おかげさまの心で

今年も残すところあとわずか。やり残したことはありませんか?

年末はお盆に次いで多くの方がお墓参りに訪れます。帰省とも重なるからでしょうか。一年の終わりを迎えるにあたって、先祖が眠るお墓を掃除し、手を合わせる方が多くいらっしゃいます。

今年もコロナに翻弄された一年でしたが、その中で少しずつできることも増えてきました。
当山でも、彼岸お盆、さらには十夜法要をオンラインで配信したり、秋にはおてつぎ信行奉仕団として京都・知恩院を皆さんと一緒に参拝したり、新たな挑戦や、活動の再開の目途が立ちつつある一年となりました。また地域活動としては、ひきこもりの若者を支援するNPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡さんとつながり、法源寺農園部の活動が始まったり、ダンスワークショップを行ったりと、寺院としての可能性も広がったように思います。

それもこれも陰日向に支えて下さる、檀信徒の皆様、地域の皆様あってのことでしょう。あらためて御礼申し上げます。

さて、仏教、とくに浄土教では「他力」の教えを説きます。これは自分の力だけでさとりを得ることができない私たちは、仏の力によって極楽に往生し、そこでさとりをひらくことができるというものです。この仏の力を他力といいます。ですが、一般的には「他人の力」「他人まかせ」といいような意味合いで使われることも多いですね。

いつだったか、仏様の力についてこんなお話を読んだことがあります。

仏様は荷車を後ろから押してくれる、そんな見えない力をくださるものなんだ

荷車は人が引っ張って前に進むものです。平坦な道はいいですが、上り坂は大変です。そんな時、後ろから押してくれる人がいたらどんなに助かることでしょう。でも、後ろから押す人は荷車を引く人からは見えません。ひょっとしたら自分自身の力でその坂を上ったと思うかもしれません。長い道のりを一人の力で歩き通したと思うかもしれません。

これと同じで私たちが今日ここまで歩いてきた道のりは、見えない、意識もしなかった誰かの助けによって歩いてこれた道のりなのかもしれません。自力でやり遂げたと思っていることの陰に他力のはたらきがあるかもしれません。だからこそ、見えないものにこそ感謝の気持ちを振り向け、おかげさまの心を持ちたいものです。

感謝の気持ちはカタチにしましょう。亡くなられた方には、花を手向け、手を合わせてください。今生きている人には、「ありがとう」と言葉にして伝えましょう。

今年もあとわずかですがまだカタチにする時間は残っています。一年を無事過ごせた喜びと感謝の気持ちを備えて、よいお年をお迎えください。

南無阿弥陀仏

おてつぎ信行奉仕団

11月27日~28日、住職、副住職、檀信徒あわせて21名で、おてつぎ信行奉仕団へ行って参りました。法源寺としては、昭和44年(1 9 6 9)3月に、第1回の奉仕団をはじめてから、今回で22回目の祖山参拝となります。コロナウイルスの感染状況も落ち着いてきていましたが、バスは2席1名での利用とし、参加者の受付も2回のワクチン接種を終えた方のみとさせていただきました。

おてつぎ信行奉仕団とは、簡単に言うと、京都の総本山・知恩院で、お念仏の称え方や礼拝の仕方などを学ぶとともに、作務(清掃活動)を行います。お勤めでは、普段入ることのできない、大方丈や国宝・御影堂の内陣などでお参りをすることができます。こうした知恩院での仏道修行を通じて、日頃の生活や自分自身を見つめなおす機会をいただき、念仏の信仰を深めるというものです。

知恩院到着後、結団式、御影堂参拝、別時念仏を勤めました。御影堂は、昨年、屋根瓦の全面葺き替え等の修繕が終わったばかりで、堂内のしつらえも新しく、晴れやかな気持ちでお参りさせていただきました。

昼食後、礼拝、法話、清掃活動と修行は進みます。晴れていれば外で落ち葉掃きですが、この日は降ったり止んだりの不安定な天気でしたので、御影堂の回廊を拭き掃除しました(バケツの水が冷たかったです)。国宝の建物を掃除する機会はめったにありませんので、これも貴重な体験です。

その後、宿坊であるホテル和順会館に入り、講堂にて法話を聴き、夕食となりました。
その後は自由時間となりましたが、コロナのこともありあまり遠出はせず、みなさん三門や御影堂のライトアップを楽しんでお部屋に戻られたようです。

翌日は5:20に起床し、御影堂での朝のお勤めに参加。別回向を申し込みされた方々の縁ある人々の戒名を読み上げていただき、御供養いたしました。その後、浄土宗の開祖・法然上人の遺骨が納められている御廟を参拝。澄んだ空気の中で称えるお念仏はまた格別です。紅葉も鮮やかで、清々しい朝を迎えることができました。

