令和5年度 盂蘭盆会・新盆家回向法要をおつとめしました

8月13日18時30分より、令和5年度盂蘭盆会および新盆家回向法要を行いました。新型コロナウイルスも5類に移行しましたので、今年は4年ぶりに新盆家以外檀信徒の方も参加できるよう、従来通りの形での法要となりました。

オンラインでの配信は行わず対面のみでの開催でしたので、どれほどの方がお見えになるか心配でしたが、当日は新盆家以外の方もお参りにお越しくださり、本堂にはお念仏の声が響きました。

さて、お盆は「盂蘭盆」(うらぼん)の略語といわれています。『盂蘭盆経』には、今日のお盆の風習につながる以下の様な逸話が説かれています。

お釈迦様の弟子のひとりに、神通力を持つ目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。ある日、亡き母がどうしているかと、神通力を使って母親の姿を探したところ、餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに苦しむ母親の姿が見えました。神通力で食べ物や飲み物を届けようとしますが、母親の元に届く前に火に包まれてしまい、母親を助けることはできません。何とか救いたいと願った目連尊者は、師匠であるお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、雨期に行われる修行を終えた修行僧であればその徳をもって母親を救えるかもしれない、したがって彼らに食べ物や飲み物をささげるよう目連尊者に告げました。そして、修行僧たちにもまた、この施しを受ける際には、施主家の七代の父母のために祈りを捧げるようにと伝えました。目連尊者はその通りに修行僧たちを供養し、その功徳によって目連尊者の母親は餓鬼道から救われました。

この逸話をもとに、当山では毎年8月13日に盂蘭盆会を厳修し、とくにその年に初めてお盆を迎える新しい仏様の供養をねんごろに行っています。また、新盆家には目連尊者のように、飲み物をご寄進いただき、袋詰めしたあと、参加者一人ひとりにお渡しし、供養のための施しをしていただきました。

暑い中、法要にご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。

南無阿弥陀佛

お盆は7月?8月?

今年もお盆の季節がやってきました。
法源寺のある岳南地域(富士・富士宮地区)は8月にお盆を迎えますが、静岡や沼津などは7月にお盆を迎えます。東京などの大都市も7月が多いかと思います。

「なぜ7月と8月にお盆がわかれるのか?」と思う人もいるでしょう。
これは新暦(7月)でお盆を迎えるか、旧暦(8月)でお盆を迎えるかの差によります。

さかのぼること150年前、明治5年(1872年)に明治政府はこれまで使われていた天保暦(旧暦)をグレゴリオ暦(新暦)に切り替えました。西洋列強との交流が増える中で、カレンダーを揃えなければ不都合が生じるから、というのは表向きの理由で、本当の理由は財政難の打開策だったとも言われています。

明治政府は、グレゴリオ暦1873年1月1日にあたる明治5年12月3日を、明治6年1月1日と定めました。これにより、12月はわずか2日となり、官僚の給与の支給をせずに済んだようです。

それだけではありません。旧暦のままでは明治6年は閏月がある年にあたります。つまり、1年13か月の年です。

それまで採用していた天保暦は、月の満ち欠けを基準として、ひと月の長さを決めていました。 そのため、当時は、小の月が29日、大の月が30日で、ほぼ交互に並べて一年を数えていました。現在のグレゴリオ暦は、2月を除けば、小の月が30日、大の月が31日ですので当然ながらずれが生じます。旧暦の1年はおよそ354日となり、現在の1年より11日ほど短くなってしまいます。そこで、約3年に1度、「閏月」を作り、1年13か月となる年を設けてずれを調整していました。

天保暦のまま明治6年を迎えると、給与の支給も13か月分必要になります。ここで、新暦に切り替えることで、明治5年の12月分の給与だけでなく、明治6年の閏月分の給与も支給せずに済むことになります。政府としては、2か月分出費を節約できます。こうした事情があったからこそ強引に改暦を行ったのではという話もあります。

話を戻しましょう。

いずれにせよ、明治の改暦によって、明治5年の12月がほとんどまるまるなくなりましたので、新暦と旧暦には1か月の差が生まれました。これが7月盆(新暦)と8月盆(旧暦)の差になります。

では、7月盆の地域と8月盆の地域の違いは何によって生じるのでしょうか?

