
8月に入ると、富士富士宮地区はお盆の本番を迎えます。
毎年、ご先祖様をお迎えするため仏壇での回向を行っております。
今年も上記の日程表の通り、それぞれのお家にお参りさせていただく予定です。
ご都合が悪い場合はご一報いただければ幸いです。

僧侶が棚経にお参りに伺った際は、どうぞご一緒にお参りください。
お十念だけでも結構です。皆様の声がご先祖様にとっても何よりの供養となると思います。
南無阿弥陀仏

富士山の見える浄土宗のお寺 〒416-0954 富士市本市場町1040 ☎0545(61)1066

8月に入ると、富士富士宮地区はお盆の本番を迎えます。
毎年、ご先祖様をお迎えするため仏壇での回向を行っております。
今年も上記の日程表の通り、それぞれのお家にお参りさせていただく予定です。
ご都合が悪い場合はご一報いただければ幸いです。

僧侶が棚経にお参りに伺った際は、どうぞご一緒にお参りください。
お十念だけでも結構です。皆様の声がご先祖様にとっても何よりの供養となると思います。
南無阿弥陀仏

7月18日、中島地区の子育て地蔵尊の祭礼にて法要をおつとめしました。
今年は子どもの数が少なくなったため神輿はなく祭礼のみとなりましたが、炎天下の中、区長さんをはじめとする地域の方々やお子さんが参加くださり、無事お勤めすることができました。
この地蔵尊の祭礼は、篤信の檀家様によって昭和6年(1931年)この地を当山の境内地としてご寄進いただいたことに端を発します。以来、95年にわたって連綿と受け継がれてまいしました。
その頃の法源寺はというと先々代が住職を務めていた頃でしょう。その後、先代・功旭上人に引き継がれ、現住職・裕功上人に引き継がれ、そして私と、四代にわたって地域の安寧と子供の成長を祈願する法要をつとめてまいりました。きっと、この日お参りの地域の古老の方々も子どもの頃から参加していたに違いありません。

この日は梅雨明け前とはいえ地獄のような暑さでしたので、法話では地獄とお地蔵様の関係について以下のようなお話をいたしました。
地獄といえば閻魔大王を思い浮かべる人も多いでしょう。人が亡くなると、まず奪衣婆に服を脱がされ、その服の重さで生前の罪の重さを計られます。木の枝にかけてそのしなり具合を見るのですが、罪が重い人ほど枝が下までしなるというわけです。
この罪の重さにより、川を渡る場所が決まりました。罪深い者は深く流れの急なところを泳いで、罪が軽い者は浅瀬を歩いて、そして、罪がほとんどない者は橋を使って向こう岸へ渡ります。このわたる場所が三か所あることからあの世とこの世を分ける川を「三途の川」といったのです。
川を渡ると、極楽に行くか地獄に行くか、閻魔大王の裁きが待っています。浄玻璃の鏡に姿を映すと、隠してきた悪事も露わになってしまいます。一切ごまかしがきかないのです。そうして生前の罪を吟味し、私たちを裁くのです。
さて、『地蔵十王経』というお経には、この閻魔大王は地蔵菩薩の化身であると示されています。なんと実はこの閻魔様、本当の姿はお地蔵様だというのです。意外ですよね。
人が亡くなると七日ごと、初七日、二七日、三七日・・・と供養をして(七本塔婆を裏返していく)と聞いたことがあるでしょう。実はその七日ごとに私たちは裁きを受け、次のステージへと進んでいくのです。そして、七七日(四十九日)は次の生が決まるとされています。
閻魔大王が登場するのは五七日。地方によっては葬儀の後に、続いて三十五日法要を執り行うところもあるようです。生きているものが功徳を積み、その功徳を亡き人に振り向けることで罪障消滅をお願いするというわけですね。
しかし、閻魔様は私たちを地獄に落としたいわけではありません。できることなら、これを機縁に仏道に心を寄せてほしい、極楽浄土に行ってほしいと思っています。そのためあんなに厳しいお顔でいらっしゃるのです。なんだか、部活動の怖い監督みたいな感じですね。
でも、閻魔大王の本当のお姿がお地蔵様だと聞くと、少し安心しませんか。あんなに恐ろしいお顔をなさっているのは、私たちを懲らしめたいからではなく、なんとか仏様の道に引き戻したいという、厳しい愛情の表れだったのです。
お地蔵様は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という六道すべてを巡り、そこで苦しむ者を一人残らず救い上げるまでは、ご自身は仏にならないという誓いを立てられました。とりわけ最も苦しみ深い地獄にまで、自ら出向いて救ってくださる。そういう仏さまがこの地を長らく守って下さったことともに感謝し、これからも大切にお祀りしていきましょう。

