阿弥陀さまはどんなときもやさしく見守ってくださっています。お念仏をとなえれば、そのぬくもりを感じられるはずです。
The people you love who have passed away are watching over you.
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浄土宗月訓カレンダーの12月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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今年もあっという間に師走を迎え、一年が終わろうとしています。町の木々が慌てて色づいたかと思うと一気に冷え込んできました。肌を刺すような風に、今年も暮れが迫ってきたなと感じる今日この頃です。皆様にとってこの一年はどのような年だったでしょうか。
さて、我が家には3人の小さな子どもたちがおりますが、子どもたちと一緒に生活していると、日々の成長に驚かされることが多くあります。いつの間にかこんなことができるようになっている、あんなことができるようになっている、自分の成長の遅さに比べると羨ましいことばかりです。
先日、自転車の練習をしていた時のことです。
最初は後ろをつかんでいなければ転ぶことを恐れて漕ぎ出そうともしなかったのに、だんだん慣れてくると手を添えなくても前に漕ぐことができるようになりました。一緒に並走しながら「今、支えてないよ」と言うと、本人も驚いた様子で「あれ?私自転車乗れてる!」と喜んでいました。一度乗れるという体験をつかむとあとは早いものです。何度も何度もお寺の参道を自転車で嬉々として往復していました(その間、父は自転車の後ろをダッシュし続けていました…)。
一人じゃ怖くてできないと思っていたことも、誰かに見守ってもらえることで安心して挑戦することができます。失敗したって大丈夫、受け止めてあげるよ、そういう視線を感じることでのびのび取り組むことができます。
年をとるとなかなか見守ってくれる人がいなくなってしまいますが、私たちにはお浄土から見守ってくださる方もいます。仏壇やお墓の前で、今日はこんなことがあったよ、今度こんなことをするんだと語りかければ、目を細めて聞いてくださっていることでしょう。
もちろん阿弥陀様も私たちを見守ってくださっています。道を外さないよう、極楽浄土へ迷わず来られるよう、慈愛の眼差しでもって私たちを照らしてくださっています(月影の歌)。
見守られている幸せ
見守られていることを感じられるのは幸せなことです。
自分一人の人生ではない、誰かがそばで見守ってくれている。そう思えるだけで、前に進む力が湧いてきますよね。
私たちはひとりではありません。これまでも、これからも。
見えない視線を感じながら、手を合わせて共に暮らしたいものです。
南無阿弥陀仏