令和4年十夜法要を厳修しました

コロナの感染状況は落ち着いてきたとはいえ、まだまだ予断の許さない状況が続いています。当山の一番の行事である十夜法要もコロナ禍での3年目を迎え、感染症対策を施しながら多くの人にお参りいただけるよう、ライブ配信なども含め準備してまいりました。おかげさまをもちまして、無事今年も厳修できましたこと、まず御礼申し上げます。

十夜法要とは、「我が名を唱えるものは必ず極楽浄土に救い摂る」という阿弥陀如来の誓いにご恩に感謝し、念仏の信と行を深める善き機会となります。

当日お参りいただいた檀信徒の皆様には、小塔婆と記念品をお渡しいたしました。これを機縁として阿弥陀様とのご縁をより一層深めていただけましたら幸いです。

また、法要後の法話では、当山副住職より「コロナ禍だからこそ考えたい葬送儀礼の意義」と題し、葬送儀礼がいつごろから行われるようになったのか、その作法にはどのような意味があるのか、また葬送儀礼が持つグリーフケアとしての役割などについてお伝えいたしました。

「簡単」「便利」が好まれるこの現代社会で、時間や手間をかける意味を今一度考え、先人たちの培ってきた葬送儀礼文化を後世に残していけたらと考えております。こちらの法話もYouTubeでご覧いただけますので、どうぞお聴きください。

南無阿弥陀仏

令和4年十夜法要のお知らせ

秋の彼岸が過ぎると今年もお十夜の季節になります。

法源寺を開山(建立)した方は、観譽祐崇(かんよゆうそう)上人という僧侶で、大本山・鎌倉光明寺の第九世(9代目住職)になられた方です。

当時、十夜法要は勝手に行うことができず、天皇の勅許が必要でした。 当時、幕府のあった鎌倉で高僧として名高かった祐崇上人が、宮中に参内し『阿弥陀経』の講義を行い、真如堂の僧とともに引声念仏を修したことで、時の天皇より勅許を受け、以来浄土宗寺院でも勤修されるようになりました。そのような理由から、当山の十夜法要は歴史が古く、開山以来、五百二十余年にわたり受け継がれてきた伝統ある行事です。

コロナ禍ではありますが、この法灯を絶やすことなく、今年も感染症対策に努めながら昨年と同様の形式で厳修することとなりました。また、当日の法要や法話の様子はYouTubeでも配信いたします。

ぜひ、多くの方にご参加いただき、法縁を結んでいただければ幸いです。

令和4年10月14日(金)

    14:00~ 十夜法要

    14:45~ 法話「コロナ禍だからこそ考えたい葬送儀礼の意義」

※十夜法要に際し、ご志納下さった檀信徒の皆様には供養した小塔婆と利剣名号のお札をお渡ししたします。ぜひお参り下さい。

南無阿弥陀仏

秋彼岸信行会を厳修しました

ここのところ不安定な天気が続いております。静岡でも大雨が降り、浸水した地域があるようです。みなさまのお住まいは大丈夫でしょうか。

さて、新型コロナウイルスだけでなく、大雨にも見舞われましたが、おかげさまで秋彼岸信行会を無事厳修することができました。

今回も遠方の方にもお参りいただけるよう、YouTubeでもライブ配信いたしました。法要の様子と、法話の様子はそれぞれ以下の画面からご覧いただくことができます。

秋彼岸信行会 法要
法話 高橋明功 上人

彼岸は、サンスクリット語でパーラミータ(到彼岸)という言葉に由来します。「パーラミータ」はピンと来なくてもこれを音写した漢字「波羅蜜」であれば聞いたことがあるかもしれません。そうです、京都にある六波羅蜜寺の「波羅蜜」です。

六波羅蜜とは、布施(執着を捨てる)・持戒(悪を行わない)・忍辱(我慢する)・精進(努力する)・禅定(雑念を捨て、集中する)・智慧(ありのままにとらえ、真理を見極める)の六つの実践徳目のことを言い、これを身に付けることができればさとりが開けると言われています。

