お寺の農園でスイカの収穫!

先日、畑に行ってみたら見事なスイカができていました。

スイカは受粉してから45日ほどで穫れごろになると言われます。レイズドベッドを仕立てそこで最初のうちは、印をつけて管理しようとしましたが、そういうスイカに限って大きく育たなかったり、鳥に食べられたりしてダメになってしまいました。

暑さにかまけて放っておいたら、スイカのツルはレイズドベッドから大きく外に張り出し、そこかしこでたくましく育っていました。管理していないのに…。

自然はまことに不可思議です。管理しようとするとうまく育たず、放っておくと勝手に育つ。まるで、人の思い通りにはならないぞと言わんばかりです。

穫れたスイカは仏様にお供えして、先日の畑作業の後、農園部の皆さんと美味しくいただきました。また、法源寺農園部を支えてくださる若者支援窓口ココ☆カラさんにもお届けいたしました。

自分で育てた(勝手に育った?)スイカの味は格別ですね。うちのおチビちゃんたちもおこぼれにあずかり、みんなで仲良くいただきました。

まだまだ暑い日が続きます。みなさまどうぞご自愛ください。

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

おてつぎこども奉仕団

8月20日(木)~22日(土)、総本山知恩院で開催された「こどもおてつぎ奉仕団」に行ってきました。今回、法源寺からは、小学校6年生の男の子1人と小学校4年生の女の子2人、小学校3年生の女の子1人の計4人が参加してくれました。静岡教区以外にも、茨城教区、三河教区(愛知)、伊勢教区(三重)、伊賀教区(三重)など全国各地から100人ほどの子どもたちが集まりました。

初日は結団式の後、おつとめの練習をしたり、知恩院を探検したり、知恩院や浄土宗の教えに肌で触れる一日となりました。

2日目はオリジナル数珠作りをしたり、知恩院前にある白川で水遊びをしたり、さらには謎解きがあったりと、頭と体をいっぱい使う一日でした。

知恩院のご飯は美味しいらしく、「すぐに食べちゃった」と残さずみんな完食できたようです。

楽しいことも多いけど、知恩院での生活は常に修行です。移動の時も、「念仏行道」といい合掌してお念仏をとなえながら移動します。

最終日は、この3日間を振り返って感想文を書いた後、解団式となります。解団式後には、指導員の大学生たちから「また来てね」の声掛けも。参加した子どもたちの感想文を読むと「また来たい」「来年も参加したい」との声があふれていました。

知恩院を下山した後、チーム法源寺は京都水族館へ。イルカやペンギンといった人気者だけでなく、たくさんの種類がいるクラゲにも見入っていました。オオサンショウウオと背比べしたり、あなたは何クラゲタイプ?なんていうクラゲ診断で盛り上がったり、みんな和気あいあいと帰りの新幹線までの時間を過ごしました。

8月の終わりの京都は暑く、熱中症なども心配でしたが皆無事に帰ってくることができました。初めて参加した子も、複数回参加して表彰を受けた子もみんな笑顔で楽しい3日間を過ごせたようです。

小学校3年生から中学校3年生まで参加できます。ぜひ年頃のお子さん、お孫さんがいらっしゃったら来年声をかけてみてください。全国各地にお友達ができますよ♪

令和8年盂蘭盆会・新盆家供養

8月13日18時30分より、盂蘭盆会および新盆供養法要を行いました。新盆家、一般檀信徒あわせて60名ほどのご参加をいただき、皆さんと一緒におつとめすることができました。

お盆は「盂蘭盆うらぼん」の略語といわれています。「盂蘭盆」はサンスクリット語の「ウランバナ」の音を漢字にあてたもので、「逆さ吊り」という意味を持ちます。中国には『盂蘭盆経うらぼんきょう』という経典があり、そこに説かれている以下のエピソードが起源となった先祖供養の風習がお盆の起源です。

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お釈迦様の弟子のひとりに目連(もくれん)というお弟子さんがいました。目連は神通力(超能力)を持っていたため「神通第一」と呼ばれていました。

ある日、亡くなった自分の母が今どこにいるかその神通力で見てみたところ、母親は餓鬼(がき)(どう)という、飢えと渇きに苦しむ世界に落ちていました。

かわいそうに思った目連は、ご飯を持って母親のところへ行きます。でも母親が口に運ぼうとすると、そのご飯が燃え上がってしまって、結局食べられない…

どうしたらいいかわからず、目連はお釈迦様に相談します。するとお釈迦様は、「お前がどんな力を持っていても、一人ではお母さんを救えない。7月15日、修行僧たちがちょうど夏の修行を終える日に、いろんなご馳走や果物を用意して、たくさんのお坊さんたちに布施をしなさい。そうすればその功徳によって、お母さんだけでなく、七代前までのご先祖様も救われるであろう」とおっしゃいました。

