7月の観音講を行いました

連日暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

法源寺は富士・富士宮地区にまたがる横道観音霊場の札所であることから、毎月17日に『観音経』を読む、観音講を行っています(1月、8月を除く)。

『観音経』は『法華経』の中の「観世音菩薩普門品第二十五」という一章のことをいいます。この経典には、 観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、その名前を唱えれば、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に直面した時に、必ずや観音が私たちの声を聞き救ってくれると説い ています。

観音菩薩は、音を観ると書きますが、衆生の苦しみや悲しみの声(=音)を観て(=聞いて)、さまざまな形に姿を変え救いに現れてくださる菩薩様です。

ここのところ、コロナの感染者が急増し、真鍮穏やかでない日々をお過ごしの方も多いと存じます。政府からの行動制限はありませんが、お出かけの予定を変更された方もいらっしゃるかもしれません。私たちの生活の中での大変さや辛さもきっと仏様は受け止めてくださることでしょう。こういうときこそ、声を届けて、お救いいただきたいと思います。

暑い中ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

8月の観音講はお休みです。次回は9月17日。どうぞふるってご参加ください。

観音講のお勤めをしました

当山では、1月と8月を除く毎月17日13時から観音講を行っています。ここのところコロナ禍で縮小気味でしたが、4月17日は大勢の方を迎え、久しぶりににぎやかな観音講をお勤めすることができました。

法源寺は、富士富士宮地区にまたがる横道観音霊場の第二十六番札所として千手観音菩薩を位牌堂に安置しています。そういったご縁もあり、千手観音の縁日である17日に観音講を行っております。

読経するのは『法華経』の中にある「観世音菩薩普門品第二十五」という一章で、俗に『観音経』と言われています(そのほか、般若心経や念仏もお唱えします)。読経時間は30分程度ですが、木魚をたたき、声を出すことで、実に清々しい、すっきりとした気持ちになれます。これは読経のデトックス効果とでもいうのでしょうか(笑)

※写真は加工してあります

お勤めの後は、書院に移動してお茶の時間。みなさん、いろいろな話題に花を咲かせ、楽しいひと時を過ごしています。この日は、参加した方から、富士市総合文化祭の紹介や、ウクライナ支援チャリティコンサートの案内などもあり、文化や平和についても考える機会をいただきました。

参加者からは「こうやって人と会って話をすると、いろいろな情報が入っていいね」というお声も。コロナ禍で各所でデジタル化が進み、情報伝達ではずいぶん便利な時代になりましたが、交流を深めるという点において、やはり、顔を合わせて一緒にお勤めしたり、お話ししたりすることに勝るものはありません。こうして少しずつ以前の日常が戻っていくことを願っています。

観音講はどなたでもご参加いただけますので、ぜひ一度お参りください。

南無阿弥陀仏

七年に一度の善光寺御開帳

4月11日(月)、岳陽組の団参で信州・善光寺へお参りに行ってきました。善光寺は、天台宗(大勧進)と浄土宗(大本願)の二宗によって守られている寺院で、浄土宗の七大本山の一つとしても知られています。

善光寺の御本尊は、一つの光背の前に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が立ち並ぶ、一光三尊式阿弥陀如来と呼ばれるものですが、秘仏として安置されているため誰も見ることができません。

鎌倉時代にはこの御本尊の身代わりとして、同じ姿の前立本尊(まえだちほんぞん)が造立されましたが、この仏様も普段は一般に公開されていません。七年に一度の御開帳のときだけ前立本尊を本堂に迎え、姿を拝むことができます。

本来は昨年がその七年に一度の年にあたっていたのですが、新型コロナウイルスの感染状況から一年延期となっていました。

そして、この御開帳を目当てに岳陽組では団参を組み、法源寺からは20名の檀信徒の方が住職と一緒に参加しました。

本堂前には回向柱が立ち、白い綱が結ばれています[写真参照]。この綱はたどっていくと、堂内の前立本尊・阿弥陀如来の右手に結ばれています。すなわち、回向柱にふれることで、前立本尊にふれるのと同じ功徳をいただけるというわけです。

