岳陽組春の団参(大樹寺、真福寺、岡崎城)

4月11日、初夏を思わせる絶好の行楽日和の中、岳陽組の皆様と団参で岡崎へ参りました。今回、法源寺からは21名、そのほか富士、富士宮、沼津の浄土宗寺院檀信徒の皆様とご一緒し、大型バス3台、110名での団参となりました。

まずは大樹寺に参拝し、住職の中村康雅上人からご法話をいただきました。
大樹寺は、徳川家康の先祖、松平家の菩提寺として知られています。また、徳川家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の逸話の生まれた場所でもあります。

桶狭間の合戦の後、今川方にいた家康(当時・松平元康)は、今川義元討死の報せを聞きました。敵の織田方も自分を討つために追っ手を差し向けてきます。敵の手にかかるくらいならと、ここ大樹寺にあった先祖の墓の前で自害を遂げようと思いましたが、その時、大樹寺住職であった登誉天室上人は元康を「こんな乱世を泰平の世にするのがあなたの務めなのだ」と諭し、切腹を思いとどまらせました。

ここから家康は、穢れた乱世を厭い、浄土のような天下泰平の世を築くことを目指すため「厭離穢土 欣求浄土」の旗印を用いたようです。

大樹寺の三門からは、はるか遠くに岡崎城が望めます。これをビスタラインというそうです。

これは、徳川三代将軍家光が、寛永18年(1641年)、祖父・家康の十七回忌を機に、徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行い、「祖父生誕の地を望めるように」との想いから、本堂から三門、総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来しています。
歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって拝礼したとも伝えられています。

大樹寺参拝の後は、天台宗・真福寺で参拝とともに竹膳料理をいただきました。器からお盆まですべて竹でできている、筍尽くしのお膳です。筍だけでこんなに料理の種類があるのかと驚きながらも、シャキシャキした食感に箸が進み、みなさん満足のご様子でした。

最後は岡崎城に立ち寄りました。ここから先ほどのビスタラインを逆に眺め、大樹寺が見えるかなと挑戦してみました。天守閣頂上には、望遠鏡が設置されており、それを覗くと確かに大樹寺の本堂屋根が見えます。そのあと、外へ出て写真でとってみたのですがご覧になれますでしょうか。

中央からやや右上にある屋根が大樹寺本堂です。歴代の岡崎城主はここからこうして手を合わせていたのでしょうか。これだけ時代が経って、周りの建物などずいぶん変化がある中で、変わらずに見えるものというのは素晴らしいですね。

春の穏やかな陽気の中、仏法と歴史にふれる楽しい一日となりました。
ご参加下さったみなさま、ありがとうございました。

大本山増上寺御忌大会

4月7日、芝・大本山増上寺にて行われた御忌大会日中法要に随喜(参列)してまいりました。この法要で唱導師をつとめた宮城教区雲上寺住職・東海林良昌上人とのご縁によるものです。

御忌(ぎょき)とは、浄土宗の元祖、法然上人のご命日に営む法要のことです。法然上人は、建暦2年(1212年)1月25日に80歳で亡くなられました。当初は厳寒の1月に行われていましたが、多くの方にお参りいただけるよう明治10年より気候の良い4月に勤修されるようになりました。

当日はあいにく小雨ぱらつく空模様でしたが、庭儀式も執り行われました。随喜の僧侶は全国各地から200名を超え、厳粛ながらもきらびやかな大法要となりました。

唱導師は大本山の法主の代理として法然上人の遺徳を讃える諷誦文(ふじゅもん)を唱えあげます。法主台下しか着衣が許されない緋色(鮮やかな朱色)の衣をつけ、唱導師をつとめるのは浄土宗僧侶にとって一世一代の誉れといえます。ハレの大法要に随喜させいただき、貴重な経験を得ることができました。

みなさまもぜひ機会があれば足をお運びください。

南無阿弥陀仏

【4月の言葉】それでも花は咲く

今の環境があなたにとってよくないものと感じたとしても、それはあなたの糧となり結果につながるものです。
If the present seems daunting, press forward.
With time, good things will come.
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浄土宗月訓カレンダーの4月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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4月を迎え、進学や就職など希望にあふれた未来を想像する人もいるでしょう。
また、卒業や退職といった節目を迎え、新たな人生のステージへと進む方もいるでしょう。
春は終わりと始まりの季節です。

