
自分が為すべきことに全力で取り組んだ時、
たとえ結果がどうであれ、後悔はないものです。
When you have done your best, there are no regrets.
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浄土宗月訓カレンダーの12月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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今月の言葉は『無量寿経』の中の一説「我行精進 忍終不悔」です。経典の一節ですので、あまり聞きなれない言葉かもしれません。これは阿弥陀如来がまだ修行中の身にあった頃、多くの人を救う仏となるために「どんなにつらいことにも耐え忍び、修行に励んで、決して後悔することはない」と誓った偈文で、ここには多くの衆生を救いたいという強い決意が表れています。
私たちは、結果が得られやすいことには取り組みますが、どうなるかわからないものに一生懸命汗をかいて取り組むということをついつい嫌がってしまいます。かけたコストが回収できないなら最初からやらないほうがよいということですが、損得勘定で物事を判断するとついそうした姿勢になりがちです。
努力は必ず報われるとは限りませんが、成功した方は必ず努力をしています。たとえ成果が出なくても、まっすぐに向き合い、努力をしたという経験は何物にも代えがたい財産となるでしょう。
仏教詩人の坂村真民の言葉に「念ずれば花ひらく」というものがあります。
有名な言葉ですが、これは実は詩のタイトルでその先に続く文があります。
以下に紹介しましょう。
念ずれば
花ひらく
苦しいとき
母がいつも口にしていた
このことばを
わたしもいつのころか
となえるようになった
そうしてそのたび
私の花がふしぎと
ひとつひとつ
ひらいていった
「念ずれば花ひらく」は真民の母親がよく口にしていた言葉だそうですが、これはただ念じさえすれば、花がひらく(成果が出る)というわけではありません。
念という字は、「今」と「心」という字から成ります。今この時を心に懸け、一瞬一瞬を精一杯生きることです。精一杯生きるとは、手を抜かない、努力を怠らないということです。つまり、心の中で念じて夢がかなうのを待っているのではなく、日々を精一杯生きていけば、夢や目標がかなうという意味です。
真民は次の詩も残しています。
よくやった
よくやったと
いつの日か
世尊にほめていただく
詩人になろう
そう念じて
その日
その時を
充実させて生きてゆこう
点火された灯りを
消さないように
足もとをよく見つめ
懈怠なく
一歩一歩
世尊に接近してゆこう
世尊とはお釈迦様のことです。懈怠とは「けたい」と読み、なまけることです。特に仏教では、悪を断ち切り、善を修する努力を尽くしていないことを懈怠と言います。
真民は、いつの日かお釈迦様に褒められる詩人になりたいという願いを、その日その時を一生懸命生きることで叶えようという決意を表明しています。ここでも願いを念じてはいますが、その達成のために努力を怠らないことが示されています。
我行精進 忍終不悔
私たちはなかなか阿弥陀様のようにはいかないかもしれませんが、一念発起し頑張る姿は尊いものです。
まずは私たち自身が、目標に向かって精一杯努力し、汗を流すことの格好良さを次世代を担う子や孫に伝えていけたらきっと社会はより良くなるのではないでしょうか。
南無阿弥陀仏



