和順会館に戻り、朝食をとった後は、解団式です。毎回、信行奉仕団は2日目の朝に終わりますが、そのまま帰るのではなく、京都や京都近郊の観光地に寄ってから帰るのが通例です。知恩院を後して、今回は彦根城を訪れました。日本には国宝のお城(天守閣)が5つありますが、その一つが彦根城です(そのほかは、松江城、姫路城、犬山城、松本城)。昨日とは違って雲一つない快晴の中、玄宮園からの天守閣の眺めは格別でした。

コロナでなかなか遠出ができない昨今、ご参加いただいた皆様には大変ありがたく思います。
感染症対策でご不便をおかけしたこともあるかと思います。そのような中でもお参り下さいましたこと、改めて御礼申し上げます。

今回のおてつぎ信行奉仕団には、数を重ねて参加された方もいますが、新しくご家族を亡くされその供養のためにと、また、以前参加されていた家族の思いを受け継いでと、新たなご縁でご参加いただいた方もいらっしゃいました。こうして、ともに総本山知恩院へお参りさせていただくことで、お念仏という心の拠り所ができるだけでなく、「同行の仲間」ができることも嬉しいことです。

ぜひみなさま、次回のおてつぎ信行奉仕団にご参加ください。

観音講を行いました

11月17日に観音講をいたしました。コロナの感染者数は減ってはいるものの、いつ拡大するかはわかりません。マスクをつけながらの読経となりました。

法源寺には、本尊・阿弥陀如来のほかに、千手観音菩薩が安置されています。
実は江戸時代、富士・富士宮地区にまたがって富士横道観音霊場があり、霊場巡りが行われていました。現在は廃寺になってしまった霊場も多く、霊場巡り自体は行われておりませんが、法源寺はこの第二十六番札所にもなっており、その名残をとどめるものとして毎月17日に観音講を行っています。

「音を観る」と書いて「観音」と書きます。人々の苦しみや悲しみの声を観て、救済に現れるのが観音様です。千手観音はその一つ一つの掌に目があると言われています。それだけ多くの世界の苦しみを観て、救いの手を差し伸べてきた仏様なのです。

当山では毎月17日に観音講を行っております(8月、1月を除く)。

ぜひ一度お参りに来てみませんか。

文化の日

11月3日は文化の日です。博物館や美術館の中には入館料を無料にしたり、様々な催し物を開催したりする所もあり、文化に親しむ日とされています。

みなさんは、「文化」というとどういうものを思い浮かべるでしょうか?

本日、皇居では、文化勲章の授章式が行われます。今年の受章者には、歌舞伎俳優の尾上菊五郎さんや元・読売巨人軍の選手で監督も務めた長嶋茂雄さんらがおり、そのほかには学術の世界で活躍された方々などがいらっしゃいます。昨年は脚本家の橋田寿賀子さんも受章しました。文化というと、こういった伝統芸能やスポーツ、芸術の中にあると感じられる方も多いのかもしれません。しかし、私たち日常の営みこそ「文化」があるのではないかと感じるのです。

大正時代に、柳宗悦(やなぎむねよし)という思想家が、民藝(みんげい)運動を始めました。
当時、工芸品は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流で、これらを美術的価値があるものとして評価する風潮がありました。しかし、柳宗悦は、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民衆的工芸(=民藝)」と名付け、日常生活の中にこそ美があると唱えました。使われるために作られたものの中にこそ、魂が宿っている。人々の生活に根ざした「民藝」には機能的な美しさがある。と、新たな「美の価値観」を提示したのです。

このことからすると、私たちの身近にあり、普段は気づかないけれど、当たり前のように行われていることにも、私たちの思いや感情が込められた「文化」があるのではないでしょうか。たとえば、神仏に手を合わせる。お墓参りをする。先祖を供養する。芸術鑑賞や楽器演奏とは違いますが、これもまた私たちの体に血肉化された「文化」です。

日本に仏教が伝わって1500年、浄土宗が開かれて850年の年月が流れています。その間、仏教は形を変えながら、私達の日々の生活の中に深く根差してきました。

先祖供養もそのひとつと言えます。この連綿と受け継がれてきた、教えと実践を、受け止め、次世代に伝えていく。これもまた文化を継承していくことと言えるでしょう。
年回法要を務めることは、亡き方のご供養になることはもちろんですが、私達、現世にいるものにとっても次世代への文化を伝える重要な意味があると思っています。

