ジャガイモ掘りをしました!

6月8日、飛び地境内にある農園でジャガイモの収穫を行いました。

法源寺農園部は、これまで富士市就労支援ネットワーク「ココ☆カラ」とつながっている若者たちのサポートで活動を続けてきました。2月に植えたジャガイモが収穫の時期を迎えましたので近所の子どもたちにも声をかけ、みんなでジャガイモ掘りをしました。

お手伝いに来てくれた若者は6名。子どもたちがジャガイモを掘りやすいよう、シャベルで土をほぐしてくれたり、種類の違うジャガイモをきれいに並べるのを助けてくれたり、サポート役のお兄さんお姉さんとして大活躍してくれました。

今回は、定番のキタアカリに加え、アンデスレッド(写真左)、インカのめざめ(写真右)など変わり種も植えましたが、キタアカリ以上によく穫れました。カラフルなジャガイモにみんな大満足です。

男の子は畑にいるいろんな虫にも興味津々。レモンの木についたレモンの実の赤ちゃんを見つけて教えてくれる子もいました。子どもの目はいろいろなものをキャッチする力に優れています。ココ☆カラの若者たちにとっても子どもたちと触れ合う楽しい時間になったようです。

収穫の後は、豊作の御礼で、ジャガイモを本堂の仏様にお供えし、みんなでお参りした後に山分けしました。また、いつも見守ってくださる近所の方々にもおすそ分けいたしました。

秋のサツマイモはこれ以上の出来の予感。また、にぎやかな収穫祭を企画したいと思います。

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

【6月の言葉】自利利他

他者を思いやる行動は、自身の幸せにつながります。
Helping others helpes ourselves.
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浄土宗月訓カレンダーの6月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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「自利」とは、自らを利すること。
「利他」とは、他を利すること。
この二つを合わせて「自利利他」と言います。

より仏教的に言えば、自利とは自ら悟りを求め修行に励むこと。
利他とは他者を思って尽くすこと。

さらに浄土宗的に解釈するなら、自利とは極楽往生を願い念仏に励むこと、利他とは共に往生を願い自らの功徳を振り向けることといってよいかもしれません。

自利利他は大乗仏教の中心的な理念のひとつといわれています。
これらは車の両輪のようなものでどちらが欠けても前に進むことはできません。
どちらも同じくらい大切なものです。

体調の悪い時に周囲に気遣うのが難しいように、自分が満たされ落ち着いていなければ、他者を思いやることはできません。今風の言葉で言えば「セルフケア」です。社会的な活動をするために、自分自身を整えることはとても大切ですが、整った自分が誰のために何をするのかも同じくらい大切です。

現代社会は、「自分さえよければ」「他人は他人」となりがちです。
しかし、こうした考えは、人と人との分断を生み、結果として孤独と不安を生み出します。私たちは相互関係に生きる存在として、自分さえよければよい、という考え方を離れなければなりません。自分のことだけしか考えないのは、たんなる「利己」です。

また、利他の対象は、現世に生きる者だけでなく、過去生きていた人たちも含まれます。

たとえば、浄土宗のご法事では、みなさん一生懸命お念仏をおとなえします。この時、念仏によって自分が得られる功徳を他者(故人)に振り向けることで後生の安穏を願います。これを「回向」(えこう)と言います。

自利利他

わずか四文字のなかには、実に深い意味が込められています。

今月の言葉を思い浮かべながら、自分も大事に、他人も大事に過ごしてみてください。
きっとそれが仏教的な生き方を実践するということになるのだと思います。

南無阿弥陀仏

浄土宗ともいき財団助成金交付式に参加しました

5月29日、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成金交付式に参加してまいりました。

なぜ助成金交付式に?と思われるかもしれません。このブログでもたびたび紹介していますが、当山では飛び地境内を活用して、不登校や引きこもりの若者たちと一緒に農園活動を行っています。「法源寺農園部」と名付けられたこの活動は、今年で5年目になりますが、活動に必要な資金を2年前より、浄土宗ともいき財団様からいただいております。

