【11月の言葉】今さらではなく 今から

物ごとをはじめるのに遅いということはありません。
はじめようと思ったときがスタートの日です。
The moment when you make a resolution is the perfect time to start fulfilling it.
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浄土宗月訓カレンダーの11月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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「六十の手習い」という言葉があります。
今や60才は老け込む年ではありませんが、60と言えば仕事も一区切りついて余生を楽しむごほうびタイムといえます。そんな年を迎えてから勉強や芸事を習い始めることを「六十の手習い」と言いますが、これは何か物事を始めるのに遅すぎることはないことを示すことわざです。

年のせいにして始めないことほどもったいないものはありません(いまや人生100年時代ですから、現役時代より長い「余生」が待っていますし)。

さて、江戸中期の遊行僧・木喰(もくじき)は、微笑みをたたえた素朴な仏像を数多く彫ったことで知られています。仏像といえば、運慶や快慶あるいは定朝など有名な仏師がおりますが、これら偉大な仏師が彫る仏像は、写実的で、衣の襞や筋肉の筋など細部に至るまで実に精巧に彫られており、多くが国宝になっています(東大寺南大門の仁王像、平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像など)。

木喰による地蔵菩薩像(日本民藝館で撮影)

木喰の仏像はまるで別で、一木彫りで柔らかな丸みをもち、美しいというより、親しみやすい仏像です(写真をご覧ください)。大正時代に柳宗悦らによって民藝運動がおこると、こうした庶民信仰のための素朴な造形に光があてられ、広く人気を博するようになりました。

山梨県の山村に生まれた木喰は、50代半ばに日本全国を回る旅に出て、60歳を過ぎた頃から仏像を彫りはじめました。それだけではありません、なんと80歳で千体仏の造像を発願し、しかも90歳までの10年間でこれを達成したといわれています。

普通に考えて、60から新しいことに挑戦し、80歳で1000体の仏像を彫ろうなどと思えるでしょうか。でも、彼は成し遂げました。きっと木喰は「いまさらこれを発願してもどうせできやしない」とは思わなかったことでしょう。

自分に残された命があとどのくらいあるかは誰も知りません。しかし、この先の人生において今日が一番若い時です。今、始めなければいつやるのでしょう? 年齢はやらない理由にはなりません。

さて、気づけば今年もあと2か月。
何かやり残したことはありませんか?
あるいは、まだ始めていないことはありませんか?

今年の1月の言葉は「思いから行いへ」でした。でも日々の忙しさにかまけて、ああ、あれもやりたかったのに、これもやりたかったのに…2023年が終わってしまう、と残りの日数を憂えている人もいるかもしれません。

今さらでなく今から

あの時あれをやっておけば…と後悔する前に、今、始めましょう。

今年はまだ2か月ありますよ!

南無阿弥陀仏

イモ掘りしました!

農園部の畑ではサツマイモがそろそろ穫れごろに・・・ということで近所の檀家さんのお子さんや娘の友達に声をかけて、みんなでイモ掘りをしました。

一人ずつ順番にイモを掘っていきますが、その反応は十人十色。一度掘ったら満足する子もいれば、できるだけたくさん掘りたい子もいます。イモはほったらかしで虫と遊ぶ子(バッタやミミズ、ダンゴムシがたくさんいます)、友達とおしゃべりする子、みんなそれぞれに楽しんでくれたようです。

この畑自体はもともと空き地だったものを開墾し、農園として使用しています。

きっかけは、ひきこもりや不登校の当事者・家族を支援するNPO富士市若者相談窓口「ココ☆カラ」の方から、コロナ禍で就労体験、社会体験できる場が減っているので、若者たちが何か活動できることはないかというところからでした(これまでの活動はこちらから→ )。

今回もいつも畑作業にきてくれている若者に手伝ってもらいました。
最初は大勢の子どもにとまどい気味でしたが、まんざらでもない様子(笑)
やっぱり子どもたちの笑顔は伝染するものですね。自分が育てたものをみんなに喜んでもらえてとってもうれしそうでした。

大きなおイモがたくさん穫れた後は、仏様にお供えし、みんなでお参り。手を合わせて来年もたくさん穫れますように!とお願いしました。サツマイモはしばらく置いておくことで甘みが増し、美味しく食べることができます。しばらくおあずけだけど、みんなちゃんと我慢できるかな(笑)

また遊びに来てくださいね~

なむあみだぶ

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

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十夜法要厳修&おたのしみコンサート開催

10月14日(土)14時より、当山本堂にて十夜法要を行いました。

十夜法要とは、『無量寿経』の一節にある教えを実践したもので、本来は十日十夜にわたって法要を行うものでしたが、現在では多くの寺院で1日開催となっています。法源寺を開いた観譽祐崇上人は、鎌倉光明寺の第九世(9代目の住職)でもありましたが、浄土宗に十夜法要の勅許を得た僧侶でもありました(当時、十夜法要は勝手に行えなかったのです)。したがって、当山では最も由緒ある年中行事といえます。

さて、令和元年までは近隣の浄土宗寺院の上人のご随喜(法要への参加)を得て、にぎやかに行われておりましたが、コロナ禍で山内僧侶だけの厳修がしばらく続いておりました。じつに4年ぶりとなるフル開催でした。