善光寺は古典落語の演目「お血脈」にも登場する、極楽往生を目指す人にとっての憧れの聖地です。檀信徒の皆様も、久しぶりのハレの賑わいを感じつつ、阿弥陀仏の功徳にふれることができたことでしょう。

ちなみに、今回の御開帳は例年より期間を1カ月延長し、6月29日(水)まで開催されるようです。「遠くとも一度は参れ善光寺」といわれますので、ぜひこの機会に参詣されてはいかがでしょうか。

南無阿弥陀仏

令和4年春彼岸信行会厳修

3月21日、春彼岸信行会を行いました。本堂内には20名ほどお参りいただいたほか、YouTubeでもライブ配信いたしました(当日の様子は以下のYouTubeからもご覧いただけます)。

オミクロン株のまん延、ロシア軍によるウクライナ侵攻など、昨今の社会情勢は不安を極めています。そこで、回向では、「祝聖文」という以下の偈文もお読みし、念仏の功徳を世界平和のためにふり向けました。

天下(てんげ)和順(わじゅん) 日月(にちがつ)清明(しょうみょう) 風雨以(ふううい)() 災厲不起(さいれいふき)

国富(こくぶ)民安(みんなん) 兵戈(ひょうが)無用(むゆう) 崇徳(しゅうとく)(こう)(にん) 務修(むしゅ)禮譲(らいじょう)

この偈文は、『無量寿経』の中に出てくる一節で、その意味は、「天下は泰平となり、太陽も月も清らかに輝き、時季よく雨が降り風が吹き、災害や疫病も起こらない。国は豊かに栄え、民の暮らしは安らかとなり、武力を行使することもない。(人々は)他人の善いところを尊び、互いに思いやりながら、つとめて礼儀正しく振る舞い、また譲り合う」というものです。

念仏の功徳よって、この偈文のような世が実現すれば、みな心穏やかに過ごすことのできることでしょう。まさに、さとりの境地といえますね。

さて、彼岸とは、もともと()(がん)と呼ばれるこの世界から、彼の岸である極楽浄土に生まれ変わりたいと願う信仰実践の期間です。極楽往生の先にはさとりの境地が広がっています。現実世界では、煩悩ばかりでなかなかさとりの境地には至れない私たちです。こんな不安定な世の中だからこそ、お念仏をお唱えして心穏やかに過ごしたいものですね。

南無阿弥陀仏

お不動さんがやって来る!

みなさんは「出開帳」(でがいちょう)という言葉を耳にしたことはありますか?

出開帳とは、仏教寺院で厨子等に収められている仏像を他の土地に出張し、拝観できるようお祀りすることで、江戸時代には、成田・新勝寺の不動明王、嵯峨・清凉寺の釈迦如来、信州・善光寺の阿弥陀如来などが江戸で人気を博したといわれています。

さて、このたびご縁をいただき、関東三十六不動霊場第六番札所である神奈川県川崎市の天台宗・等覚院様から、お不動さん(不動明王)をお招きすることとなりました。

等覚院様では、毎年四月、五月に、厨子に入った不動明王像を、地域住民で持ちまわる風習があります。お宿(会場)と世話人(受け入れ人)を記した等覚院所蔵の『不動明王御巡行記』には、江戸時代の巡行の記録も残っています。世話人としてお不動さんを受けた住民は、自宅に安置し、その間地域の人々が、宿となった方の家へお参りに来ることで、多くの方が仏縁を結ぶことができるというものです。
過去の記録には、渋谷の方までお出かけされたことが記されていますが、今回、お不動さんは遠く名古屋まで巡行されるとのこと。なんと、箱根の関所を越えるのは初めてのようです。

