令和5年度 岳陽組檀信徒総会開催

5月14日(日)、岳陽組檀信徒総会が法源寺会館にて行われました。

浄土宗ではおおよそ各県に一つの教区があり、教区の中に「組」という単位の地域ごとのグループがあります。岳陽組というのは、富士・富士宮・沼津にある13か寺の浄土宗寺院で構成されています。この檀信徒会は、檀信徒同士でおてつぎ奉仕団に参加したり、団参に行ったりと、横のつながりを持つ場となっています(先日の春の団参はこの檀信徒会の行事です)。

昨年から対面で開催されていましたが、今年は新型コロナウイルスも第5類に移行したこともあり、各寺院の総代さん、世話人さん方、総勢58名の参加をいただき、昨年よりも規模を大きくしての開催となりました。こうした集会が再開されるにつけ、コロナ禍がひと段落し、「日常」が戻ってきたのだと実感いたします。

この総会をもって、法源寺檀家総代の井出公治さまが2年間の会長の任期を終え、次の会長へとバトンを受け渡されました。コロナ禍に悩まされ、気苦労の多い2年間でしたが、辛抱強く岳陽組檀信徒会を守っていただいたと思います。お疲れさまでした。

総会後には、東京教区香念寺(葛飾区・亀有)の下村達郎住職をお招きし、「語り合いから生まれるともいきの輪 〜お寺での介護者カフェ活動〜」と題した講演をいただきました。

下村上人が住職を務める香念寺さまでは、浄土宗総合研究所のプロジェクトをきっかけに、2016年から介護の経験や思いを分かち合う「介護者の心のやすらぎカフェ」を開催されています。

現在、家族の介護をしている人(介護者)は全国で650万人を超えるといわれています。そして、突然始まり、いつ終わるともわからない介護の中で、「本当はこうしてあげたいのにできない自分がもどかしい」「親の介護に兄弟が協力してくれない」「ついキツくあたってしまう」など、さまざまな悩みや葛藤を抱えている介護者も少なくないそうです。

そうした心のうちを打ち明けたり、相談したりする場として、お寺を活用するという動きも浄土宗では広がってきています。大事なのはアドバイスすることではなく、心の声を受け止めるということ。今風にいえば、傾聴(けいちょう)と言い換えられるかもしれません。四苦でいう、老・病・死に向き合う、仏教者ならではの活動といえるでしょう。「話を聴く」とは簡単なように思えてなかなか難しいことですが、僧侶として大事にしたいことです。

経験に裏打ちされた下村上人のお話から、これからの社会に必要な「心休まる場」としての寺院の可能性を感じました。また、参加者のほとんどは高齢の方でしたので、介護の話も身近に感じられたはずです。きっと今日のお話は心に響いたのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏

【5月の言葉】ゆっくり休んで また動き出す

疲れたときは、ひと息つくことも大切。
心にも体にも英気を養い、また歩みはじめましょう。
When you are tired, take a rest. Then start forward afresh.
**********************************************
浄土宗月訓カレンダーの5月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
**********************************************

今年のGWはどう過ごされますか?
カレンダー通りであれば5連休。うまく休みが取れれば最大9連休になるようです。コロナ禍明けのGWということもあり、遠くへ出かける人も多いのではないでしょうか。

新年度がはじまり、忙しい日々を過ごしている中で、この連休でようやく一息つけるという人もいるかもしれません。

出かけるにせよ、ゆっくり過ごすにせよ、休むことは大事なことです。

以前、海外で働く方とお話した際、「日本人は休むことは悪いことだと思っている。休みは職場に戻ってきたときに最高のパフォーマンスを出すために必要なものだから、休むことは全然悪いことじゃない」と言われたことがあります。
たしかに、それまでは「休んですみません」という気持ちになってしまっていましたが、この話を聞いてからは休むことに対するイメージが変わりました。

体力だって気力だって消耗するものです。疲れたときはゆっくり休んで、リフレッシュすることが大切です。そうでなければ、持っている力が十分に発揮できないですからね。

さて、お釈迦様は、さとりを開く前、過酷な修行を行っていたといわれています。断食しながらの厳しい修行で身はやつれ、骨と皮だけになるほどの苦行でした。しかし、どれだけ苦行を続けても、さとりに達することはできませんでした。