それは当時の人々の生活基盤(職業)が何だったかによります。都市化が進んでいた地域では、人々の生活基盤が農業以外の他の産業に開かれていました。一方、そのほかの多くの地では農業が主要産業です。

暦が変わったからといって、作物がひと月早く植え付けられるわけでも、収穫が早まるわけでもありません。自然は人間の物差し(暦)とは別に、あるがまま進みます。したがって、いくら7月にお盆を移したからといって、農繁期であれば手が回らず、供養も十分できるものではありませんでした。そこで、従来通りの時期(8月)にお盆を迎えるようになったのです。

たしかに、大正9年(1920年)の第1回国勢調査では、静岡市で農業に従事している人はわずか2.4%であるのに対し、富士郡(現在の富士市・富士宮市)は58.8%と、圧倒的に農業従事者が多く居住していることがわかります。一方、商業、公務・自由業など、現在でいう第三次産業にあたる職業従事者の割合は、静岡市が52.3%であるのに対し、富士郡は16.3%です。農業従事者が少ない静岡市では、農繁期に縛られず、早々に7月盆に切り替得ることができたのも納得です。

こうして地域の人々の暮らしに合わせ、お盆の供養は営まれてきました。しかし、時期はずれようと、先祖を供養する想いは変わりません。暑い日が続きますがどうぞご自愛いただき、ご先祖様の里帰りを皆様でお迎えくださいませ。

また、当山では毎年8月13日18:30より、お盆の法要を本堂にて行っています。新盆家だけでなくどなたでも参加できますので、ぜひ涼しい格好でお参りにお越しください。

南無阿弥陀仏

【8月の言葉】涼しさ奏でる鈴の音

暑い中に吹くひとときの涼風は、「極楽の余り風」とも
呼ばれます。頬をなでるやさしい風は、
ご先祖さまからのエールかもしれません。
On hot days in the summer, refreshing
breezes from the Pure Land come to cool us.
**********************************************
浄土宗月訓カレンダーの8月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
**********************************************

暑い夏がやってきました。動いてなくても汗ばむ季節です。
日本では音で涼をとる風習がありました。軒下の風鈴はその最たる例です。
チリンという音がすれば、「あ、風が吹いた」と耳で感じ、風情も感じられますよね。
しかし、最近では、その暑さゆえ窓を閉め切ってエアコンで涼をとることの方が多いように思います。

さて、浄土三部経の一つである『阿弥陀経』では、美しい極楽浄土の様子が描かれています。あちらこちらにきらびやかな装飾が施され、さまざまな色をした蓮華が池に浮かんで咲きほこっています。絶えず美しい音楽が流れ、素晴らしい鳴き声の鳥が生息し時折さえずる、といった具合です。

その中に、「彼の仏の国土には微風吹動し、諸の宝行樹及び宝羅網微妙の音を出す。譬えば百千種の楽を同時に倶に作すが如し。是の音を聞く者は皆自然に念仏・念法・念僧の心を生ず」という一説があります。

簡単に現代語訳をすると以下のようになるでしょう。

極楽浄土で吹くそよ風がさまざまな宝でできた樹木や飾り具を動かすたびに、美しい音色をたてる。まるで百千もの楽器を一度に演奏したようで、この音色を聞く者は、自然と仏を念じ、法を念じ、僧を念ずる心が生まれる

酷暑の中、そよ風が吹き、涼を覚えれば、「あぁ、ありがたい」「あぁ、気持ちがいい」と感じることでしょう。「地獄に仏」とはまさにこのことですね。

でもひょっとしたらその風は、極楽浄土からのご先祖様のお便りなのかもしれません。うだる暑さで「大丈夫かい?」「無理してないかい?」という子孫を気遣う声なき声かもしれません。

涼しさ奏でる鈴の音

さて、まもなく棚経が始まります(日程は【こちら】から)。

檀信徒の皆様のお宅では、お仏壇の鈴(リン)の音が響くことでしょう。風鈴とは異なりますが、こちらもまた、ご先祖様をお迎えするために欠かせないものです。涼しい風を感じたら、ご先祖様のお便りだと思って、お仏壇の前で「お返事」をなさるとよいかもしれません。

どうぞ、鈴を打ち、十遍のお念仏をお唱えして、今年の夏のご報告をなさってください。

南無阿弥陀仏

中島地蔵尊祭礼

7月22日、中島地区の地蔵盆の祭礼が行われ、同地区の地蔵堂にて祈願法要を行いました。

中島の地蔵尊の祭礼は、篤信の檀家様によって昭和6年この地を法源寺の飛び地境内にご寄進いただいたことに端を発します。以来、90年余にわたって、この地で子供の成長を見守る、子育地蔵として信仰を集めてきました。