こうした伝統ある行事が連綿と受け継がれていくお手伝いをさせていただいたことにありがたく思いました。
南無地蔵尊

6月7日、法源寺第二十三世髙瀨功旭上人 内室 髙瀨美智枝の四十九日法要(満中陰法要)を親族のみで行いました。先代内室には子が2人、孫が6人、ひ孫が11人います。それぞれの伴侶を合わせると、親族のみといっても総勢27名でのにぎやかな法要となりました。
当山のある地域では写真にあるような七本塔婆を用意し、七日ごとの供養が終わるたびに裏返していきます。当日は立ち日(命日)からすると六七日法要にあたりますが、皆がそろうこの日に七七日(満中陰)法要を営みました。
雨が心配される天候でしたが、納骨まではなんとか降らず、無事お勤めすることができました。納骨後は、お斎の席があり、先代内室の写真を見ながら思い出話に花を咲かせました。
こういう機会を大切にしていきたいと思います。
南無阿弥陀仏

5月23日、富士宮の大頂寺さまにて岳陽組の檀信徒総会が行われました。令和7年度の事業報告と決算報告、そして令和8年度の事業計画案と予算案が審議され、無事承認をいただきました。
今年度は9月17日に大井川文化会館で教区檀信徒大会が行われるほか、11月末には岳陽組としてのおてつぎ信行奉仕団の予定がございます。ぜひ多くの方にご参加いただけたらありがたいです。【教区檀信徒大会の様子】 【おてつぎ信行奉仕団の様子】

総会の後は浄土宗特任布教師で、知恩院、増上寺、金戒光明寺と総・大本山の布教師をつとめていらっしゃる樋口法生上人(宮城教区・慈恩寺住職)をお招きし、「震災を通じ本願をかみしめる」と題した法話をいただきました。
樋口上人のご出身は宮城県石巻市。東日本大震災の津波で大きな被害を受けた地域の一つです。津波で流された方の遺体が数多く収容され、その遺体の火葬が間に合わず、仮埋葬(土葬)という形で次々と埋葬されていきましたが、遺族からはせめて火葬だけはしてあげたいとの願いで山形県や岩手県の自治体での火葬を行う人も少なくなかったようです。
辛い別れを経験した遺族は故人に対し、安らかに、そしてもうこれ以上苦しむことがないように、との思いが強かったとのこと。何ができるわけでもありませんが、浄土宗僧侶としてただ一つ言えることは、阿弥陀様はどんな方でも救い取って下さる。阿弥陀様のいる極楽浄土は心安らかになれる場所であるということだけであると。
こうした震災当時のお話を交えながら、法然上人の御法語にある「ある時には世間の無常なることを思いてこの世のいくほどなきことを知れ。ある時には仏の本願を思いて必ず迎え給(たま)えと申せ」という一節を解説くださいました。
現代語訳するなら「ある時には、世間が無常であることを思って、この人生がさほど長くないことをわきまえなさい。またある時には、阿弥陀仏の本願を思って、「必ず極楽へお迎えください」と口に出しなさい」となるでしょう。
私たち凡夫は、限りある命、この世は無常と頭で知ってはいても、命がいつまでも続くがごとく日々を過ごしています。そう思わずに、阿弥陀様のわが名を称えるすべての人を極楽浄土に迎え入れるという誓い(本願)を頼みに念仏に励みましょうということです。
ご自身の体験から実感を得て語られる力強いお言葉に、多くの聴衆が深くうなずいておりました。心に染み入るご法話を頂戴し、まことに良きお時間を過ごさせていただきました。
南無阿弥陀仏