一方で、東京をはじめとした首都圏では、コロナ禍により仏事が省略されることが多いと伺います。

目に見えがたい精神文化をどう形に残していくのか、どのような文化を残したいのかが、今問われているように思います。手を合せ、十遍のお念仏を唱える。法然上人以来受け継がれてきたこの文化を、寺院として広く世に伝えていきたいと思います。

南無阿弥陀仏

令和3年十夜法要厳修

10月14日(木)、当山本堂にて十夜法要を厳修いたしました。
感染者数は減ってるとはいえ、何をきっかけに広がるかわからない新型コロナです。感染症への対応を取りつつ、今回もオンラインを併用しながら無事お勤めすることが出来ました。

当日は本堂内に20名を超える方がお集まりくださり、ご一緒にお念仏をおとなえいたしました。また、法要後は富士市・清岩寺副住職の伊藤友昭上人によるご法話をいただきました。
身近な人を亡くされた体験を語りながら、念仏の功徳についてのお話は、参加者の心を打つものであったと思います。

さて、法源寺は浄土宗に十夜法要をもたらした観譽祐崇上人が開山した寺院ですので、この十夜法要は昔から大切に受け継がれてきたものです。コロナ禍にあっても何とか実施できるよう、この2年、試行錯誤を繰り返してきました。

ご参加くださった檀信徒の皆様、十夜法要の運営をサポートしてくださいました総代、世話人の皆様、改めて御礼申し上げます。

令和3年 十夜法要について【Live配信】

さて、今年もお十夜の季節がやってまいりました。
感染者数は落ち着いてきたとはいえ、まだまだ安心できません。コロナ禍の事情を鑑み、彼岸法要同様、YouTubeでライブ配信させていただきます。上記の画面をクリックしていただければ、YouTubeのページに飛ぶことができます。少しの時間でも構いません。ご一緒にお参り下さい。
法要後には、清岩寺・伊藤友昭上人から「十夜法要とお念仏」と題したご法話をいただきます。こちらも同じチャンネルでそのままライブ配信いたしますので、ぜひお聴きください(※10月15日追記:ライブ配信のみでリンク先の動画には掲載されておりません。ご了承ください)。

お十夜の歴史は古く、永享年間(1430年頃)にまでさかのぼります。

室町時代の第六代将軍足利義教の執権であった平貞経の弟・平貞国が世の無常を感じ、仏道に生きようと京都の真如堂にこもり、十日十夜の念仏行を行ったことがその始まりとされています。 これを、浄土宗に広めたのが、大本山鎌倉光明寺の第九世観譽祐崇上人でした。

当時、幕府のあった鎌倉で高僧として名高かった祐崇上人は、宮中に参内し『阿弥陀経』の講義を行い、真如堂の僧とともに引声念仏を修したことで、時の天皇より勅許を受け、以来浄土宗寺院でも勤修されるようになりました。

実は、米宮山法源寺はこの祐崇上人によって創建された寺院とされています。 したがって、当山にとっても十夜法要は縁が深く、また、開山以来、五百二十余年にわたり受け継がれてきた大切な法要なのです。

どうぞ、ご一緒に手を合わせていただけましたら幸いです。

南無阿弥陀仏

お参りの作法

もうすぐお彼岸ですね。お墓参りに行かれる方も多いでしょう。
落ち葉や雑草を取り除き、墓石を洗ったり、拭いたりしておそうじされた後、亡くなった方が好きだったものをお供えし、お花をあげ、お線香を焚き、手を合わせられると思います。
ぜひ、手を合わせ故人を想うとき、いっしょに十遍のお念仏(十念)をお唱え下さい。

浄土宗を開いた法然上人は、誰でもできることこそ多くの人が救われる道として、阿弥陀仏の名前を声に出して唱えることを広く勧められました。十遍のお念仏は、まさにその教えを具現化したものです。何も難しいことはありません。10回、南無阿弥陀仏と唱えるだけですが、ちょっとしたコツがあります。

まず、ナムアミダブと4回唱えます(“ツ”は声に出さずに)。
息を継いだ後、さらにナムアミダブと4回唱えます(ここでも“ツ”は声に出しません)。
9回目だけナムアミダブツと“ツ”を入れてお唱えし、10回目は、ゆっくりナームアミダーブーと頭を下げながらお唱えします。

これが十念のお作法です。発声だけを書き出すと以下の様になります。

ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ
ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ ナムアミダブ
ナムアミダブツ ナームアミダーブー

言葉だけではわからないという人もいるでしょう。
そんな時はこちらの動画を参考になさって下さい。

十遍のお念仏は、お墓参りの時だけでなく、お仏壇や日々の生活の中でもお唱え頂けます。
いつでも、どこでも、誰にでもできる、簡単にして奥深い実践がお十念なのです。
どうぞ、彼岸の機会に浄土宗の教えに触れ、実践していただたら幸いです。