目連がその通りに供養を施すと、母親は餓鬼道の苦しみから救われました。
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富士・富士宮地区では8月13日から16日がお盆の時期にあたり、仏壇をきれいにし、僧侶による棚経を受け、ご先祖様をお迎えする準備を行います。

また当山では、毎年8月13日、盂蘭盆会(うらぼんえ)にあわせ新盆家供養を行っています。新盆家からはお布施をいただき、当日お参りいただくみなさんへの供物を用意しています。新盆を迎える檀家さんには少し早めに来ていただき、供物の袋詰めを一緒に行いました。

法要では新盆を迎える祖霊を一人ずつ読み上げ念仏回向し、互いにとって大切な人の供養を共に行いました。また、法要後には用意した供物を新盆家からお参りの方々にお渡しただきました。

今年は4月末に先代住職の内室がお浄土に旅立たれましたので、当山にとっても新盆を迎えることになりました。多くの方にお参りいただいたことで、先代住職とともにきっと喜んでお帰り下さることでしょう。こうしてお盆のお迎えの準備がみなさまと一緒にできたことにほっといたしました。

暑い中、ともに手を合わせお参り下さった皆様、お手伝いいただいた新盆家の皆様、誠にありがとうございました。

南無阿弥陀仏

【8月の言葉】争いなき 平和な支え合い

自身のことを優先し他者とぶつかり合いがちな私たち。
相手を思い、助け合う気持ちを持つこと、それが平和への第一歩です。
Practice thinking of others before you think of yourself. This will bring peace to the world.
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浄土宗月訓カレンダーの8月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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8月は終戦記念日を迎える月です。1945年から数えて81回目の夏。戦没者の慰霊とともに、平和の尊さをあらためて思う時期でもあります。

自分のことを優先し、他者とぶつかり合ってしまう。それは個人と個人の間だけでなく、国と国との間でも変わらないようです。今年はイランとアメリカの間で軍事衝突が起こり、多くの命が失われました。一時は停戦の合意もなされましたが、それも長くは続かず、争いは今も続いています。自国の利益や正義を優先するあまり、争いがやまない。その構図は、私たちの日常の小さな諍いと、根っこのところでつながっているのかもしれません。

お釈迦さまは『法句経』の中で、「怨みに怨みを返せば、怨みがやむことは決してない。怨みを捨ててこそ、はじめてやむ。これは永遠の真理である」と説いています。争いは、争いによっては終わらない。恨みに恨みで応じれば、その連鎖はどこまでも続いていくのです。

実は浄土宗を開いた法然上人は幼少期、父親が政敵に討たれるという辛く悲しい経験をしました。しかし、死の間際、父である漆間時国は「もし、おまえが恨みをもったならば、その恨みは何世代にわたっても尽きがたいであろう。早く俗世を逃れ、出家して私の菩提を弔い、おまえ自身も、悟りをもとめるにこしたことはない」と幼い法然上人に伝えたと言われています。恨みは争いを呼び、争いは平和を遠ざけることを知っていたのでしょう。

親を討たれた恨みは計り知れないものですが、日ごろ私たちはちょっとしたことでも恨みや妬みを感じます。

その恨みや妬みは争いの根本ですが、結局はわが身の可愛さによるところが大きいのです。自分の利益を最大化したいという欲、どうして自分ばかりという不公平感、どこまでいっても自分、自分、自分です。

自分を優先する心を脇に置き、まず相手を思う。その小さな心がけの積み重ねが、争いの連鎖を断ち切る唯一の道であると二千五百年前から説かれてきました。心がけでは世界の戦争を止めることはできないかもしれません。けれども、家庭の中で、地域の中で、目の前の人を思いやり、争わずに助け合うことならできるはずです。

争いなき平和な支え合い

ところが頭では分かっていても、いざとなると自分のことを優先してしまう。相手を思う心を大切にしたいと願いながら、なかなかそうはできない。それが私たち凡夫です。

その弱さを責めるのではなく、手を合わせ、お念仏を称える。その時間の中で、争わずにいられなかった一日を、争わせてしまった自分の心を、静かに見つめ直す。

そうして自分を省みる時間を重ねていくことが、平和への確かな一歩になるのだと思います。

南無阿弥陀仏

令和8年 棚経の日程

8月に入ると、富士富士宮地区はお盆の本番を迎えます。
毎年、ご先祖様をお迎えするため仏壇での回向を行っております。
今年も上記の日程表の通り、それぞれのお家にお参りさせていただく予定です。
ご都合が悪い場合はご一報いただければ幸いです。