しかし、そうした節目を迎えることなく、突然、命の終わりを迎えてしまった人もいます。
15年前の3月11日、東日本大震災が起こり、多くの尊い命が失われました。自然災害が多い日本ですが、あれだけの被害を出した災害はそう多くありません。

日本中が悲しみに暮れ、鎮魂の祈りがささげられる中、復興支援ソングとして「花は咲く」という歌がNHKによってつくられました。そこはかとなく悲さを帯びながらも、優しくゆったりとしたメロディが耳に残ります。CMやテレビ番組でよく流れていたので覚えている方も多いのではないでしょうか。東北ゆかりの歌手や俳優、タレントの方々がリレー形式で歌っていく(一節ごとに声が変わる)という形式も特徴的でした(私は特に西田敏行さんの声が好きでした)。

歌詞もまた印象的です。

残された人が亡くなった人のことを想って語る言葉(歌詞)もあれば、亡くなった人が現世で生きる人のことを想って語る言葉(歌詞)もあり、生者と死者の交感が描かれているように感じられます。とくにサビの部分はぐっとくるものがあります。

花は 花は 花は咲く いつか生まれる君に
花は 花は 花は咲く 私は何を残しただろう
花は 花は 花は咲く いつか恋する君のために

震災後に咲く花といえば、季節は春ですから桜でしょうか。
あちらの世界から、こちらの世界で咲く花を愛でながら、現世で生きる残された人、これから生まれる命、そうしたものへ想いを寄せる抒情的なフレーズです。あの世からの視点で歌うことで、こちらの世にいる人たちが、一緒に見たかったあの人は今はいないという寂しさを感じていることも示唆されます。

この歌には、この世の、目に見える世界だけで完結していない世界観が描かれているのも素敵だなと思います。震災でなくても、大切な人との別れを経験した人は大勢います。災害であれ、病気であれ、寿命であれ、あの人が今生きていればなぁと思い出すことがあるのではないでしょうか。そうした人にとってもこの歌の持つメッセージ性は響くのではないでしょうか。

生きていくことは楽しいことの連続ではありません。
ときには苦しく、辛い、悲しいこともあります。

苦しいとき、辛いとき、悲しいとき、人は下を向きがちです。
しかし、下を向いていては空に向かって伸びる桜を目にすることはできません。

その桜だって、一年の間、暑い日、寒い日、雨の日、風の日を耐えて、美しい花を咲かせるのです。

それでも花は咲く

春は出会いと別れの季節でもあります。心躍る出会いを経験した人の上にも、悲しい別れを経験した人の上にも、桜は同じように咲いています。

すぐに、とはいいません。
それでも咲く花のように、いつか笑顔の花が咲きますように。

南無阿弥陀仏

農園部の活動―ジャガイモ植付&花壇整備―

春のお彼岸も本日明けを迎えます。
暑さ寒さも彼岸までといいますが、すっかり春らしくなってきました。

法源寺の飛び地境内を「富士市若者相談窓口 ココ☆カラ」とつながる若者たちと一緒に耕し、小さな農園をはじめてから6年目を迎えました。これまで、ジャガイモ、キュウリ、ナス、ニンジン、トマト、オクラ、ゴーヤ、サツマイモ、スナップエンドウなどいろいろな野菜を育ててきました。時には失敗することもありますが、自然相手の作業は気持ちよく、若者たちも継続して参加してくれています。

先日、ジャガイモの種イモを植えました。一番最初に植えたのがジャガイモで、毎年場所を変えながら植え続けています。雑草処理のことを考えてマルチ(黒いビニール)を畝にかけたり、畝の間に防草シートを渡したり、だんだんと作業もこなれてきました(今年はキタアカリです)。

暖かな春の日差しのせいか、ジャガイモはすっかり芽が出そろいました。このままうまく育ってくれることを願っています。

農園には花壇もあります。この農園は、車こそ通れませんが地元の人だけが知っているような抜け道の脇にあります。作業中も何人かの人が通ります。そうした方々にも楽しんでもらえるよう、数年前から花壇を作りました。