毎年、地蔵盆の時期には祭礼が行われ、神輿渡御や太鼓の奉納が行われます。また、地蔵堂脇にはステージが設けられ、カラオケ大会が催されるなど地域の方々にとっての楽しみとなっているようです。

今年はコロナ禍明けということで、実に4年ぶりの完全開催となりました(それまでは祭礼だけで神輿や太鼓などはありませんでした)。

きっと多くの人が待ち望んでいたことでしょう。

こうした地域行事は子供や大人が顔を合わせる機会となり、自然と地域のつながりが生まれてくる仕掛けになると思います。

中島地蔵尊の祭礼を通じて、地域の皆さんがつながるきっかけとなれば、きっと祀られているお地蔵さまも喜ばれるに違いありません。

後世まで守っていきたい風習ですね。

南無阿弥陀仏

令和5年棚経のご案内

お盆にあたってご先祖を迎えるための仏壇でのご供養を棚経といいます。わずか10分ほどの短い読経ですが、ご家庭のお仏壇でご先祖様をお迎えする大切な供養ですので、どうぞご自宅で一緒にお参りいただけましたら幸いです。

新暦のお盆は7月、旧暦のお盆は8月という具合に時期がずれますが、富士・富士宮では8月にお盆の棚経に参りますが、静岡や沼津は7月盆にそれぞれお参りいたします。富士・富士宮地区は以下のように回ります。どうぞご予定のほどよろしくお願いいたします。

なお、新型コロナウイルスが5類感染症に移行したとはいえ、心配な方もいらっしゃるかと思います。その際は遠慮なくお寺までお知らせください。寺院本堂での回向をいたします。

南無阿弥陀仏

令和5年度 岳陽組檀信徒総会開催

5月14日(日)、岳陽組檀信徒総会が法源寺会館にて行われました。

浄土宗ではおおよそ各県に一つの教区があり、教区の中に「組」という単位の地域ごとのグループがあります。岳陽組というのは、富士・富士宮・沼津にある13か寺の浄土宗寺院で構成されています。この檀信徒会は、檀信徒同士でおてつぎ奉仕団に参加したり、団参に行ったりと、横のつながりを持つ場となっています(先日の春の団参はこの檀信徒会の行事です)。

昨年から対面で開催されていましたが、今年は新型コロナウイルスも第5類に移行したこともあり、各寺院の総代さん、世話人さん方、総勢58名の参加をいただき、昨年よりも規模を大きくしての開催となりました。こうした集会が再開されるにつけ、コロナ禍がひと段落し、「日常」が戻ってきたのだと実感いたします。

この総会をもって、法源寺檀家総代の井出公治さまが2年間の会長の任期を終え、次の会長へとバトンを受け渡されました。コロナ禍に悩まされ、気苦労の多い2年間でしたが、辛抱強く岳陽組檀信徒会を守っていただいたと思います。お疲れさまでした。

総会後には、東京教区香念寺(葛飾区・亀有)の下村達郎住職をお招きし、「語り合いから生まれるともいきの輪 〜お寺での介護者カフェ活動〜」と題した講演をいただきました。

下村上人が住職を務める香念寺さまでは、浄土宗総合研究所のプロジェクトをきっかけに、2016年から介護の経験や思いを分かち合う「介護者の心のやすらぎカフェ」を開催されています。

現在、家族の介護をしている人(介護者)は全国で650万人を超えるといわれています。そして、突然始まり、いつ終わるともわからない介護の中で、「本当はこうしてあげたいのにできない自分がもどかしい」「親の介護に兄弟が協力してくれない」「ついキツくあたってしまう」など、さまざまな悩みや葛藤を抱えている介護者も少なくないそうです。

そうした心のうちを打ち明けたり、相談したりする場として、お寺を活用するという動きも浄土宗では広がってきています。大事なのはアドバイスすることではなく、心の声を受け止めるということ。今風にいえば、傾聴(けいちょう)と言い換えられるかもしれません。四苦でいう、老・病・死に向き合う、仏教者ならではの活動といえるでしょう。「話を聴く」とは簡単なように思えてなかなか難しいことですが、僧侶として大事にしたいことです。

経験に裏打ちされた下村上人のお話から、これからの社会に必要な「心休まる場」としての寺院の可能性を感じました。また、参加者のほとんどは高齢の方でしたので、介護の話も身近に感じられたはずです。きっと今日のお話は心に響いたのではないでしょうか。