僧侶が棚経にお参りに伺った際は、どうぞご一緒にお参りください。
お十念だけでも結構です。皆様の声がご先祖様にとっても何よりの供養となると思います。

南無阿弥陀仏

参道舗装工事及び駐車場の拡張が終わりました

7月8日から始まった参道の舗装工事ですが、すでに終わり、西側からも駐車場に入れるようになりました。また、今回、参道に隣接する西側の土地を舗装し駐車場を拡張いたしました。

工事中は何かとご不便をおかけしたことと思います。ご理解ご協力に感謝申し上げます。

アスファルト舗装した参道は一見すると公道のように見えるかもしれませんが、あくまでもお寺の私道(参道)です。もしもの時に駐車できるよう、こちらにも駐車の目安となる線を引いてあります。

おかげさまで今回の工事で25台分の駐車スペースが確保できました。お盆やお十夜の時期は駐車場が混雑しますが、これでよりいっそうお参りしやすくなるのではないかと思います。

皆様どうぞ安全運転でお参りください。

合掌

夏の農園部の活動

夏の日差しを浴びて雑草がすくすくと育ってしまいました。この雑草を何とかしなければということで、農園部の皆さんと草取りをいたしました。

農園部は「富士市若者相談窓口 ココ☆カラ」とつながる若者たちと一緒に作った団体です。就労を目指す若者たちの社会参加の一助になればと思い、6年ほど前から飛び地境内を農園にし、活動に取り組んでいます。

こちらが助けるどころか、助けられてばかり。休み休みの作業とはいえ、暑い中参加してくれた若者たちには本当に感謝です。

ふと見ると、雑草に負けず里芋が大きく育ってきました。

秋の収穫が楽しみです。

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

中島地区子育て地蔵尊の祭礼

7月18日、中島地区の子育て地蔵尊の祭礼にて法要をおつとめしました。

今年は子どもの数が少なくなったため神輿はなく祭礼のみとなりましたが、炎天下の中、区長さんをはじめとする地域の方々やお子さんが参加くださり、無事お勤めすることができました。

この地蔵尊の祭礼は、篤信の檀家様によって昭和6年(1931年)この地を当山の境内地としてご寄進いただいたことに端を発します。以来、95年にわたって連綿と受け継がれてまいしました。

その頃の法源寺はというと先々代が住職を務めていた頃でしょう。その後、先代・功旭上人に引き継がれ、現住職・裕功上人に引き継がれ、そして私と、四代にわたって地域の安寧と子供の成長を祈願する法要をつとめてまいりました。きっと、この日お参りの地域の古老の方々も子どもの頃から参加していたに違いありません。

この日は梅雨明け前とはいえ地獄のような暑さでしたので、法話では地獄とお地蔵様の関係について以下のようなお話をいたしました。

地獄といえば閻魔大王を思い浮かべる人も多いでしょう。人が亡くなると、まず奪衣婆に服を脱がされ、その服の重さで生前の罪の重さを計られます。木の枝にかけてそのしなり具合を見るのですが、罪が重い人ほど枝が下までしなるというわけです。

この罪の重さにより、川を渡る場所が決まりました。罪深い者は深く流れの急なところを泳いで、罪が軽い者は浅瀬を歩いて、そして、罪がほとんどない者は橋を使って向こう岸へ渡ります。このわたる場所が三か所あることからあの世とこの世を分ける川を「三途の川」といったのです。

川を渡ると、極楽に行くか地獄に行くか、閻魔大王の裁きが待っています。浄玻璃の鏡に姿を映すと、隠してきた悪事も露わになってしまいます。一切ごまかしがきかないのです。そうして生前の罪を吟味し、私たちを裁くのです。

さて、『地蔵十王経』というお経には、この閻魔大王は地蔵菩薩の化身であると示されています。なんと実はこの閻魔様、本当の姿はお地蔵様だというのです。意外ですよね。

人が亡くなると七日ごと、初七日、二七日、三七日・・・と供養をして(七本塔婆を裏返していく)と聞いたことがあるでしょう。実はその七日ごとに私たちは裁きを受け、次のステージへと進んでいくのです。そして、七七日(四十九日)は次の生が決まるとされています。