先日、その花壇に青いロベリアとピンクとパープルのネメシアを植えました。きっときれいな花を咲かせてくれることと思います。

「富士市若者相談窓口 ココ☆カラ」は、ひきこもりや不登校の当事者・家族を支援するNPO団体です。コロナ禍で就労体験の場がなくなってしまったことの相談を受け、一緒に活動させていただくことになりました。年末の食料配布&応援会もこうしたつながりで開催しています。

葬儀や法事はもちろん大事ですが、それだけにとどまらず、寺院が社会にとって必要な地域資源となれるよう積極的に活動を行っていきたいと思います。

今後とも応援のほどよろしくお願い申し上げます。

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

春彼岸信行会厳修&ミニコンサート開催

3月20日、彼岸の中日に信行会をおつとめしました。法要後には、フルート・オカリナ奏者の村林涼子さんによるミニコンサートも開催いたしました。

コンサートではこの季節にちなんだ歌を一緒に歌いましょうということで、花の街、高校三年生(舟木一夫)、もうすぐ春ですね(キャンディーズ)、乾杯(長渕剛)などをオカリナの音色にあわせて歌いました。

それぞれの時代に流行った歌を皆さん楽しそうに口ずさんでいました。令和生まれの子供たちも歌は知らなくとも、タンバリンをたたいたり、歌に合わせて踊ったりと楽しんでいました。世代を超えて音楽は心を軽やかにさせてくれますね。
だんだんと春の陽気に包まれる中、心休まる和やかなひと時となりました。

中東情勢も不安が絶えませんが、平和な世の中であることに感謝し、日々できることに努めてまいりたいと思います。

南無阿弥陀仏

【3月の言葉】春のさえずり 身を軽く

いそがしい時には視野が狭くなりがち。そんなときこそ周りに意識を向けてみて。春の足音はもうすぐそこに。きっと気分も軽くなるはずです。
Let’s spring birdsong bring lightness to body and soul.
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浄土宗月訓カレンダーの3月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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ついこの前、新年を迎えたと思ったら、もう3月です。
一月は行ってしまう、二月は逃げてしまう、三月は去ってしまうといいますが、月日は経つのは早いもの。とくに年始めや年度末など何かと用事が立て込んでいる季節はなおさらです。

「忙しい」という字は、心が亡くなると書きます。忙しい時はつい自分の用事だけ、自分のことだけに集中しがちで、周囲を見渡す心の余裕がなくなりがちです。そんな時は自分の呼吸に集中してゆっくり10回深呼吸をしてみてください。

仏教には数息観(すそくかん)という瞑想法があります。自分の呼吸に意識を向け、呼吸を数えるというものですが、息を吸いゆっくり吐き出すことを1とし、10まで呼吸を数えます。するとどうでしょう、心の乱れが収まり、五感が研ぎ澄まされることに気づきます。ゆっくり呼吸をする間に、聞き逃していた音、風が肌に触れる感覚、花の香りなど、自分が感じ逃していたものが体内に取り込まれていく感覚を覚えます。

瞑想は難しいという人は、十回のお念仏でもよいでしょう。ゆっくり、はっきり「なむあみだぶ」を称えるだけで、忙しさに流されていた心が立ち止まり、気持ちの落ち着きを取り戻すことができます。

現代人には、目まぐるしく変わる社会の変化、その激流の中で立ち止まるという瞬間が必要です。流れる景色が流れていることに気づくのは自分が立ち止まるからなのです。一休さんも言ってます「あわてない、あわてない。一休み、一休み」と。

間もなく二十四節気の「啓蟄」を迎えます(今年は3月5日です)。「啓」は「ひらく」、「蟄」は「土の中に閉じこもる」を意味します。土の中で冬ごもりをしていた虫が暖かさに誘われて土から出てくる頃で、寒さが和らぎ、春の訪れを感じる時期です。

しかし、心に余裕がなければ、そうした季節の変化にも気づくことはできません。

春のさえずり 身を軽く

春はそこまでやってきています。一息ついて、心を落ち着け、周りに目を向けてみましょう。どんな景色が、音が、においが、感じられますか?