そんな折、近くの村に住むスジャータという娘が、衰弱したお釈迦様の身を案じ、乳粥を供物としてささげました。お釈迦様は、最初は断食行の最中だと断りましたが、思い直してその供養を受けることにしました。一緒にいた修行仲間は、その姿を見て「あぁシッダールタ(お釈迦様の名前)は、苦行から脱落した」と失望し、お釈迦様の元を離れました。

しかし、スジャータの供養を受け、川で沐浴をし、心身共にリフレッシュしたお釈迦さまは、菩提樹の下で坐禅を組み、瞑想を続け、さとりを開くことができたと伝わります。

お釈迦様は、休むことでこれまでのやり方を見直すことができ、結果として悟りを得ることができたのです。

ちなみに、この「スジャータ」、めいらくが販売するコーヒーミルクの名前にもなっていますが、乳粥をささげたスジャータの名前から来ています。

ゆっくり休んで また動き出す

私たちは「人に優しくしましょう」と教わりますが、「自分に優しくしましょう」とは教わりません。でも、自分を大切にできなければ、人を大切に扱うこともできないのではないでしょうか。場合によっては、自分だってこんなに頑張っているんだ、自分が無理してここまでできたのだから他人もできるはず、と厳しくあたってしまうこともあるかもしれません。

休むことで、気力や体力が回復し、心に余裕が生まれます。

心に余裕ができると、きっとまわりのこともよく見えるはず。

困っている人や無理している人の苦しさや辛さに気づくことができるでしょう。自分がいっぱいいっぱいでは、なかなかまわりを見ることも、ましてや手を差し出すこともままならないですからね。

優しい人になるためにも、まずは自分に優しくしましょう。

南無阿弥陀仏

春の団参に行ってきました

4月9日、コロナ禍もひと段落ということで、岳陽組檀信徒会の春の団参に行ってまいりました。

ちなみに、団参とは団体参拝のこと。いわば、寺社仏閣の参詣と行楽を兼ねたバス旅行です。今年の行き先は藤沢の遊行寺(ゆぎょうじ)と大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)でした。

大正大学の先生でもある長澤執事にお話をいただきました

箱根駅伝でもよく登場する藤沢の遊行寺は、正式には「(とう)沢山(たくさん) 無量光院(むりょうこういん) 清浄光寺(しょうじょうこうじ)」といいます。踊りながら念仏や和讃を唱える「踊り念仏」を全国に広めた一遍上人を開祖とする時宗の総本山として知られています。実は、この一遍上人は、法然上人の弟子・証空上人の孫弟子にあたり、浄土宗の教えを深く学んだことから、時宗と浄土宗は縁が深いのです。

額には「清浄光寺」の字が

一遍上人は、特定の寺にとどまらず全国を行脚し、踊り念仏や念仏札による民衆教化に努めたことから遊行上人と呼ばれています。ここから、時宗の法主(一番偉い僧侶)を遊行上人と呼び、遊行上人のいるお寺として、遊行寺の名称が使われるようになりました(実際に遊行寺を開かれたのは4代目の呑海上人です)。

阿夫利神社(下社)

大山阿夫利神社は、江戸時代多くの民衆の参詣を集めた「大山詣り」の地としても有名です(古典落語の演目にもありますね)。阿夫利神社の名称は、大山の別名・雨降り山に由来します。雨が降ることから、雨乞いや五穀豊穣の祈願の対象とされてきたそうです。

大山寺 ケーブルカーで途中下車するとすぐです

また、神仏習合の霊山と知られ、山の中腹には大山寺(おおやまでら)という真言宗の寺院もあります。ちなみに、この大山寺の山号も雨降山(あぶりさん)といいます。

お参りの後は、どれも美味しく見えてしまいます

バス降り場からケーブルカー乗り場までは「こま参道」といい、階段が連なるのぼり道。しかし、両脇にお土産物屋さんや食事処がならぶ、いわゆるお楽しみゾーンとなっています。こうして目を楽しませるものがあると、階段が続いていても苦ではありませんね(笑)

天候にも恵まれ、景色も大変きれいでした

急こう配のケーブルカーに乗り、阿夫利神社(下社)へ行くと、遠く相模湾まで見渡せる絶景が広がっていました。もちろん、下社までケーブルカーに乗らずに徒歩で登る(下りる)こともできます。この日は、天気も良かったので、多くのハイカーでにぎわっていました。