法源寺第二十三世髙瀨功旭上人 内室 故 髙瀨美智枝(享年98才)儀、葬儀に際しましてはご多用中にもかかわらず大勢の方のご会葬を賜り、またご丁寧なるご厚志をいただき、誠にありがとうございました。
皆様がお称え下さったお念仏のおかげで、美智枝刀自も極楽浄土にいる功旭上人との再会を果たせたと思います。心より感謝申し上げます。
本来、直接拝趨の上、ご挨拶申し上げるべきところ、略儀ながら文面をもって御礼申し上げます。
南無阿弥陀仏
法源寺 山主

4月11日、初夏を思わせる絶好の行楽日和の中、岳陽組の皆様と団参で岡崎へ参りました。今回、法源寺からは21名、そのほか富士、富士宮、沼津の浄土宗寺院檀信徒の皆様とご一緒し、大型バス3台、110名での団参となりました。
まずは大樹寺に参拝し、住職の中村康雅上人からご法話をいただきました。
大樹寺は、徳川家康の先祖、松平家の菩提寺として知られています。また、徳川家康の旗印「厭離穢土 欣求浄土」の逸話の生まれた場所でもあります。

桶狭間の合戦の後、今川方にいた家康(当時・松平元康)は、今川義元討死の報せを聞きました。敵の織田方も自分を討つために追っ手を差し向けてきます。敵の手にかかるくらいならと、ここ大樹寺にあった先祖の墓の前で自害を遂げようと思いましたが、その時、大樹寺住職であった登誉天室上人は元康を「こんな乱世を泰平の世にするのがあなたの務めなのだ」と諭し、切腹を思いとどまらせました。
ここから家康は、穢れた乱世を厭い、浄土のような天下泰平の世を築くことを目指すため「厭離穢土 欣求浄土」の旗印を用いたようです。

大樹寺の三門からは、はるか遠くに岡崎城が望めます。これをビスタラインというそうです。
これは、徳川三代将軍家光が、寛永18年(1641年)、祖父・家康の十七回忌を機に、徳川家の祖先である松平家の菩提寺である大樹寺の伽藍の大造営を行い、「祖父生誕の地を望めるように」との想いから、本堂から三門、総門(現在は大樹寺小学校南門)を通して、その真中に岡崎城が望めるように伽藍を配置したことに由来しています。
歴代の岡崎城主は、天守閣から毎日ここに向かって拝礼したとも伝えられています。

大樹寺参拝の後は、天台宗・真福寺で参拝とともに竹膳料理をいただきました。器からお盆まですべて竹でできている、筍尽くしのお膳です。筍だけでこんなに料理の種類があるのかと驚きながらも、シャキシャキした食感に箸が進み、みなさん満足のご様子でした。

最後は岡崎城に立ち寄りました。ここから先ほどのビスタラインを逆に眺め、大樹寺が見えるかなと挑戦してみました。天守閣頂上には、望遠鏡が設置されており、それを覗くと確かに大樹寺の本堂屋根が見えます。そのあと、外へ出て写真でとってみたのですがご覧になれますでしょうか。

中央からやや右上にある屋根が大樹寺本堂です。歴代の岡崎城主はここからこうして手を合わせていたのでしょうか。これだけ時代が経って、周りの建物などずいぶん変化がある中で、変わらずに見えるものというのは素晴らしいですね。
春の穏やかな陽気の中、仏法と歴史にふれる楽しい一日となりました。
ご参加下さったみなさま、ありがとうございました。

4月7日、芝・大本山増上寺にて行われた御忌大会日中法要に随喜(参列)してまいりました。この法要で唱導師をつとめた宮城教区雲上寺住職・東海林良昌上人とのご縁によるものです。
御忌(ぎょき)とは、浄土宗の元祖、法然上人のご命日に営む法要のことです。法然上人は、建暦2年(1212年)1月25日に80歳で亡くなられました。当初は厳寒の1月に行われていましたが、多くの方にお参りいただけるよう明治10年より気候の良い4月に勤修されるようになりました。

