
合掌する左右の手、それは、仏様に対する深い思いの表現。
その時、平和でおだやかな時に抱かれます。
When you bring your hands together in prayer,
you bring the Budda and yourself together.
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浄土宗月訓カレンダーの10月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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今から20数年前、初めての海外旅行はインドの仏跡巡拝でした。
仏跡とはお釈迦様にまつわる場所のことで、お生まれになったルンビニ、さとりを開かれたブッダガヤ、初めて法を説いたサ-ルナート、そして涅槃に入られたクシナガラの四つを四大聖地と呼びます(このうちルンビニはネパールにあります)。
インドでは毎日カレーを食べましたが、インドの方は手で召し上がります。そして、使うのは決まって右手だけです。なぜなら、インドでは右手は清浄な手、左手は不浄な手として認識されているからです。こうした、手に対する浄不浄観はヒンドゥー教由来のものです。ヒンドゥー教の原型は、バラモン教と言われていますが、バラモン教は古代インドから多くの人々の生活や思想に影響を与えていました。合掌もその一つです。
合掌は、右手はさとりを開いた迷いなき仏を、左手が迷いの世界に生きる私たち衆生を表し、この浄なる右手、不浄なる左手をあわせることで、仏さまと私たちが一体となることを願う姿を象徴すると言われます。
その昔、仏壇屋さんのCMで「お手てのしわとしわを合わせて“しあわせ”、なーむー」というものがありました。今でも合掌する時というのは、仏事以外でも、敬意や感謝を示すときに使います(ときには謝罪も?)。仏と私が一体となった姿ですので、いくら至らない私たちでも仏の力で心が清らかになりますから、自然と穏やかな心になるものです。
右は仏 左は私 合わす掌
10月はお十夜シーズン。浄土宗の各寺院で十夜法要が営まれます。
十夜法要とは、十日十夜にわたって行う念仏会のことで、古くは室町時代、鎌倉光明寺九世であった観譽祐崇上人によって浄土宗にもたらされた由緒ある法要です。この季節、きっとお寺にお参りして念仏を称える機会も多くあることでしょう。
合す手と手に御仏を感じながら、御仏の名を声に出す。きっと心は穏やかになるに違いありません。合掌して念仏を称えるこの素晴らしい勝縁に、ぜひともお参りいただければと思います。
南無阿弥陀仏