団参に参加された皆さんは、大山の階段に苦戦しながらも、それぞれに楽しんでおられる様子でした。寺社参詣を通じて、法話を聴き、楽しみながら体を動かすことで、身体も心も健康になることと思います。

これからも、こうした機会を設けてまいりたいと思いますので、ぜひご一緒に参りましょう。今回参加された方も、参加できなかった方も、多くの方のご参加をお待ちしております。

南無阿弥陀仏

【4月の言葉】未来は善き縁で開かれる

この季節にはさまざまな出会いがあり、
なかには善い方向へと導いてくれるものも。
一つひとつの出会い、大事にしたいですね。
Good encounters can lead you to a better future.
**********************************************
浄土宗月訓カレンダーの4月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
**********************************************

春は別れの季節でもあり、出会いの季節でもあります。
新しい環境に身を置き、新たな交友が生まれる方もいるでしょう。
ライフステージの変化により故郷に戻り、旧友との再会を果たす方もいるでしょう。

仏教では縁起(えんぎ)という考え方があります。もともとは「因縁生起(いんねんしょうき)」という言葉ですが、私たち人間やすべての物事は、互いに関係しあって、また影響を与え合って存在しているという意味です。

もう少し詳しく言うと、因とはそれなくしては生じえない原因のこと、縁とは生じるための諸条件のことをいいます。例えば、花を咲かせるそもそも種を植えなければいけません。したがって、花にとっての因は種にあたります。しかし、種だけあれば花が咲くわけでもありません。適度な気温、日光、水など、眼を出し、根を張り、成長するための条件が必要です。この諸条件が縁となります。

私たちに置き換えてみれば、今ここにこうしているのは、父母あってこの世に生を受けたからにほかなりません。そうしてみれば、父や母は、まさに直接の原因です。一方、「私」というアイデンティティを持った人間が存在するのは、こんにちまで生きてきた中で、多くの人に出会い、感化され、学んだり、喜んだり、悲しんだり、悩んだりしてきたからです。先生、友達、兄弟姉妹、近所の人、さらには偉人や有名人など、直接話したり、その言葉に感銘を受けたり、経験や体験を通じて「私」という自己が形成されてきたのではないでしょうか。これらの方々(もちろん父母も含め)が、こんにちの私を私たらしめる条件(縁)ということになります。

また、これは一方的な関係ではありません。私たち自身もまた誰かの因となり、縁となりえます。私たちは、こうした相互の関係性の中で互いに支え合い、助け合って存在しているのです。

未来は善き縁で開かれる

きっとこの春の出会いの中で、新たなことに挑戦したり、これまで気づかなかったことに気づいたりして、新しい自分の可能性に触れることでしょう。そして新しい自分との出会いもまた、あなた自身を善き未来へと導く大きな原動力になるものと思います。

どうぞ人とのつながりを大事にお過ごしください。
何気ない日々の経験や体験を大切に受け止めてください。

わたしたちを未来へ導く善き縁は、きっとその中にちりばめられていることと思います。

南無阿弥陀仏

東日本大震災から12年

いわき市内の体育館での炊き出しの様子(2011.5.2)

今年も3.11の日を迎えました。

当時、大学院生だった私(副住職)は、福島県いわき市に行き、避難所で生活する被災された方々に温かい食事を提供するために、地元浄土宗青年会と一緒に炊き出しを行いました。避難所が閉鎖された後は、仮設住宅を訪れ、サロン活動などにも参加しました。

また、住職は石巻や陸前高田を訪問し、その惨状を目の当たりにして、慰霊の行脚を重ねてきました。

あれから12年。地震や津波で亡くなられた方にとっては13回忌を迎える日です。まだ行方不明のままの方もいらっしゃいます。いまだ故郷に帰れぬ方もいます。同じ日本に生まれた者として、自分に何ができるだろうかと考えさせられることばかりです。

最近のことですが、ある新聞にこんな短歌が掲載されていました。

「死にたいな」「僕もさ」「わかる」「頑張ろな」 落書き続く 仮設のトイレ

避難所の外に設けられた仮設トイレの壁に、誰ともなく悲しい胸の内を書き、どうしようもない辛い思いを吐き出した一言。それに呼応するような共感の言葉と、一緒に乗り越えていこうという激励の言葉。