その巡行にあたって法源寺にもお立ち寄りいただき、檀信徒や地域の皆様にぜひご覧いただこうと「お不動さん出開帳」というイベントを企画いたしました。

等覚院様は天台宗のご寺院です。法然上人は浄土宗を開かれる前に、比叡山で天台教学を学びました。実は、鎌倉仏教と呼ばれる宗派の多くの祖師達は比叡山で学んでいます。まさに日本仏教の母なる山といってよいでしょう。天台宗の教えについてもお話が伺えるかもしれません。なお、当日はこの日だけの特別御朱印(二枚一組)も用意いたしますので、ぜひご縁を結びに足をお運びください。

イベント詳細は以下の通りです(新型コロナの感染状況によって中止となることがあります)。

お不動さん出開帳

令和4年3月5日(土)14:00-16:00

参加無料(どなたでもご自由にお参りください)

< タイムスケジュール >

13:30 受付        
14:00 ご挨拶・天台宗のお経
14:20 不動明王の解説   
15:00 自由参拝・御朱印頒布
15:45 浄土宗のお経・ご挨拶
16:00 閉会    
    

※御朱印を希望される方は千円のご志納をお願いいたします。

お不動さんは、除災招福・病気平癒・疫病退散・身体健全といったご利益があります。大難を小難に、小難を無難に、みなさまの厄をきっとお祓いくださることでしょう。コロナ禍で遠出することが難しい中、仏様の方からお越しくださいますので、ぜひともこの機会にご縁を結んでいただけましたら幸いです。

おかげさまの心で

今年も残すところあとわずか。やり残したことはありませんか?

年末はお盆に次いで多くの方がお墓参りに訪れます。帰省とも重なるからでしょうか。一年の終わりを迎えるにあたって、先祖が眠るお墓を掃除し、手を合わせる方が多くいらっしゃいます。

今年もコロナに翻弄された一年でしたが、その中で少しずつできることも増えてきました。
当山でも、彼岸お盆、さらには十夜法要をオンラインで配信したり、秋にはおてつぎ信行奉仕団として京都・知恩院を皆さんと一緒に参拝したり、新たな挑戦や、活動の再開の目途が立ちつつある一年となりました。また地域活動としては、ひきこもりの若者を支援するNPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡さんとつながり、法源寺農園部の活動が始まったり、ダンスワークショップを行ったりと、寺院としての可能性も広がったように思います。

それもこれも陰日向に支えて下さる、檀信徒の皆様、地域の皆様あってのことでしょう。あらためて御礼申し上げます。

さて、仏教、とくに浄土教では「他力」の教えを説きます。これは自分の力だけでさとりを得ることができない私たちは、仏の力によって極楽に往生し、そこでさとりをひらくことができるというものです。この仏の力を他力といいます。ですが、一般的には「他人の力」「他人まかせ」といいような意味合いで使われることも多いですね。

いつだったか、仏様の力についてこんなお話を読んだことがあります。

仏様は荷車を後ろから押してくれる、そんな見えない力をくださるものなんだ

荷車は人が引っ張って前に進むものです。平坦な道はいいですが、上り坂は大変です。そんな時、後ろから押してくれる人がいたらどんなに助かることでしょう。でも、後ろから押す人は荷車を引く人からは見えません。ひょっとしたら自分自身の力でその坂を上ったと思うかもしれません。長い道のりを一人の力で歩き通したと思うかもしれません。

これと同じで私たちが今日ここまで歩いてきた道のりは、見えない、意識もしなかった誰かの助けによって歩いてこれた道のりなのかもしれません。自力でやり遂げたと思っていることの陰に他力のはたらきがあるかもしれません。だからこそ、見えないものにこそ感謝の気持ちを振り向け、おかげさまの心を持ちたいものです。

感謝の気持ちはカタチにしましょう。亡くなられた方には、花を手向け、手を合わせてください。今生きている人には、「ありがとう」と言葉にして伝えましょう。

今年もあとわずかですがまだカタチにする時間は残っています。一年を無事過ごせた喜びと感謝の気持ちを備えて、よいお年をお迎えください。

南無阿弥陀仏

おてつぎ信行奉仕団

11月27日~28日、住職、副住職、檀信徒あわせて21名で、おてつぎ信行奉仕団へ行って参りました。法源寺としては、昭和44年(1 9 6 9)3月に、第1回の奉仕団をはじめてから、今回で22回目の祖山参拝となります。コロナウイルスの感染状況も落ち着いてきていましたが、バスは2席1名での利用とし、参加者の受付も2回のワクチン接種を終えた方のみとさせていただきました。