南無阿弥陀仏 

令和3年 秋彼岸信行会について【Live動画配信】

朝夕の風がずいぶん涼しくなりました。気づけば9月。あっという間に秋の訪れです。

秋分の日をはさんで前後3日間、計7日間は秋の彼岸です。今年は、9月23日(木・祝)が秋分の日ですので、この日が〈お中日〉となり、20日(月・祝)は〈彼岸の入り〉、26日(日)は〈彼岸の明け〉となります。

彼岸とは、〈あちらの岸〉、すなわち、さとりの世界のことです。これに対して、私たちがいる世界を此岸(しがん)といいます。本来、彼岸とは、さとりに至るため六波羅蜜(布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧)と呼ばれる仏道実践を行う期間とされています。また、そのお中日は、太陽がちょうど真東から昇り、真西に沈む日でもあります。

阿弥陀様のいる西方極楽浄土は、その名の通り〈西方〉にあるとされています。極楽浄土には先立たれた懐かしい方々もいらっしゃることでしょう。彼岸に日が沈む方角こそ、まさに仏様がいらっしゃる場所なのです。

真西に沈む夕日を観じながら、仏の世界、さとりの世界へを想いを馳せ、日々の自身を振り返る。彼岸をそのような期間ととらえ、ぜひ仏縁を深めていただきたいと思います。

さて、当山では、例年、彼岸のお中日に信行会を勤修しております。感染症対策に気を付けながら本堂でのお参りもできるよう環境を整えておりますが、遠方の方、心配な方のためにYouTubeでもLive配信をいたします(9月23日18:30になりましたら、このウェブサイト上でも視聴することができます)。素人配信ですので何かと不備があるかもしれません。その際はご寛恕のほどお願い申し上げます。

どうぞみなさまにとってお参りしやすい方法で、同じ時間をともに過ごしていただけましたら幸いです。

南無阿弥陀仏

令和3年度 盂蘭盆会・新盆家供養

8月13日18時30分より、令和3年度盂蘭盆会及び新盆家供養を本堂にて行いました。

お盆は「盂蘭盆」(うらぼん)の略語といわれています。『盂蘭盆経』には、今日のお盆の風習につながる以下の様な逸話が説かれています。

お釈迦様の弟子のひとりに、神通力を持つ目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。ある日、亡き母がどうしているかと、神通力を使って母親の姿を探したところ、餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに苦しむ母親の姿が見えました。神通力で食べ物や飲み物を届けようとしますが、母親の元に届く前に火に包まれてしまい、母親を助けることはできません。何とか救いたいと願った目連尊者は、師匠であるお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、雨期に行われる修行を終えた修行僧であればその徳をもって母親を救えるかもしれない、したがって彼らに食べ物や飲み物をささげるよう目連尊者に告げました。そして、修行僧たちにもまた、この施しを受ける際には、施主家の七代の父母のために祈りを捧げるようにと伝えました。目連尊者はその通りに修行僧たちを供養し、その功徳によって目連尊者の母親は餓鬼道から救われました。

この逸話をもとに、当山では毎年8月13日に盂蘭盆会を厳修し、とくにその年に初めてお盆を迎える新しい仏様の供養をねんごろに行っています。

例年100人ほどの参加者があり、本堂内が満員になるほどの大きな法要ですが、今年は昨年同様、感染症拡大防止の観点から本堂でお参りいただくのは新盆家のみとし、本堂前での焼香、もしくはzoomを使ったオンラインでの法要参加を呼びかけました。

当日はあいにくの雨模様でしたが、本堂内には27名ほど、オンラインでも15名ほどの参加者がおり、本堂前での焼香台でも8名ほどの方がお参り下さいました。例年通りとはいかないまでも、様々な形でのご参加をいただきましたこと、改めて御礼申し上げます。

足元の悪い中お参り下さった皆様、オンラインでの法要にご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。

お盆の大掃除

富士地区ではもうすぐお盆を迎えます。

今日は住職が指導する富士高剣道部の生徒さんが大掃除を手伝いに来てくれました。

家の掃除とは勝手が違い、仏具やガラス窓に悪戦苦闘しながらも、本堂、書院、外庭、会館を掃除してくれました。今年の部員は17人と大所帯ですので、人海戦術さながら広いお寺もあっという間に綺麗にしてくれました。暑い中、作業をしてくれて感謝です。

こうして、お盆を迎える準備は着々と進んでいます。

県下では、まん延防止等重点措置が8日から適用されるとのこと。俗世の人の移動は制限されるかもしれませんが、ご先祖様の帰省は例年通りかと思います。

どうぞお盆のご準備を懇ろになさってください。

南無阿弥陀仏