心に余裕をもって日々生活したいものですね。

南無阿弥陀仏

涅槃会を行いました

2月15日(日)温かな天候の中、涅槃会を厳修いたしました。

涅槃会とはお釈迦様が涅槃に入られた日を偲んで行う法要で、今でいう「年回法要」にあたります。涅槃とはサンスクリット語でニルバ-ナ(パーリ語ではニッバーナ)の音を漢字にあてたもので、元々は「消える」という意味です。ろうそくの火を吹き消すがごとく、煩悩の火が消え去った状態、いわば究極の悟りに入った状態を表します。究極の悟りとは、輪廻から抜け出すこと。つまり、生まれ変わりもしなくなるということです。

お釈迦様はすでに悟りを得た身ですから肉体は滅びないのですが、諸行無常の理を弟子たちに示すために入滅されたともいわれています。そのような遺徳を偲びお勤めするのがこの涅槃会なのです。

法要後は、住職が法源寺に伝わる大きな涅槃図の絵解きを行いました。

2月15日に亡くなられたお釈迦様の上には満月が輝いています。この満月は、悟りの完全円満なる様子を表しているともいわれます。またお釈迦様のお母様の摩耶夫人(お釈迦様を生んだのち7日後に亡くなってしまいます)が、天界から息子を助けようと思って薬を投げましたが、あいにく沙羅双樹の枝に引っかかってしまう。これをネズミがとりに行こうとしたがネコが邪魔をしたので、多くの涅槃図には猫が描かれていない、とか。ちなみに摩耶夫人の逸話から「投薬」という言葉が生まれたともいわれています。

法源寺に伝わるこの大涅槃図は、弘化4年(1847年)に作成されたことが裏書に記されています。今から180年も前の昔に描かれた巻物がこうしてきれいに残っていること自体貴重なことです。

なお、同じく寺宝である「武田信玄公騎馬像」も本堂に併せて展示しております。こちらは、武田家の家臣で当山の檀家である高田家から寄贈されたものです。信玄公が騎馬にまたがっている像は珍しいとのこと。地元の富士山かぐや姫ミュージアムでも本物と認められ特別展に貸し出された一品です。

いずれも、2月いっぱいまで本堂にて開帳しております。
ぜひこの機会にご覧ください。

【2月の言葉】感謝も不満も 同じ口から

私たちの思う「よいこと」や「悪いこと」。
自分にとっての都合で決めてしまってはいませんか?
Before you decide what is good or bad, remember to keep an open mind.
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浄土宗月訓カレンダーの2月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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「良薬口に苦し」ということわざがあります。
口に含んだ時は苦くて飲み込みづらいけど効き目がある。転じて、耳が痛く、素直に受け入れがたい意見こそ、自分にとって真の課題や改善点を指摘してくれるものである。というような意味です。

実は英語でも、真実を隠し、体裁を良くした言葉のことを、Sugar coated wordsと言います。sugarは「砂糖」、coatedは「コーティングされた」とか「上に塗った」という意味です。wordsは言葉遣いや意見を表す語ですので、直訳すると「砂糖でコーティングされた言葉」となります。

洋の東西を問わず、苦いもの、口当たりの悪いものは受け入れがたいのが人間の性というものでしょう。

言葉だけではありません。部活動などで、単調な基礎練習や辛く苦しい練習があってこそ、地力がつき、成長も得られるというもの。楽なことばかりしていると、楽しいのはその場限りということになります。あの時、もっとこうしておけばよかったなぁと、最後に悔しい思いをするのは自分自身です。

しかし、私たちはつい今の自分の物差しで物事の良し悪しを測りがちです。そして、その良し悪しとは、自分にとって心地よいとか、都合がよいとか、そうしたことで判断される傾向にあります。自分の負担が少ないとか、期待通り、思惑通り事が進むとか、「今の自分」がその中心にある物差しです。

水は低きに流れ、人は易きに流れると言いますが、煩悩に迷う私たち凡夫はつい楽な道を選びたくなるもの。そうした際、時に厳しく、時に温かく導いてくれる方のことを仏教では善知識(ぜんちしき)といいます。善き友、真の友、正しき友のことです。