浄土宗ともいき財団とは、浄土宗寺院や僧侶による社会貢献活動を支援し、地域社会の福祉・安寧の向上に資する活動を広げることを主な事業とする公益財団で、大正3年(1914年)、「財団法人浄土宗報恩明照会」として起こった歴史ある財団です。

今年もありがたいことに「法源寺農園部」を助成金事業として採択していただきました。そういうわけで交付式に参加してきたのです。

交付式に参加したのは50を超える団体。みなさん、それぞれに特色ある活動をされています。一例を紹介すると、子ども食堂、フリースクール、防災のワークショップなど、いずれも寺院がコミュニティの核として活かされるプロジェクトです。お寺をもっと地域に開きたい、社会の役に立つ寺院でありたい、そうした思いがひしひしと伝わってきました。私も大変刺激を受けました。

いただいた助成金を有意義に活用し、今年も農園部の活動を展開していきたいと思います。

岳陽組檀信徒総会が行われました

5月17日、稱念寺さまの書院にて令和7年度岳陽組檀信徒総会が開催されました。

岳陽組檀信徒会としての昨年度の行事、決算の報告の後、今年度の活動予定、予算が承認されました。また、役員改選の時期でしたので、これまで会長、副会長、会計監査などをおつとめめいただいた役員の皆様に、岳陽組組長八橋俊洋上人より記念品が授与されました。

岳陽組の活動を支えていただき、ありがとうございました。

総会後は、富士宮在住のカラーセラピスト・田丸千春先生をお招きし、生活の中にあふれる色から私たちの心や体の声を聴くというお話をいただきました。田丸先生は看護師としても長年病院にお勤めで、入院患者さんや看護師研修にもぬり絵セラピーをされているそうです。

例えば、赤はやる気が出る、オレンジはビタミンカラーで会話が増える、緑はリラックスや癒しといった効果があるそうです、こうした色が心に与える影響を巧みに操りながら体調を整える助けにするというようなお話でした。

たしかに、自分が好きな色の服などを着ると気分が上がりますよね。色を使うということはあまり考えていませんでしたけど、なかなか興味深いお話でした。

ちなみに、ぐっすり寝たいときはベージュの寝具がよいのだとか…

最近疲れ気味なので試してみたいと思います(笑)

【5月の言葉】完璧でないから つながれる

私たちは誰も万能ではありません。
だからこそ、お互いに頼り、頼られながら生きていく。
それでいいのです。
We can connect with one another precisely because none of us are perfect.
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浄土宗月訓カレンダーの5月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)さんという小児科医がいます。
この方は、生後間もなく脳性麻痺となり、以来、車椅子が手放せない生活をしています。東京大学医学部を卒業後、小児科医として10年ほど臨床経験を積み、現在は東京大学先端科学技術研究センターで障害と社会の関係について研究していらっしゃいます。

熊谷さんは「自立とは依存先を増やすこと」とおっしゃいます。

私たちは「自立=自分で何でもできるようになること」と思いがちです。人に頼らないで生活することを「自立」としたら、障害や病気を持ち介護が必要な人は一生自立することができないということになります。

ある学会の講演で、熊谷さんがこんな話をしてくださいました(記憶を頼りにまとめたものですので正確性はお許しください)。

大学生になって一人暮らしを始めた私に、介護スタッフがこう言ったんです「熊谷さん、これからは自分でできることは自分でしましょうね」と。当時は私も若かったので、「なぜ私だけにサバンナの掟を適用するのですか」と言ってしまいました。たしかに、私だって頑張れば靴下も履けます。ただし、2時間くらいかかりますが(笑)できるできないで言えば、「できる」になるのでしょうが、でも人の手を借りた方が圧倒的に早くできます。健常者の人だって同じです。服や靴を自分で作っている人はそれほどいないはずです。食事を食べるのにも、自分で野菜を作ったり、魚を獲ったりする人もそういないでしょう。それぞれ商品として購入しているんです。人は得意不得意があって、不得意なことはサービスや商品で置き換えて生活しているのに、なぜ障害者だけが不得意なことも自分でやることを勧められなればいけないのか、と思ったのです。(2024年11月 スピリチュアルケア学会 基調講演)