直接言葉を交わしたわけではないけど、仮設のトイレという「伝言版」を通じて、目に見えぬ連帯が生まれた様子がありありと描かれています。

苦しいのは自分だけじゃない。辛いのは自分だけじゃない。やりきれない気持ちをみんな抱えている。だからこそ一緒に生きていこう。

筆舌に尽くしがたい困難に直面した時、苦しみを理解し、支え合おうという気持ちを持つ人がいるとわかるだけで、おおいに勇気づけれられることと思います。

あの時ほど、家族や仲間同士の絆が大事だと感じたことはないでしょう。

あの時の想いを忘れずに、日々を過ごしてまいりたいと思います。

南無阿弥陀仏 合掌

【3月の言葉】一つの言葉が励みとなる

あなたのさりげない一言が、誰かの支えになることも。
他人にかける言葉には気を使いたいですね。
A casual remark makes encourage others.
**********************************************
浄土宗月訓カレンダーの3月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
**********************************************

みなさんは、まいったなぁというとき、何気ない誰かの一言で救われたという経験はありませんか。逆に、不用意に発した一言が誰かを傷つけてしまい、あんなこと言わなければ…と後悔したことはありませんか。

私たちが発する言葉は力を持っています。その力は、人を勇気づけるものにもなれば、人を傷つけるものにもなります。そのことをよくよく考えて、私たちは言葉を選ばなければいけません。

さて、仏教の修行の一つに「布施」があります。布施というと、「あぁ、お寺に収める寄付のことね」と思われるかもしれませんが、本来は貪りの心や、執着を離れるための行いのことを言います(お金はその一部に過ぎません)。

お金がなければ布施ができないと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、『雑宝蔵経』という経典の中には、「無財の七施」(※)と呼ばれる布施行が説かれています。
その名の通り、財物がなくても他者に施すことができる行いのことを言いますが、その一つに「相手に柔らかい思いやりのある言葉をかける」というものがあります。難しい言葉では「言辞施ごんじせ」といいますが、別名「愛語施(あいごせ)」ともいいます。

なんだか字面は難しそうですが、いたってシンプルです。
辛そうな相手には、「どうしたの?」「何かあったの?」、悲しそうな相手には「大丈夫、そばにいるよ」、「力になるよ」、嬉しそうな相手には「よかったね」、「みんなも喜んでるよ」など、相手のことを慮って声掛けをすることです。

しかし、シンプルなことほどなかなかできないものです。ましてや、こちらの心に余裕がない時などは、他人のことより自分のことを優先に考えがち。相手の気持ちを推し量るどころか、どうしてこちらのことをわかってくれないのか!とつい突っかかってしまいます。

一つの言葉が励みとなる

あなたの言葉には力があります。ぜひ、その言葉を発する前に、投げかける相手のことを想像してみてください。言葉によって励まされた人は、きっとほかの人を励ます人になるでしょう。

人と人との間に優しい言葉があふれ、ともに励まし合う社会になれば、今よりももっと生きやすい世の中なると思いませんか。

ぜひ今日から実践していきましょう。

南無阿弥陀仏

**********************************************

※無財の七施:誰でもいつでもできる布施行。以下の七つのことをいう。
眼施げんせ・・・相手を憎むことなく、好ましい眼差しで接すること。
和顔悦色施わげんえつじきせ・・・和やかな喜びの顔つきで接すること。
言辞施ごんじせ・・・相手に柔らかい思いやりのある言葉をかけてやること。
身施(しんせ)・・・相手を敬い、我が身を惜しむことなく、他に尽くしていくこと。
心施(しんせ)・・・善い心で相手の立場にたち心をかけていくこと。
床座施しょうざせ・・・相手に座席を設けたり、譲ったりすること。
房舎施ぼうしゃせ・・・自分の家を一夜の宿として提供すること。

涅槃会を行いました

2月15日13時より、当山本堂で涅槃会をお勤めしました。底冷えのする日でしたが、寒い中お集まりくださった方には改めて御礼申し上げます。

さて、涅槃会とは仏教の開祖であるお釈迦様を偲び、その恩に感謝するために行う法要です。お釈迦様は2月15日に亡くなられたと言い伝えられていますので、多くのお寺ではこの日に涅槃会を行います。当山でも、13時より法要を勤め、その後、住職が絵解きを行いました。