彼岸とは、本来さとりの境地を目指してこの六波羅蜜の仏道修行に励む期間をいいます。彼岸の中日(秋分の日)は、太陽が真西に沈む日です。真西には、西方極楽浄土があり、この浄土を思い浮かべながら、亡き人に思いを寄せ、お念仏を唱える彼岸信行会を当山では毎年行ってまいりました。

足元の悪い中、お越しいただいた皆様、オンラインでともにお参り下さった皆様には厚く御礼申し上げます。

コロナの影響もあり、寺院行事に限らず「集まる行事」は大きな打撃を受けています。コロナ収束後、これからの行事がどうなっていくのか不安もありますが、これまで受け継がれてきた伝統を大事にし、後世に仏法をお伝えするのも寺院の重要な使命です。

みなさまにお参りいただきやすいよう、さまざまな工夫をしていきたいと思っておりますので、ぜひお参りいただけましたら幸いです。

南無阿弥陀仏 

世代間継承の大切さ

お盆は何の期間?

今年のお盆ももうすぐ終わろうとしています。ご先祖様はみなさまとの久しぶりの再会を楽しみ、両手にいっぱいのお土産を持ち、お浄土へと帰られていくことでしょう。

来るときは足の速い馬(キュウリ)を、帰りはゆっくり帰っていただくために牛(ナス)を用意します

さて、先日の朝のニュース番組で、お盆とは何をする期間か知らないと答えた若者が43.5%もいることが報じられていました。ひょっとしたら旅行に行く期間と思ってるのかもしれません。ニュースキャスターは、これはジェネレーションギャップでは済まされない、たとえ若者世代にうるさいと思われようと、伝えていくべきものはちゃんと伝えるべきだ、というようなことを話していました。

お盆とは、極楽浄土にいるご先祖さまが娑婆に帰って来る期間といわれています。
明治6年(1873年)に太陽暦が導入されたことを契機として、7月に行う新暦の盆、旧暦に則して8月に行う旧暦の盆と、地域により異なる時期に行われるようになりました。盆に行われる行事は地方によって様々な風習がありますが、先祖の霊を迎え、まつり、送るという形を基本としています。

盆月の1日は「釜の蓋が開く日」といわれ、あの世から先祖を含めたあらゆる精霊がこの世に向かって出発する日とされています。7日は盆に向けての準備の日であり、この日に墓掃除や盆道つくり(家までの道をきれいにすること)などを行います。13日には精霊を迎えるための盆棚をつくる。盆棚の飾りつけは多様であるが、キュウリとナスでつくった馬と牛、刻んだキュウリ・ナス・洗米を混ぜたミズノコなどを用意し、盆棚を飾り付けます。

13日の夕方には、墓、寺、家の前などで迎え火を焚き、精霊を迎えます。16日に送り火を焚き精霊を送るまでの間は、それぞれの家でまつられることになりますが、棚経もこれに合わせて行うことになります(当山では8日から14日にかけて行います)。ちなみに、京都の大文字焼きや長崎の精霊流しも祖霊を極楽浄土へ送る「送り火」の一種です。

お盆の風習は地域それぞれですが、地域ごとの残るその風習を次世代に伝えていくことは重要なことです。

法源寺の盂蘭盆会

法源寺では13日の夜に、新しく盆を迎える故人の供養も兼ねた盂蘭盆会を厳修しています。コロナ禍のため今年も新盆家のみ本堂にお上がりいただき、お勤めしようと思っておりましたが、当日は朝からあいにくの悪天候。台風上陸の予報もあり、お集まりいただくのは危険なことから、YouTubeで限定配信という形で皆様にはご参加いただきました(実際夕方には雨がやんでいましたのでお越しになった方もいました)。