サービスや商品の形をとると見えづらくなってしまいますが、私たち多くの人の世話になっています。いわば他者とのつながりの中に日々の営みを築いています。

誰にも頼らずに生きていくことは不可能です。熊谷さんは、頼って生きることの大切さだけでなく、その頼り方についてもお示しくださいました。

依存先(=頼れる人、場所)が一つだと相手にも過度の負担がかかってしまいます。しかも命綱は一本ですから、その依存先がなくなれば、たちまち生きていけなくなります。しかし、いくつもの依存先(=頼れる人、場所)を作っておけば、一つ一つの依存先の負担は軽減されるし、ここがダメでもまだ次があると心の余裕につながることでしょう。

逆説的に思えますが、人が自立するためには頼れる人や場所をできるだけたくさん作っておくことが大事なのです。そして、依存先を増やすためには、自分一人では生きていけない、自分自身は至らない者である、という自覚が必要です。

浄土宗の教えでは、これを「愚者の自覚」といいます。

完璧でないから つながれる

万能でないからこそお互いに頼り、頼られながら生きていく。
頼ることを恥ずかしいと思わず、頼られることを煩わしいと思わず、時には助け、時には助けられ、心豊かな日々を送りたいものですね。

南無阿弥陀仏

日本仏教看護・ビハーラ学会のご案内(6/28~29)

日本仏教看護ビハーラ学会の第21回年次大会が、6月28日、6月29日に東京で行われます。副住職が登壇しますのでこちらでも宣伝させていただきますが、中身は大変充実したものになることが期待されます。

初日は南千住回向院で、基調講演、落語(反魂香)、シンポジウムがあり、2日目は浅草寺で個人発表とシンポジウムが行われます。

初日のシンポジウムでは、日雇い労働者として身寄りなく生き抜いてきた人々をケアしてきた支援団体、そして当事者から「最期まで支えるケアのありかた」を学びます。2日目は、戦後「蟻の街」と呼ばれた浅草で、医療に携わってきた浅草寺病院の歴史を紐解き、過去そして現在のケアの在り方にどのように仏教が息づいているのかを学びます。

こういう学会では通常「落語」はないのですが、今回は大会長のたっての願いでプログラムに組み入れました。

演目は反魂香(はんごんこう)です。反魂香には、土手の道哲と呼ばれる僧侶が登場します。この道哲が、吉原の花魁・高尾太夫の菩提を弔うため、毎晩鉦を叩いているというところから噺がスタートします。山谷のすぐ隣には吉原があり、この地の歴史を知るには欠かせない古典落語です。

会場がちょっと遠いうえに有料なので気軽にお越しくださいとは言いづらいのですが、気になった方はぜひチラシをご覧いただければありがたいです。

なお、申込みについては学会HPをご覧いただければありがたく思います。【仏教看護ビハーラ学会HP】

副住職はこんなこともやっていますよというお知らせでした。

合掌

深大寺参拝(岳陽組団参)

4月12日(土)、静岡教区岳陽組の春の団参として、東京都調布市にある深大寺へ行ってまいりました。岳陽組としては98名、うち法源寺からは19名の参加でした。

深大寺は、天台宗の別格本山で、天平5年に開創されたといわれています。都内では浅草寺に次いで二番目に古いお寺です。

厄除元三大師で厄除けのお寺と多くの方から知られていますが、それ以外にも釈迦如来像は国宝に指定されており、大変見ごたえのあるお寺です。また深大寺で行われるだるま市は、「深大寺だるま市」として知られ、日本三大だるま市のひとつにも数えられています(ちなみに富士市の毘沙門天大祭だるま市も日本三大だるま市のひとつです)。

深大寺といえば「そば」が有名ですが、江戸時代にその土地がそばの生産に適しており、そば粉をお寺に納めていたそうです。そのような歴史から「深大寺そば」が多くの方に親しまれるようになりました。参道の茶屋は、ほとんどが蕎麦屋さんでしたので、深大寺参拝後、私たちもお蕎麦をおいしく頂きました。

昼食の後は腹ごなしに周辺散策。
深大寺を北へ向かうと神代植物公園があります。とても広くて、さまざまな植物があり、春夏秋冬楽しめる植物園です。この日は行楽日和であったせいかお花見や、ピクニックの人であふれていました。ちょうど桜が終わり頃を迎え、風に吹かれ散っていく桜も風情がありました。

お天気にも恵まれ、落ち着いた空気の中で過ごすことができ、とてもよい団参となりました。

ご参加いただいた皆様ありがとうございました。
またぜひご一緒に参りましょう!