南無阿弥陀仏

春の団参に行ってきました

4月9日、コロナ禍もひと段落ということで、岳陽組檀信徒会の春の団参に行ってまいりました。

ちなみに、団参とは団体参拝のこと。いわば、寺社仏閣の参詣と行楽を兼ねたバス旅行です。今年の行き先は藤沢の遊行寺(ゆぎょうじ)と大山阿夫利神社(おおやまあふりじんじゃ)でした。

大正大学の先生でもある長澤執事にお話をいただきました

箱根駅伝でもよく登場する藤沢の遊行寺は、正式には「(とう)沢山(たくさん) 無量光院(むりょうこういん) 清浄光寺(しょうじょうこうじ)」といいます。踊りながら念仏や和讃を唱える「踊り念仏」を全国に広めた一遍上人を開祖とする時宗の総本山として知られています。実は、この一遍上人は、法然上人の弟子・証空上人の孫弟子にあたり、浄土宗の教えを深く学んだことから、時宗と浄土宗は縁が深いのです。

額には「清浄光寺」の字が

一遍上人は、特定の寺にとどまらず全国を行脚し、踊り念仏や念仏札による民衆教化に努めたことから遊行上人と呼ばれています。ここから、時宗の法主(一番偉い僧侶)を遊行上人と呼び、遊行上人のいるお寺として、遊行寺の名称が使われるようになりました(実際に遊行寺を開かれたのは4代目の呑海上人です)。

阿夫利神社(下社)

大山阿夫利神社は、江戸時代多くの民衆の参詣を集めた「大山詣り」の地としても有名です(古典落語の演目にもありますね)。阿夫利神社の名称は、大山の別名・雨降り山に由来します。雨が降ることから、雨乞いや五穀豊穣の祈願の対象とされてきたそうです。

大山寺 ケーブルカーで途中下車するとすぐです

また、神仏習合の霊山と知られ、山の中腹には大山寺(おおやまでら)という真言宗の寺院もあります。ちなみに、この大山寺の山号も雨降山(あぶりさん)といいます。

お参りの後は、どれも美味しく見えてしまいます

バス降り場からケーブルカー乗り場までは「こま参道」といい、階段が連なるのぼり道。しかし、両脇にお土産物屋さんや食事処がならぶ、いわゆるお楽しみゾーンとなっています。こうして目を楽しませるものがあると、階段が続いていても苦ではありませんね(笑)

天候にも恵まれ、景色も大変きれいでした

急こう配のケーブルカーに乗り、阿夫利神社(下社)へ行くと、遠く相模湾まで見渡せる絶景が広がっていました。もちろん、下社までケーブルカーに乗らずに徒歩で登る(下りる)こともできます。この日は、天気も良かったので、多くのハイカーでにぎわっていました。

団参に参加された皆さんは、大山の階段に苦戦しながらも、それぞれに楽しんでおられる様子でした。寺社参詣を通じて、法話を聴き、楽しみながら体を動かすことで、身体も心も健康になることと思います。

これからも、こうした機会を設けてまいりたいと思いますので、ぜひご一緒に参りましょう。今回参加された方も、参加できなかった方も、多くの方のご参加をお待ちしております。

南無阿弥陀仏

令和5年春彼岸信行会&ミニコンサート開催

3月21日18時30分より、春彼岸信行会をお勤めしました。
今回は法要後に、お檀家さんでフルート・オカリナ教室を主宰されている村林涼子さんに演奏いただきミニコンサートを開催しました。本堂でのコンサートは、初めての試みでしたが、村林さんの素晴らしい演奏で、フルートやオカリナの音色が響きわたり、いつもの本堂とはまた一味違った素敵な雰囲気に包まれました。

ミニコンサートでは、「故郷」にはじまり、「春の小川」「七つの子」といった唱歌、坂本九の名曲「見上げてごらん夜の星を」「上を向いて歩こう」を演奏いただき、参加の皆さんと共に一緒に歌いながら楽しみました。

コロナ禍も収束に向かいようやく日常に戻りつつあります。こうして、声を出して一緒に歌うことができる日々がまたやってきたことを共に喜びながらひとときを過ごしました。

今回の信行会では、子どもの参加も多く、元気なお念仏の声が本堂中に響いていたのも大変喜ばしいことでした。

以前のように、多くの方がお寺に集まってくださるよう今後も務めてまいりたいと思います。

南無阿弥陀仏

涅槃会を行いました

2月15日13時より、当山本堂で涅槃会をお勤めしました。底冷えのする日でしたが、寒い中お集まりくださった方には改めて御礼申し上げます。

さて、涅槃会とは仏教の開祖であるお釈迦様を偲び、その恩に感謝するために行う法要です。お釈迦様は2月15日に亡くなられたと言い伝えられていますので、多くのお寺ではこの日に涅槃会を行います。当山でも、13時より法要を勤め、その後、住職が絵解きを行いました。