仏様のような智慧を持ち合わせていない私たちですから、いやなことを言われたり、辛いことを味わったりすると、「何で自分ばっかり損をするんだ」「こんな思いをするのは、なぜあいつじゃなくて自分なのか」と不満や愚痴も出るでしょう。

しかし、「人は自分の快不快、都合不都合という物差しを持ちがちである」と、気づくだけで、受け止め方がずいぶん変わるのでないでしょうか。

感謝も不満も 同じ口から

これも何かの縁と受け止め方に違いが生じれば、口から出る言葉も不満から感謝の言葉に変わるはず。感謝の言葉を口にする人には、自然と幸せが集まってきます。正確に言えば、ささいなことでも幸せに感じられるような心が育っていく、ということです。

同じ口から出るのなら、マイナスな言葉よりプラスな言葉の方がいいですよね。
まずは、「ありがとう」が出せるよう、どんな言葉、体験にも感謝の心をもって接してみましょう。

南無阿弥陀仏

農園活動101回

先日、農園部の活動を行いました。

作業後、いつものようにグループLINEのアルバム機能で写真を保存しようとしたら「これ以上アルバムを作成できません」との表示が・・・

どうやらひとつのグループで作成できるのは100件までだそうです。ということは、この日は101回目の活動ということになります。

2021年3月上旬にジャガイモを植え付けてから足掛け6年。細々ではありますが、長く続いてきました。

もとは飛び地境内の整備から始まったこの活動ですが、富士市若者相談窓口ココ☆カラとつながる若者たちの居場所、社会参加の場所として、ずいぶん定着してきたように思います。農園活動が始まった時からずっと継続して手伝いに来てくれている若者もいますし、1年前から参加し、ほぼ毎回来てくれる若者もいます。

収穫の際には近隣の檀信徒のお子さんたちも参加し、年々にぎやかになってきました。

多くの人とのご縁を耕す場所になるよう、これからも続けてまいりたいと思います。

今度とも応援のほど、よろしくお願いします。

【1月の言葉】良い目標は この一年を輝かす

志高く日々を大切に過ごせば、充実した一年となるでしょう。
Set worthwhile goals and works toward them daily, and thi year will be fulfilling.
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浄土宗月訓カレンダーの1月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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一年の計は元旦にあり、とはよく言うものです。
みなさんは、2026年、どのような年にしたいですか?
今年は午年です。力強く駆け抜ける馬は、飛躍や前進の象徴として親しまれてきました。
飛躍や前進を願って、挑戦する年にしたいと思う人もいるのではないでしょうか。
受験や就職など大きな勝負を目前に控えた人もいるかもしれません。

午年にちなんで「うまくいく」ことを願う人も多いと思います。
うまくいくことに越したことはありませんが、物事は必ずうまくいくとは限りません。
むしろ、うまくいかないときにこそ、その人の真価が問われます。

他人や環境のせいにして掲げた目標を捨ててしまうのか
失敗を糧に工夫と努力で再度目標に立ち向かうのか

松下村塾で維新の志士たちを多く育てた吉田松陰は次のような言葉を残しています。

夢なき者に理想なし、
理想なき者に計画なし、
計画なき者に実行なし、
実行なき者に成功なし、
故に夢なき者に成功なし。

ここでいう夢は「目標」と置き換えてもよいでしょう。
目標は掲げただけでは叶いませんが、目標を掲げることで「こうありたい」という理想を描くことができます。
理想を具体的に描ければ、そのためにやることをリスト化することができます。
やることが明確になったらあとは、ひとつづつこなしていけばよいのです。
やるべきことを成せば、おのずと目標は叶うもの。

吉田松陰の教えは、目標を具体的なステップに分解して実行しようというものでした。
しかし、夢なき者に成功なし、と最後にあるように、まずは目標を持つことが大切です。

良い目標は この一年を輝かす

あなたの今年の目標は何でしょう?
目標を掲げることで、日々の生活が充実することでしょう。
きっとあなたの一年をより良いものに導いてくれるに違いありません。

南無阿弥陀仏

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