南無阿弥陀

【4月の言葉】呼ぶ喜び 呼ばれる嬉しさ

知らない人に声をかけるのは勇気がいります。でも、その一言がよりよい関係を築いていく一歩になりますよ。
Talking tto someone for the first time takes courage, but can also be the beginning of a good relationship.
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浄土宗月訓カレンダーの4月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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4月は進学や就職など新たなステージで新たな出会いを経験する人も多いでしょう。
初めての場所で期待と不安を抱きながらドキドキしているとき、仲間ができるとうれしいですよね。

これから起こるであろう楽しいことを分かち合える人との出会いには誰しも胸が躍ります。

最初のきっかけづくりが肝心です。自分から声をかけるか、それとも声をかけられるのを待つのか。本当は自分から声をかけたいのにそっけなくされてしまうのが怖くて、つい声をかけられるのを待ってしまう。そんな気持ちもわかります。

自分がそんな不安を感じているなら相手もそうかもしれません。勇気をもって声をかけてみると意外とうまくいくこともあるでしょう。

そんな時はぜひ名前を呼んで声をかけてみてください。名前を呼ばれると人は不思議と嬉しくなります。なぜなら、他ならない私を認識してもらっている、覚えてもらっている、という感覚が沸き上がるからです。

呼ばれることの嬉しさを感じた人は、名前を呼ぶことにも積極的になれるはず。人を嬉しくさせるというのは、言い換えれば人を幸せにするということ。「幸せにする」というと大げさに聞こえるかもしれませんが、日々の生活の中に心がほっとする、豊かになる、そうした瞬間にも私たちは「幸せ」を感じます。ですから、名前を呼ばれて嬉しいなぁと思ってもらえたら、それは小さな幸せを提供できたということです。

周りの人を幸せにできることは喜ばしいですよね。

呼ぶ喜び 呼ばれる嬉しさ

さて、浄土宗では「なむあみだぶつ」と念仏をとなえることが大事と説きます。これは、阿弥陀仏の名前を呼ぶことにほかなりません。

法然上人が師と仰ぐ善導大師の遺した書物の中に、「衆生しゅじょうほとけとなうれば、ほとけこれをたまう」(わたしたちが阿弥陀様の名前をとなえれば、阿弥陀様はお聞きくださる)という一説があります。その名をとなえれば、きっとその声は届くということです。

さらに、その先には「衆生しゅじょうほとけねんずれば、ほとけ衆生しゅじょうねんたまう」(わたしたちが阿弥陀様を念じれば、阿弥陀様もまた私たちのことを念じてくださる)と続きます。私たちが思いをかければ、阿弥陀様もまた私たちに思いを寄せてくださるということです。

きっと阿弥陀様は、私たちの呼ぶ声を聴き「よく頼ってくれたね」と喜び、救いの手を差し伸べてくれることでしょう。

今月の言葉には、そうした意味合いも込められているのではないでしょうか。

現世での人との関係性であれ、来世を願う中での仏様のとの関係性であれ、名前を呼ぶことはとても大事なコミュニケーションと言えるでしょう。新年度、新生活で初めて会う人同士に限らず、普段の生活の中で、身近にいる人、いつも接している人にもぜひ和顔をもって名前をよんであげてください。