絵解きでは、臨終に際し、頭北面西(頭を北向き、顔を西向き)にして横たわるお釈迦様の姿から、ご遺体を北枕にして寝かせるようになったこと、お釈迦様のお母様である摩耶夫人が我が子を助けようと薬袋を投げたことから「投薬」という言葉が生まれたことなど、現代の風習や言葉に通じうルーツがこの涅槃図に描かれていることをお話いたしました(※薬袋は一説には修行者の持ち物を入れる、衣鉢袋とも言われています)。

また、横たわるお釈迦様のまわりにある樹木は沙羅双樹の木です。全部で8本ありますが、4本は葉が青々と茂り、もう4本は葉が白く枯れています。これは、お釈迦様が残した仏教が不滅であることと、肉体はあるものはいずれ滅びるという無常観を示したものです。

誰もが習う平家物語の冒頭にある「娑(沙)羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす」の一節はまさにこのことを言っているのです。

こうした「絵解き」はまさに仏教に親しむ機会となります。難解な言葉や教えも、こうして絵にして視覚的にとらえることで、多くの人が仏教の教えを理解することができます(キリスト教の教会にあるステンドグラスや絵画、彫像なども同じ効果があるといわれています)。ご参加の皆様にも、普段の法話以上に伝わったのではないでしょうか。

さて、ここで豆知識をひとつ。

お釈迦様が亡くなられたのは2月15日と言われていますが、そのほかにも、生まれた日は4月8日、さとりを開いた日は12月8日と伝わっています。それぞれの日に、花祭り(降誕会)や成道会を行うお寺さんもあるのではないでしょうか。

しかし、この記念日はインドからシルクロードを経て、中国、朝鮮半島と伝わってきた北伝仏教(大乗仏教)にしか示されていません。一方、スリランカ、タイなど南伝仏教(上座部仏教)では、生まれた日、さとりを開いた日、亡くなった日はすべて同じ日とされています。

ウェーサク(Vesak)と呼ばれるこの記念日ですが、東南アジアでは、毎年5月満月の日とされ、この日は国連の定める祝祭として公式に認定されています。国連はさまざな国で構成される国際機関ですので、宗教についても多様性を重んじているのです。

ひとくちに仏教といっても、国によってその信仰や実践の形態はずいぶん異なります。時代や人に合わせて発展していったのが今の日本の仏教の在り方ですので、他国とずいぶん違うところもあります。そんな違いもまたいずれご紹介したいと思います。

南無阿弥陀仏

年末の大掃除

今年も例年のごとく、住職が外部指導員を勤める富士高剣道部の生徒さんにお手伝いいただき、お寺の大掃除を行いました。

本堂、位牌堂、書院(客殿)、枯山水、会館と掃除する箇所はたくさんありますが、大勢の若い力のおかげであっという間に綺麗になりました。

これで無事に新年を迎えることができます。

お手伝いくださった生徒さん、ありがとうございました。

さて、年末の大掃除ですので、普段なかなか掃除しないところも綺麗にしました。

その代表格が香炉(こうろ)です。別名「線香立て」とも言いますが、ここにお線香を立てると、灰の下に埋まった分は燃え残ってしまいます。そのままにしておくと、燃え残りの線香が灰の中でひしめき合い、やがて線香を立てることができなくなってしまいます。

そこで、香炉の中の灰をすくいザルで漉します(左)。すると、灰の中にある線香の燃え残りが出てきます(中央)。下に落ちた灰はきれいな灰です(右)。この作業を繰り返し、灰を掃除していきます。

最後、きれいになった灰だけをまた香炉に戻し、香炉を拭き上げて終わりです。
単純な作業ですが、灰はすぐ舞ってしまうので、香炉から出すとき、香炉に戻すときも丁寧にしなければなりません。もちろんくしゃみは厳禁です(笑)

ちょっと神経を使いますが、掃除が終わるとこの通り。清々しい気持ちになれます。

ぜひみなさんもご自宅の香炉のお掃除をしてみてください。香炉がきれいになると、きっとお線香を立てたくなるはず。お線香を立てるということは自然とお参りする機会が増えるということです。

そうすれば、お念仏がよりいっそう身近になることでしょう。お念仏をとなえれば心も洗われ、きれいになるはずです。どうぞ清らかな心で新たな一年を迎えましょう。

南無阿弥陀仏

PHP Code Snippets Powered By : XYZScripts.com