YouTubeのライブ配信の様子。字幕を入れてわかりやすくしました。

後日、YouTubeをご覧になった方から「家族みんなでお参りできた」「わかりやすくてよかった」というお声もいただきました。きっと、同じ画面を子や孫と一緒に観て、手を合わせることで、先祖を供養する心を次世代へと伝えることができたのではないでしょうか。

お寺としても、様々なツールを使いながら、仏教のこと、浄土宗の教えのこと、仏事のことなどについて、みなさまに伝えていきたいと思います。

南無阿弥陀仏

7月の観音講を行いました

連日暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

法源寺は富士・富士宮地区にまたがる横道観音霊場の札所であることから、毎月17日に『観音経』を読む、観音講を行っています(1月、8月を除く)。

『観音経』は『法華経』の中の「観世音菩薩普門品第二十五」という一章のことをいいます。この経典には、 観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、その名前を唱えれば、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に直面した時に、必ずや観音が私たちの声を聞き救ってくれると説い ています。

観音菩薩は、音を観ると書きますが、衆生の苦しみや悲しみの声(=音)を観て(=聞いて)、さまざまな形に姿を変え救いに現れてくださる菩薩様です。

ここのところ、コロナの感染者が急増し、真鍮穏やかでない日々をお過ごしの方も多いと存じます。政府からの行動制限はありませんが、お出かけの予定を変更された方もいらっしゃるかもしれません。私たちの生活の中での大変さや辛さもきっと仏様は受け止めてくださることでしょう。こういうときこそ、声を届けて、お救いいただきたいと思います。

暑い中ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

8月の観音講はお休みです。次回は9月17日。どうぞふるってご参加ください。

「世間の物差し」を手放そう

5月の中旬、ある全国紙の読者からの相談コーナーで、50代の会社員女性から子どもに関する相談が寄せられていました。

簡単に紹介すると、「友人の子どもは進学校に行き、有名大学に進学した。自分の子どもは誰一人進学校に行けなかった。自慢したかったのに全くできない。できる子の親がうらやましい、自分の子の出来の悪さが恥ずかしい」というものです。

子を持つ親になって感じたことですが、このお母さんの気持ちもわからないわけではありません。生まれたときは五体満足で生まれてきてくれれば、とそれだけ願っていたのに、成長するにつれ、つい、「あれができたら」、「これができたら」と考えてしまいます。そして、「これができたら」の「これ」は社会で評価が高いものだったり、世間で価値が認められているものだったりします。

このお母さんのように「自慢したい」という動機ではなくても、我が子に社会で成功してほしい、社会で立派と言われるような人になって欲しいという思いは少なからず持つのではないでしょうか。しかし、世間や社会の評価基準でうまく測れない子どもたちもいます。「自分は〇〇ができない」「自分には価値がない」なんて思ってしまうと、自己肯定感が得られないまま育ってしまうことになりかねません。

さて、6月の中旬、同じ新聞の読者からの相談コーナーで、20代のアルバイト女性から、こういった相談が寄せられていました。

かいつまんで紹介しますと、「自分の存在意義がわからない。才能はなく、中学校も不登校、高校もすぐに休学してしまった。その後、通信制高校を卒業したものの、学歴はない。私は負け組だろう。言い訳を考え、周りのせいにしようとする自分の浅はかさも嫌だ。自分は何のために生きているのだろうか」というものです。

まるで、さきほど紹介した「相談」のつづきのようなものです。相談を寄せた両者に親子のつながりがあるわけではないでしょうが、これを読んで心が苦しくなりました。

生まれてきたときには、「生まれてきてくれてありがとう」、「元気でいてくれればそれでいい」と願ってたのに、いつの間にか世間の物差しで我が子を測ってしまう。その結果、生きづらさを抱えて苦しい思いをしている人が少なからずいます。でもその「世間の物差し」は未来永劫不変でしょうか? 