絵解きでは、臨終に際し、頭北面西(頭を北向き、顔を西向き)にして横たわるお釈迦様の姿から、ご遺体を北枕にして寝かせるようになったこと、お釈迦様のお母様である摩耶夫人が我が子を助けようと薬袋を投げたことから「投薬」という言葉が生まれたことなど、現代の風習や言葉に通じうルーツがこの涅槃図に描かれていることをお話いたしました(※薬袋は一説には修行者の持ち物を入れる、衣鉢袋とも言われています)。

また、横たわるお釈迦様のまわりにある樹木は沙羅双樹の木です。全部で8本ありますが、4本は葉が青々と茂り、もう4本は葉が白く枯れています。これは、お釈迦様が残した仏教が不滅であることと、肉体はあるものはいずれ滅びるという無常観を示したものです。

誰もが習う平家物語の冒頭にある「娑(沙)羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」の一節はまさにこのことを言っているのです。

こうした「絵解き」はまさに仏教に親しむ機会となります。難解な言葉や教えも、こうして絵にして視覚的にとらえることで、多くの人が仏教の教えを理解することができます(キリスト教の教会にあるステンドグラスや絵画、彫像なども同じ効果があるといわれています)。ご参加の皆様にも、普段の法話以上に伝わったのではないでしょうか。

さて、ここで豆知識をひとつ。

お釈迦様が亡くなられたのは2月15日と言われていますが、そのほかにも、生まれた日は4月8日、さとりを開いた日は12月8日と伝わっています。それぞれの日に、花祭り(降誕会)や成道会を行うお寺さんもあるのではないでしょうか。

しかし、この記念日はインドからシルクロードを経て、中国、朝鮮半島と伝わってきた北伝仏教(大乗仏教)にしか示されていません。一方、スリランカ、タイなど南伝仏教(上座部仏教)では、生まれた日、さとりを開いた日、亡くなった日はすべて同じ日とされています。

ウェーサク(Vesak)と呼ばれるこの記念日ですが、東南アジアでは、毎年5月満月の日とされ、この日は国連の定める祝祭として公式に認定されています。国連はさまざな国で構成される国際機関ですので、宗教についても多様性を重んじているのです。

ひとくちに仏教といっても、国によってその信仰や実践の形態はずいぶん異なります。時代や人に合わせて発展していったのが今の日本の仏教の在り方ですので、他国とずいぶん違うところもあります。そんな違いもまたいずれご紹介したいと思います。

南無阿弥陀仏

【2月の言葉】今できること 少しずつ

物ごとを成し遂げるには、積み重ねが大切。
少しずつでも着実に進めましょう。
Advance little by little, starting with the things you can do now.
**********************************************
浄土宗月訓カレンダーの2月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
**********************************************

いつのまにか1月が終わってしまいました。
みなさんは、先月の言葉を覚えているでしょうか?
そうです。「思いから行いへ」というものでした。

2月の言葉はまるでこの続きのように聞こえますね。
いざ行動に移そうと思っても何から始めたらよいのか、どう始めたらよいのか、何に気を付けたらよいのかとためらわれている人もいらっしゃるかもしれません。あるいは、始めてみたもののこれでよいのか、ほかによい方法はなかったのか、この先何をすればよいのかと悩んでいる人もいらっしゃるかもしれません。

先のことを見すえてあれやこれや気をもむ。過ぎたときをふりかえり悔やむ。私たちにはよくあることです。

さて、お釈迦様は次のような言葉を残しました。

過去を追うな。
未来を願うな。
過去はすでに捨てられた。
未来はまだやって来ない。
だから現在のことがらを、現在においてよく観察し、
揺らぐことなくどうずることなく、よく見きわめて実践すべし。
ただ今日なすべきことを熱心になせ。
誰か明日の死のあることを知らん。

過ぎ去った過去や、まだ来ない未来に心を傾けるのではなく、今ここにおいて自分がなすべきことをせよ。明日も命があるかどうかは誰にもわからない、だからこそ悔いの残らないように今を生きよということです。やや強い語調ですが、それだけに重みが伝わってきます。