閻魔大王が登場するのは五七日。地方によっては葬儀の後に、続いて三十五日法要を執り行うところもあるようです。生きているものが功徳を積み、その功徳を亡き人に振り向けることで罪障消滅をお願いするというわけですね。

しかし、閻魔様は私たちを地獄に落としたいわけではありません。できることなら、これを機縁に仏道に心を寄せてほしい、極楽浄土に行ってほしいと思っています。そのためあんなに厳しいお顔でいらっしゃるのです。なんだか、部活動の怖い監督みたいな感じですね。

でも、閻魔大王の本当のお姿がお地蔵様だと聞くと、少し安心しませんか。あんなに恐ろしいお顔をなさっているのは、私たちを懲らしめたいからではなく、なんとか仏様の道に引き戻したいという、厳しい愛情の表れだったのです。

お地蔵様は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という六道すべてを巡り、そこで苦しむ者を一人残らず救い上げるまでは、ご自身は仏にならないという誓いを立てられました。とりわけ最も苦しみ深い地獄にまで、自ら出向いて救ってくださる。そういう仏さまがこの地を長らく守って下さったことともに感謝し、これからも大切にお祀りしていきましょう。

こうした伝統ある行事が連綿と受け継がれていくお手伝いをさせていただいたことにありがたく思いました。

南無地蔵尊

参道整備のご案内

7月8日より、旧東海道からお寺に向かう参道の舗装工事が始まりました。これにともない、これまで西側から駐車場に入る入り口を封鎖しております。工事は7月下旬には出入りが可能になると思いますが、しばらくこちらから侵入することはできません。法源寺へお越しの際は、東側の入り口から駐車場にお入りください。

また、参道に隣接する西側の空き地(寺院側半分)に駐車場を設けることとなりました。こちらも今月中には完成予定です。例年お盆の時期は駐車場が混雑しますが、駐車可能台数が増えますので、お車での参拝がいっそう便利になるかと思います。

工事の間はご不便をおかけしますが、ご理解ご協力の程どうぞよろしくお願いいたします。

【7月の言葉】思い 思われ 手を合わす

私たちが手を合わせ、極楽浄土の阿弥陀さまや
ご先祖さまを思うとき、その方々も私たちを思ってくださるのです。
When you place your palms together and think of those who have passed, they are watching over you.
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浄土宗月訓カレンダーの7月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。

これは大正時代末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人、金子みすゞの詩「こだまでしょうか」の前半です。東日本大震災の後、テレビで繰り返し流れていたのでそれを覚えている方もいらっしゃるでしょう。
この詩はこう続きます。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

思えば思われるという言葉がありますが、優しい言葉をかければ優しい言葉が返ってくる、冷たい態度を示せば冷たい態度が返ってくる、そうした人と人との関係性を描いた詩です。

法然上人が師と仰いだ唐の善導大師は『観無量寿経疏』の中で、「彼此の三業あい捨離せず」(彼此三業不相捨離)と言っています。

彼(ひ)とは阿弥陀如来のこと、此(し)とは我々のこと、三業とは身体、言葉、心の三つの行いのことを言います。つまり、私たちの行いや言葉、思いを見聞きし受け止めており、我々が阿弥陀仏のことを想い続ければ、阿弥陀仏もまた私たちのことを想い続けてくださるということです。

これは単なる比喩ではありません。

私たちがお念仏を称え、阿弥陀仏を想うとき、その声は空に消えるのではなく、必ず聞き届けられ、応えてくださいます。呼べば、必ず返ってくる。それは、ご先祖との関係にも通じるものです。

お盆に手を合わせ、亡き人の名を呼ぶとき、返事は聞こえません。けれども、こだまが山に向かって放った声を必ず返すように、その思いは一方通行では終わりません。極楽浄土からご先祖もまた、こちらを見つめ、私たちのことを想ってくださっています。

「もう会えないから」と心を閉ざしてしまえば、その思いもそこで止まってしまいます。しかし、手を合わせ、語りかけ続ける限り、その思いは必ず届き、そしてまた返ってくるのです。

思い 思われ 手を合わす

呼べば応え、想えば想われる。それは阿弥陀さまとの関係であり、ご先祖との関係でもあります。7月に入り、当山でもそろそろお盆の準備が始まります。思うだけでなく手を合わすという行為を、手を合わすだけでなく思いを込めるという意識を大切にお過ごしいただければ幸いです。

南無阿弥陀仏

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