おてつぎ信行奉仕団とは、簡単に言うと、京都の総本山・知恩院で、お念仏の称え方や礼拝の仕方などを学ぶとともに、作務(清掃活動)を行います。お勤めでは、普段入ることのできない、大方丈や国宝・御影堂の内陣などでお参りをすることができます。こうした知恩院での仏道修行を通じて、日頃の生活や自分自身を見つめなおす機会をいただき、念仏の信仰を深めるというものです。

知恩院到着後、結団式、御影堂参拝、別時念仏を勤めました。御影堂は、昨年、屋根瓦の全面葺き替え等の修繕が終わったばかりで、堂内のしつらえも新しく、晴れやかな気持ちでお参りさせていただきました。

昼食後、礼拝、法話、清掃活動と修行は進みます。晴れていれば外で落ち葉掃きですが、この日は降ったり止んだりの不安定な天気でしたので、御影堂の回廊を拭き掃除しました(バケツの水が冷たかったです)。国宝の建物を掃除する機会はめったにありませんので、これも貴重な体験です。

その後、宿坊であるホテル和順会館に入り、講堂にて法話を聴き、夕食となりました。
その後は自由時間となりましたが、コロナのこともありあまり遠出はせず、みなさん三門や御影堂のライトアップを楽しんでお部屋に戻られたようです。

翌日は5:20に起床し、御影堂での朝のお勤めに参加。別回向を申し込みされた方々の縁ある人々の戒名を読み上げていただき、御供養いたしました。その後、浄土宗の開祖・法然上人の遺骨が納められている御廟を参拝。澄んだ空気の中で称えるお念仏はまた格別です。紅葉も鮮やかで、清々しい朝を迎えることができました。

和順会館に戻り、朝食をとった後は、解団式です。毎回、信行奉仕団は2日目の朝に終わりますが、そのまま帰るのではなく、京都や京都近郊の観光地に寄ってから帰るのが通例です。知恩院を後して、今回は彦根城を訪れました。日本には国宝のお城(天守閣)が5つありますが、その一つが彦根城です(そのほかは、松江城、姫路城、犬山城、松本城)。昨日とは違って雲一つない快晴の中、玄宮園からの天守閣の眺めは格別でした。

コロナでなかなか遠出ができない昨今、ご参加いただいた皆様には大変ありがたく思います。
感染症対策でご不便をおかけしたこともあるかと思います。そのような中でもお参り下さいましたこと、改めて御礼申し上げます。

今回のおてつぎ信行奉仕団には、数を重ねて参加された方もいますが、新しくご家族を亡くされその供養のためにと、また、以前参加されていた家族の思いを受け継いでと、新たなご縁でご参加いただいた方もいらっしゃいました。こうして、ともに総本山知恩院へお参りさせていただくことで、お念仏という心の拠り所ができるだけでなく、「同行の仲間」ができることも嬉しいことです。

ぜひみなさま、次回のおてつぎ信行奉仕団にご参加ください。

観音講を行いました

11月17日に観音講をいたしました。コロナの感染者数は減ってはいるものの、いつ拡大するかはわかりません。マスクをつけながらの読経となりました。

法源寺には、本尊・阿弥陀如来のほかに、千手観音菩薩が安置されています。
実は江戸時代、富士・富士宮地区にまたがって富士横道観音霊場があり、霊場巡りが行われていました。現在は廃寺になってしまった霊場も多く、霊場巡り自体は行われておりませんが、法源寺はこの第二十六番札所にもなっており、その名残をとどめるものとして毎月17日に観音講を行っています。

「音を観る」と書いて「観音」と書きます。人々の苦しみや悲しみの声を観て、救済に現れるのが観音様です。千手観音はその一つ一つの掌に目があると言われています。それだけ多くの世界の苦しみを観て、救いの手を差し伸べてきた仏様なのです。

当山では毎月17日に観音講を行っております(8月、1月を除く)。

ぜひ一度お参りに来てみませんか。

文化の日

11月3日は文化の日です。博物館や美術館の中には入館料を無料にしたり、様々な催し物を開催したりする所もあり、文化に親しむ日とされています。

みなさんは、「文化」というとどういうものを思い浮かべるでしょうか?