2月の言葉は、お釈迦様のこの教えを一言で表しているようにも思えます。

今できること 少しずつ

思いを形にするために行動は欠かせません。
しかし、はじめから大きなことをやろうとしたら二の足を踏んでしまうでしょう。
小さくてもよいのです。踏み出した足と逆の足をまた踏み出してみましょう。
駆け出さなくてもよいのです。ゆっくりでも歩き続けましょう。
少しずつでも前進すれば、果てしなく先にあると思えるものにもいずれはたどり着くことでしょう。

一歩一歩、自分の足元を見つめながら、ともに歩んでまいりましょう。

今できることを少しずつ、ね。

南無阿弥陀仏

【1月の言葉】思いから行いへ

せっかく立てた目標も、
実行しなければ達成できません。
まず一歩、踏み出してみましょう。
Right now, thake the first step toward achieving the goals youhave set.
**********************************************
これから毎月、浄土宗月訓カレンダーの言葉を紹介していきます。字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
**********************************************


新しい年が始まって2週間が経ちました。
「一年の計は元旦にあり」とよく申しますが、みなさんはどのような願い(目標)を立てましたか?

願い(目標)をかなえるには、それに向け何かしら努力をしなければなりません。
頭ではわかっていても、私たちの心は弱いもの。やるべきこと、やらなければいけないことをつい先延ばしにしてしまいがちです…


実は、ギリシャのことわざにも「始めは全体の半分」という言葉があります。
始めてしまえば半分は終わったようなもの、まず手を付けることが大事、という意味です。
どの国、どの時代でも最初の一歩は、みんなためらったり、おっくうに感じたりするものなんですね。

思いから行いへ

今月の言葉は、まさに新たな年を迎え「今年こそ」と思う私たちの心に響く言葉です。
かくありたいという「思い」を声に出して人に伝えてもよいでしょう、文字にして目に入るところに掲げておくのもよいでしょう。きっとそれが、思いを形にする「行い」へつながることと思います。

年の初め、新たな心で「えいや」とその一歩を踏み出してみましょう(自戒を込めて)。
みなさま本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏

年末の応援会

12月29日(木)、法源寺会館で「年末応援会」が開催されました。

これは、青少年就労支援ネットワーク静岡の富士支部ココ☆カラさんを中心とした有志のボランティアさんによって、年末の行政の相談機関が閉まっている時期に、食べ物の提供や居場所の提供、生活相談などを行う活動です。今年で3回目となりますが、今回も法源寺会館をお使いいただきました。

当日は朝にNHKの取材が入り、お昼のニュース(静岡版)で報道されたこともあり、50人ほどの方が来場され、食事をしたり、食べ物を持ち帰ったり、休んだりされていました。

折しもこの日の静岡新聞の一面には、全国の自治体の自立相談支援機関での生活困窮相談が、今年上半期だけで17万件もあったことが記事になっていました。

長引くコロナ禍に加え、海外情勢や円安による物価高も追い打ちをかけた形となっているようです。とくに、もともと生活基盤がぜい弱な方がより影響を受けやすく、こうした官民の支援がより必要になってくることでしょう。

実際、お昼のニュースを見て会場に訪れた方も大勢いらっしゃいます。一方、ニュースを見てご寄付をお持ちくださった方もいらっしゃいました。また、お檀家様や知り合いの方から、この応援会のためにと事前に生活用品や食品をお預かりすることもありました。他者を思いやる方が多くいらっしゃること、本当にありがたいことです。

さて、大乗仏教の根幹には、智慧と慈悲の実践があります。

智慧とは単なる知識の習得ではなく、物事を先入観なくありのままに受け止め、真理を見極めること、そして慈悲とは、他者をいつくしみ、いたわることです。そして、一番大切なのは、これらを頭で理解するのではなく、実際の行動に移すことです。

私たちは弱い心を持つ凡夫です。煩悩によってあれやこれやと余計なこと考えてしまうかもしれません。

仏様のように、完全な智慧、完全な慈悲の実践は難しいかもしれませんが、それでもその理想に少しでも近づけるよう、自分が今できることを行う、これも立派な仏道修行だと思います。

そうした実践の場を寺院で提供できるならば、お寺としても非常に喜ばしいことです。

期間限定の活動ではありますが、当山の活動にご理解ご協力賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

南無阿弥陀仏

PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com