お彼岸の中日には夕日が真西に沈みます。
その向こう、西の彼方にある極楽浄土は、
今は亡き大切な方とのかならず再会がかなうところです。
On the other side of the western horizon lies the Pure Land.
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浄土宗月訓カレンダーの9月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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日中はいまだ暑い日がありますが、朝夕の風はずいぶん秋めいてきました。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
平安時代の歌人、藤原敏行は古今和歌集にこのような和歌を残しています。ここには、視覚ではまだとらえられないものの、聴覚や触覚などでとらえられた秋の訪れが豊かに表現されています。古来から、人はこうして、目に見えるものだけでなく、目に見えないものに気を配ってきました。むしろ、見えないところにこそ大事なものがあるととらえていたのかもしれません。
春と秋とに訪れる彼岸は、それぞれ春分の日、秋分の日を中日として前後3日間ずつ、計7日間をその期間としています。いまでは、お墓参り、先祖供養を懇ろに行う期間とされていますが、彼岸とは、この世の世界である「此岸」に対して「さとりの世界」を意味する言葉で、本来は、そのさとりの世界に向かえるよう、六波羅蜜とよばれる仏道修行を行う期間とされていました。波羅蜜はサンスクリット語の「パーラミター」の音を漢字にあてたもので、至彼岸、すなわち、さとりに至るための修行を意味します。
6つの修行は何かといいますと、
布施 互いに施しあう
持戒 きまりを守る
忍辱 苦しいことに耐え忍ぶ
精進 あきらめず怠らない
禅定 静かな心で精神集中する
智慧 偏らない心で物事を正しく見る
というものです。彼岸は、中日を挟んで前後3日ずつありますから、一日ごとにこれら実践を意識し過ごすことで、よりさとりの世界に近づけることでしょう。
さて、彼岸の中日である春分の日、秋分の日は、昼と夜の長さが等しくなる日、そして一年のうちで太陽が真西に沈む日でもあります。沈む夕日の方角には、阿弥陀如来の極楽浄土があるといわれています。
阿弥陀様は迷い多き私たちを救ってくださる仏様。極楽浄土は、先立った方々がいらっしゃる場所。ですので、彼岸のこの時期は、西に沈む夕日を思い浮かべながら、「きっとあちらにいらっしゃる」と念じて手を合わせる機会にもなります。
西の彼方の確かな場所
極楽浄土やご先祖様は物理的な存在を確認できるわけではありません。物質主義的な価値観が幅を利かせる現世では、こうした見えないものに対してあまり意識を払わないことも多々あります。
しかし、確かにそこにある、確かにそこにいると信じて日々生きると、今だけ、ここだけ、自分だけではない、別の価値観で物事が見えるようになってきます。
お釈迦様は、すべてのものは相依り、相助け、相互に関係しあいながら存在すると説かれました。あらゆるものは相互に影響し合って存在し、なにひとつ単独で存在しえないという意味です。それは目に見えるものだけではありません。むしろ目に見えないものにこそ気を配り、自己との関係性を問い直してみてはいかがでしょうか。
もうすぐお彼岸ですね。みなさまが仏縁に触れる機会となれば幸いです。
南無阿弥陀仏