本日、皇居では、文化勲章の授章式が行われます。今年の受章者には、歌舞伎俳優の尾上菊五郎さんや元・読売巨人軍の選手で監督も務めた長嶋茂雄さんらがおり、そのほかには学術の世界で活躍された方々などがいらっしゃいます。昨年は脚本家の橋田寿賀子さんも受章しました。文化というと、こういった伝統芸能やスポーツ、芸術の中にあると感じられる方も多いのかもしれません。しかし、私たち日常の営みこそ「文化」があるのではないかと感じるのです。

大正時代に、柳宗悦(やなぎむねよし)という思想家が、民藝(みんげい)運動を始めました。
当時、工芸品は華美な装飾を施した観賞用の作品が主流で、これらを美術的価値があるものとして評価する風潮がありました。しかし、柳宗悦は、名も無き職人の手から生み出された日常の生活道具を「民衆的工芸(=民藝)」と名付け、日常生活の中にこそ美があると唱えました。使われるために作られたものの中にこそ、魂が宿っている。人々の生活に根ざした「民藝」には機能的な美しさがある。と、新たな「美の価値観」を提示したのです。

このことからすると、私たちの身近にあり、普段は気づかないけれど、当たり前のように行われていることにも、私たちの思いや感情が込められた「文化」があるのではないでしょうか。たとえば、神仏に手を合わせる。お墓参りをする。先祖を供養する。芸術鑑賞や楽器演奏とは違いますが、これもまた私たちの体に血肉化された「文化」です。

日本に仏教が伝わって1500年、浄土宗が開かれて850年の年月が流れています。その間、仏教は形を変えながら、私達の日々の生活の中に深く根差してきました。

先祖供養もそのひとつと言えます。この連綿と受け継がれてきた、教えと実践を、受け止め、次世代に伝えていく。これもまた文化を継承していくことと言えるでしょう。
年回法要を務めることは、亡き方のご供養になることはもちろんですが、私達、現世にいるものにとっても次世代への文化を伝える重要な意味があると思っています。

一方で、東京をはじめとした首都圏では、コロナ禍により仏事が省略されることが多いと伺います。

目に見えがたい精神文化をどう形に残していくのか、どのような文化を残したいのかが、今問われているように思います。手を合せ、十遍のお念仏を唱える。法然上人以来受け継がれてきたこの文化を、寺院として広く世に伝えていきたいと思います。

南無阿弥陀仏

令和3年十夜法要厳修

10月14日(木)、当山本堂にて十夜法要を厳修いたしました。
感染者数は減ってるとはいえ、何をきっかけに広がるかわからない新型コロナです。感染症への対応を取りつつ、今回もオンラインを併用しながら無事お勤めすることが出来ました。

当日は本堂内に20名を超える方がお集まりくださり、ご一緒にお念仏をおとなえいたしました。また、法要後は富士市・清岩寺副住職の伊藤友昭上人によるご法話をいただきました。
身近な人を亡くされた体験を語りながら、念仏の功徳についてのお話は、参加者の心を打つものであったと思います。

さて、法源寺は浄土宗に十夜法要をもたらした観譽祐崇上人が開山した寺院ですので、この十夜法要は昔から大切に受け継がれてきたものです。コロナ禍にあっても何とか実施できるよう、この2年、試行錯誤を繰り返してきました。

ご参加くださった檀信徒の皆様、十夜法要の運営をサポートしてくださいました総代、世話人の皆様、改めて御礼申し上げます。

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