当日はあいにく小雨ぱらつく空模様でしたが、庭儀式も執り行われました。随喜の僧侶は全国各地から200名を超え、厳粛ながらもきらびやかな大法要となりました。

唱導師は大本山の法主の代理として法然上人の遺徳を讃える諷誦文(ふじゅもん)を唱えあげます。法主台下しか着衣が許されない緋色(鮮やかな朱色)の衣をつけ、唱導師をつとめるのは浄土宗僧侶にとって一世一代の誉れといえます。ハレの大法要に随喜させいただき、貴重な経験を得ることができました。
みなさまもぜひ機会があれば足をお運びください。
南無阿弥陀仏

3月20日、彼岸の中日に信行会をおつとめしました。法要後には、フルート・オカリナ奏者の村林涼子さんによるミニコンサートも開催いたしました。
コンサートではこの季節にちなんだ歌を一緒に歌いましょうということで、花の街、高校三年生(舟木一夫)、もうすぐ春ですね(キャンディーズ)、乾杯(長渕剛)などをオカリナの音色にあわせて歌いました。

それぞれの時代に流行った歌を皆さん楽しそうに口ずさんでいました。令和生まれの子供たちも歌は知らなくとも、タンバリンをたたいたり、歌に合わせて踊ったりと楽しんでいました。世代を超えて音楽は心を軽やかにさせてくれますね。
だんだんと春の陽気に包まれる中、心休まる和やかなひと時となりました。
中東情勢も不安が絶えませんが、平和な世の中であることに感謝し、日々できることに努めてまいりたいと思います。
南無阿弥陀仏

2月15日(日)温かな天候の中、涅槃会を厳修いたしました。
涅槃会とはお釈迦様が涅槃に入られた日を偲んで行う法要で、今でいう「年回法要」にあたります。涅槃とはサンスクリット語でニルバ-ナ(パーリ語ではニッバーナ)の音を漢字にあてたもので、元々は「消える」という意味です。ろうそくの火を吹き消すがごとく、煩悩の火が消え去った状態、いわば究極の悟りに入った状態を表します。究極の悟りとは、輪廻から抜け出すこと。つまり、生まれ変わりもしなくなるということです。
お釈迦様はすでに悟りを得た身ですから肉体は滅びないのですが、諸行無常の理を弟子たちに示すために入滅されたともいわれています。そのような遺徳を偲びお勤めするのがこの涅槃会なのです。

法要後は、住職が法源寺に伝わる大きな涅槃図の絵解きを行いました。
2月15日に亡くなられたお釈迦様の上には満月が輝いています。この満月は、悟りの完全円満なる様子を表しているともいわれます。またお釈迦様のお母様の摩耶夫人(お釈迦様を生んだのち7日後に亡くなってしまいます)が、天界から息子を助けようと思って薬を投げましたが、あいにく沙羅双樹の枝に引っかかってしまう。これをネズミがとりに行こうとしたがネコが邪魔をしたので、多くの涅槃図には猫が描かれていない、とか。ちなみに摩耶夫人の逸話から「投薬」という言葉が生まれたともいわれています。
法源寺に伝わるこの大涅槃図は、弘化4年(1847年)に作成されたことが裏書に記されています。今から180年も前の昔に描かれた巻物がこうしてきれいに残っていること自体貴重なことです。
なお、同じく寺宝である「武田信玄公騎馬像」も本堂に併せて展示しております。こちらは、武田家の家臣で当山の檀家である高田家から寄贈されたものです。信玄公が騎馬にまたがっている像は珍しいとのこと。地元の富士山かぐや姫ミュージアムでも本物と認められ特別展に貸し出された一品です。

いずれも、2月いっぱいまで本堂にて開帳しております。
ぜひこの機会にご覧ください。

2026年が始まりました。
本年も元日の朝8時から、当山本堂にて修正会(しゅしょうえ)を行いました。
修正会とは、正しくは「修正月会」と言い、正月に修める法要のことを言います。
前年の過ちを反省・懺悔(ざんげ)し、新年の天下泰平、五穀豊穣、万民の幸福などを祈願する法要で、多くのお寺で営まれています。

当山でも、20名ほどの参加をいただき、一緒にお念仏をお称えしました。
みなさん、心を清め新しい年を迎え、素晴らしいスタートが切れたのではないかと思います。
新しい年が皆様にとって素晴らしい一年でありますよう心よりお祈り申し上げます。
朝早くから本堂にお集まりいただいたみなさま、ありがとうございました。