南無阿弥陀仏

春彼岸信行会をお勤めしました

暑さ寒さも彼岸までと言いますが、この1週間はみぞれが降るほど冷え込んだり、汗ばむ陽気になったり、体調管理が難しい1週間でした。

そのようななか、17日には春の彼岸を迎え、中日である20日にはの春彼岸信行会を本堂にておつとめしました。

彼岸は中日を境に前後3日ずつありますが、この1週間の間に彼岸(=さとりの世界、浄土)へ行くための仏道修行を行う時期と言われています。仏道修行は以下の6つで、これらを六波羅蜜と呼びます。

布施(ふせ)・・・貪りの心を捨て他者に施すこと
持戒(じかい)・・・きまりを守ること、もし破ったら悔い改めること
忍辱(にんにく)・・・ぐっとこらえて我慢すること
精進(しょうじん)・・・努力を怠らないこと
禅定(ぜんじょう)・・・心を静かに精神集中すること
智慧(ちえ)・・・偏らない心で物事を正しく見ること

中日は春分の日で、ちょうど太陽が真東から上がり、真西に沈む日です。
沈む夕日の先には西方極楽浄土があるといわれています。
西方極楽浄土には先立った方々がいらっしゃると信じられてきました。
西に傾く太陽のその先に西方極楽浄土を想い浮かべ、そこにいらっしゃる故人に思いを馳せ念仏にいそしむのがお彼岸のあるべき過ごし方と言えるでしょう。

そうはいってもみなさまお忙しく、なかなかお参りに来ることは難しいようで、今回の信行会は少人数でのお勤めとなりました。
しかし、念仏一会の時間をたっぷりとり、礼拝も行いましたので、阿弥陀様のお顔を見ながらしっかりとお念仏をとなえることができたのではないかと思います。

忙しい日々の中で足を止めて、家族のこと、自分のことを想いながら時を過ごす。

ご参加いた皆様にとっては、そのような時間になったのではないかと思います。
一人ひとりの念仏の声がだんだんと大きくなり、本堂によく響いた春彼岸のお勤めとなりました。
よくぞお参りくださいました。

南無阿弥陀仏

【3月の言葉】香薫にあの人を想う

3月はお彼岸の月です。漂う春の香りに、極楽浄土の大切な方々へ想いを寄せるひと時としてください。
With scents of spring at Ohigan (equinox), let us turn our thoughts to the loved ones in the Pure Land.
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浄土宗月訓カレンダーの3月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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2月は寒い日が続きましたが、このところ気温がぐっと暖かくなってきました。
花粉もちらほらと飛んでいるようで、花粉症にはつらい季節が始まります。

3月は春の彼岸のある月です。このお彼岸の時期にお墓参りに行かれる方も多いでしょう。

今年は、3月20日が春分の日(お中日)ですので、その前後3日間を含め7日間がお彼岸になります。当山では20日の18:30より彼岸信行会を行います。ぜひ本堂にお参りいただければ幸いです。

さて、今年の月訓カレンダーの3月の言葉は、「香薫にあの人を想う」です。

香薫は香と薫という二つの文字が組み合わさっています。どちらも「かおり」を意味するものですが、少しニュアンスが異なります。

「香」という字は、鼻で感じられるよい匂いがすることを意味し、具体的に感じる匂いとして用いられます。一方、 「薫」は、どことなく匂うという意味で、漂っているにおい、肌で感覚的に感じられることに対して使われ、比喩的・抽象的な表現に用いられるといいます。

仏教には、薫習(くんじゅう)という言葉があります。薫習とは、香りが物に染みつく様子になぞらえた表現で、人の精神や行いが別の人の心にまで影響を与えていくことを意味します。たとえば、よい人と行動を共にしていると、気がつかないうちに自分もよい行動をとるようになる、といったことです。

自分の考え方や行動は亡き人の薫習の賜物かもしれません。今月の言葉には、お線香のよい香りが亡き人の記憶を喚起するだけでなく、自分の内側にあるものにふと気づいた時に、亡き人の存在やありがたさにあらためて気づく、という深い意味があるように思えます。

ぜひこの春彼岸を機縁として、この世では会えない大切な人に想いを寄せてみてください。

みなさんは香薫の向こうにどんな人を想い浮かべますか?

南無阿弥陀仏

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