ある時、急に日の目を浴びたり、逆にそうでなくなったりすることなんていっぱいあります。スポーツ競技が、オリンピック種目に採用されるかどうかなどは典型的な例といえるでしょう。採用されれば、スポットライトが当たり、メディアでも特集が組まれます。競技人口にも影響するでしょう。

さて、浄土宗で大切にされている経典の一つに『阿弥陀(あみだ)(きょう)』というお経があります。その中には、「青色(しょうしき)青光(しょうこう) 黄色(おうしき)黄光(おうこう) 赤色(しゃくしき)赤光(しゃっこう) 白色(びゃくしき)白光(びゃっこう)」という一説があります。

これは、阿弥陀仏の浄土に咲く蓮の花のありさまを語ったもので、「青き色には青き光、黄なる色には黄色の光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」という意味です。もっといえば、私たち一人ひとりが、すでに、それぞれの色を持ち、光り輝いていることを語っています。青い色は、黄色い光を放とうとはしないですし、赤い色は、白い光になろうとはしません。

私たちは、すべからく本来の姿のままで、価値ある尊いものです。誰もがみな、得意なこと、不得意なこと、できること、できないことを持っています。今できることすら永久ではありません。年老いて、あるいは体の具合が変化して、それまでできていたことができなくなってしまうこともあるかもしれません。他者と比べて多少(すぐ)れたところがあったとしても、仏様からしたら大した違いのない凡夫(ぼんぶ)にすぎないのです。

どうしてうちの子はこれができないのかとお悩みの親御さんたち、自分はなぜうまくいかないのかと生きづらさを抱えている方々、ぜひ「世間の物差し」を手放してみてください。人は生きているだけで価値ある尊いものです。他者と比べて、自らを苦しめないでください。

ただいま子育て真っ最中の私です。この法話を、自らの戒めとしたいと思います。

南無阿弥陀仏

令和4年春彼岸信行会厳修

3月21日、春彼岸信行会を行いました。本堂内には20名ほどお参りいただいたほか、YouTubeでもライブ配信いたしました(当日の様子は以下のYouTubeからもご覧いただけます)。

オミクロン株のまん延、ロシア軍によるウクライナ侵攻など、昨今の社会情勢は不安を極めています。そこで、回向では、「祝聖文」という以下の偈文もお読みし、念仏の功徳を世界平和のためにふり向けました。

天下(てんげ)和順(わじゅん) 日月(にちがつ)清明(しょうみょう) 風雨以(ふううい)() 災厲不起(さいれいふき)

国富(こくぶ)民安(みんなん) 兵戈(ひょうが)無用(むゆう) 崇徳(しゅうとく)(こう)(にん) 務修(むしゅ)禮譲(らいじょう)

この偈文は、『無量寿経』の中に出てくる一節で、その意味は、「天下は泰平となり、太陽も月も清らかに輝き、時季よく雨が降り風が吹き、災害や疫病も起こらない。国は豊かに栄え、民の暮らしは安らかとなり、武力を行使することもない。(人々は)他人の善いところを尊び、互いに思いやりながら、つとめて礼儀正しく振る舞い、また譲り合う」というものです。

念仏の功徳よって、この偈文のような世が実現すれば、みな心穏やかに過ごすことのできることでしょう。まさに、さとりの境地といえますね。

さて、彼岸とは、もともと()(がん)と呼ばれるこの世界から、彼の岸である極楽浄土に生まれ変わりたいと願う信仰実践の期間です。極楽往生の先にはさとりの境地が広がっています。現実世界では、煩悩ばかりでなかなかさとりの境地には至れない私たちです。こんな不安定な世の中だからこそ、お念仏をお唱えして心穏やかに過ごしたいものですね。

南無阿弥陀仏

お不動さん出開帳

この日限定の特別御朱印

3月5日、川崎市等覚院様から不動明王を勧請し、「お不動さん出開帳」を開催いたしました。

等覚院様は天台宗のお寺ですが、副住職の中島光信師が当山副住職と大学院時代の同級生だったご縁によって、このたび「出開帳」の運びとなりました。

聞けば等覚院様ではこの厨子に入ったお不動さんを地域の方々が順にお祀りし、近隣の方々とお参りするという、「不動尊御巡行」の信仰があるそうです。記録を紐解けば、江戸時代からこの御巡行が行われていたそうで、以前は渋谷の方までお出かけになったこともあるのだとか。このたび、初めて箱根の関所を越え、富士にやってきました。

