正大学非常勤講師、淑徳大学兼任講師、東京慈恵医科大学病院非常勤講師。公益財団法人仏教伝道協会 第58回仏教伝道文化賞・沼田奨励賞 受賞。

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