当日は、天台宗のお経や浄土宗のお経をお唱えしたほか、不動明王のご利益、天台宗の教え、浄土宗の念仏行、阿弥陀様とお不動さんの違いなど対話形式で様々なお話をお聞きすることができました。ご参加された皆様にとっても、学びの多い一日になったと思います。

コロナ禍で遠出がはばかられる時代だからこそ、こうして来て下さる仏様がいて、また新しいご縁が結べるのはありがたいことですね。

ちなみにお不動さんは左手に羂索(けんじゃく)という縄を、右手に倶利伽羅剣(くりからけん)と呼ばれる剣を持っています。この縄で私たちの心の煩悩を引きずり出し、剣で断ち切り、さらに後背の火焔で焼き尽くしてしまうとのこと。迷いや怠けを取り除き、頑張るよう背中を押してくれる仏さまだということです。

ちなみに、阿弥陀様は頑張れない衆生も救ってくださる仏様です(笑)こうして私たちの気持ちや機根(能力)に応じて様々な仏様がいらっしゃって下さるのはありがたいことです。

南無阿弥陀仏

涅槃図公開中(2月中のみ)

当山には代々寺宝として伝わる涅槃図(ねはんず)があります。

涅槃図とは、お釈迦様が亡くなられた時の様子を描いた絵のことで、そこには今日の風習にも通じるものが多くあります。
例えば、涅槃図でお釈迦様は頭を北に顔を西に向け横たわっていますが、そのお姿から、人が亡くなると北枕にするという風習が生まれました。

法源寺に伝わる涅槃図は、弘化4年に当時の檀信徒の寄進によって収められたもので、高さは3メートルにも及ぶでしょうか。写真のとおりずいぶん大きな掛け軸です。
弘化4年といえば、西暦1847年です。ペリーが黒船に乗って浦賀沖に現れたのが1853年ですから、それよりも6年前に作られた一幅ということになります。裏には寄進した方のお名前も残されています。幕末期の涅槃図という歴史的な価値もさることながら、こうして檀信徒の想いが込められ、代々受け継がれてきたことこそが、お寺にとっては大きな宝だと感じています。

現在、涅槃図は法源寺本堂にて公開中です(2月28日まで)。2月15日(火)13時には、お釈迦様のご遺徳をしのぶ涅槃会も行われます。住職から絵解き(涅槃図の解説)もあると思いますので、ぜひお寺に足を運び、この機会に大きな涅槃図をご覧ください。

南無阿弥陀仏

人の世は…

一昨年から私たちの生活は新型コロナウイルスに翻弄されています。
ワクチンが接種されるようになって、いくぶん収束するかと思ったら、今度はオミクロン株。重症化率は低いものの感染力は強く、あっという間に市井に広がってしまいました。
静岡県内でもあれよあれよという間に1000人を超える感染者数を記録しています。

あぁ、もう少しで「日常」が戻ったのに・・・

友人と集まって酒を酌み交わすことができたのに・・・

家族と一緒に遠くへ出かけることができたのに・・・

期待が裏切られたときほど人は落胆するものです。
でも、あせらず、あわてず、あきらめずに日々を送りましょう。
「こうあって欲しい」「こうありたい」という思いは、時として執着(しゅうじゃく)につながります。お釈迦様はこの執着こそが苦の原因なんだとおっしゃいます。

思った通りに行かないのが人の世です。
いずれ来る春に備えて、今はゆっくり足元を固める時期なのかもしれません。

「あわてない、あわてない、ひとやすみ、ひとやすみ」

一休さんも言っていますよ(笑)

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