法要後には、村林涼子さん(左:フルート奏者)と片平雅子さん(右:クラリネット奏者)による、おたのしみコンサートが開催され、クラシックの名曲やおなじみのポピュラーソング、子どもたちも大好きなジブリの曲など、耳なじみのある音楽を聴きながら、心和やかなひとときをお過ごしいただきました。また、途中途中に、楽器クイズや曲当てクイズなども入れて下さり、ただ聴くだけでなく、本堂にいらっしる老若男女が一緒に楽しめる参加型のコンサートとなりました。

4年ぶりとなるフル開催で、どれほどの方がお見えになるのか、葬儀、法事の縮小化の流れで、まったく来てくれなくなってしまうのではないか、と心配しましたが、終わってみれば本堂いっぱいになるほどお集まりいただきました。お帰りになる皆様の笑顔からも、今年の十夜法要に満足いただけたのではないかと感じています。

お参り下さった皆様、ありがとうございました。

南無阿弥陀仏

【10月の言葉】的が決まれば あとは射るだけ

私たちには、向かうべき浄土があり、
そこへ往くためのお念仏があります。
達成に向かい、日々お念仏をおとなえしましょう。
Constantly chant the name of Amida Buddha to attain birth the Pure Land.
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浄土宗月訓カレンダーの10月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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暑さ寒さも彼岸までといいますが、秋彼岸を過ぎてから暑さがぶり返してきました。
体調管理にも一層気を付けなければなりません。

車で出かける時、目的地をカーナビに入れる方も多いでしょう。遠方の商業施設や観光地であれば初めての道でも間違いなくたどり着くことができますからね。

でも、目的地を設定するだけでは、目的地にはたどり着けません。当たり前のことですが、そこまで運転しなければなりません。私たち自身が、ハンドルを握り、アクセルを踏んで目的地へ向かう必要があります(最近では自動運転技術の研究が進んでいるようですが、実用化されるまでにはもう少し時間がかかりそうです)。

目的地を目標と言い換えた場合、多くの人は目標を立てることをしますが、その後、目標に向かって実践できる人はどれだけいるでしょうか。

前月の言葉は「継続とはあきらめないこと」でした。
継続のポイントは習慣化であるという話をしましたが、習慣化するためには、目標を設定することが大切です。ダイエットや資格取得の勉強も、なぜダイエットするのか(健康のため?着たい服がある?)、なぜ資格取得をめざすのか(独立?昇進?)、目標がはっきりしていれば「継続」の大きな原動力になることでしょう。

行くべきところが決まれば、それに向かって必要なことをするだけです。

それは今生においても、来世においても同じこと。

浄土宗では、現世に別れを告げた後、極楽浄土に向かうことこそが最良の道であると説きます。そこでは大切な人と再会し、また阿弥陀様の下で仏道修行に打ち込み、さとりを開くことが可能になるからです。

では、極楽浄土という目的地に向かってどう進めばよいのでしょうか? 
これもまた経典に説かれています。

『無量寿経』には、阿弥陀如来がまだ修行中だったころ、さとりを開くにあたって48の誓いを立てられたことが記されています。その中の18番目、第十八願には、「もし私が仏になるにあたって、生きとし生けるものが心の底から極楽浄土に生まれたいと願い、阿弥陀仏の名を声に出してとなえたにもかかわらず、極楽浄土に生まれることができないなら、私は仏にならない」と示されています。

つまり、「ナムアミダブツ」と声に出してとなえれば、必ず極楽行くことができるというのです。

なんて簡単なのでしょう!

難しいことは一つもありません。ただ声に出してとなえればよいのですから。精神集中できる静かな環境にいなくても、難しい経典を理解していなくても、いつでも、どこでも、誰にでも開かれた実践ですので、その簡単さゆえ、鎌倉時代以降、念仏の教えは燎原の火のごとく世に広まることとなりました。

ちなみに、カラオケや芸事で得意の曲目、演目を「十八番」といいますが、この十八番は阿弥陀仏の「十八願」が語源と言われています。

的が決まれば あとは射るだけ

目的地は決まりました。さぁあとはそのために必要なことをするだけです。
来世の極楽往生のためには念仏行。
今生の目標のためには何をしますか?

満を持して放たれた矢は、的に向かって一直線に飛んでいくことでしょう。

自らの的を射抜くために、日々実践してまいりましょう。

南無阿弥陀仏

秋彼岸信行会&ミニコンサート開催しました

連日の厳しい残暑はずいぶん収まり、秋らしい涼しい陽気の一日を過ごしました。このまま秋を迎えるのでしょうか。
さて、彼岸の中日である9月23日は18:30より、秋彼岸信行会を厳修いたしました。
本堂にはお集まりいただいた方のお念仏の声が響き渡り、先祖の菩提をとむらい、自身も功徳を積む時間となりました。

信行会の後には、村林涼子さんによるミニコンサートを開催いたしました。

「小さい秋見つけた」「ふじの山」などだれもが口ずさめる曲から、子どもたちが大好きな忍たま乱太郎の主題歌「勇気100%」、トトロの挿入歌「さんぽ」などを演奏いただきました。ミニコンサートは春彼岸に続いて2回目ですが、今回は一緒に歌うだけでなくて、身体も動かすような仕掛けもありました。

「茶摘み」「ずいずいずっころばし」など、最近の子どもが知らない手遊びを大人の方々と一緒に楽しむことで、耳や口だけでなく体でも楽しめる時間となりました。また、曲当てクイズも盛り上がり、老若男女ともに和やかな気持ちでひとときを過ごすことができました。

10月14日(土)には十夜法要後に「おたのしみコンサート」も開催いたします。きっと聞いたことのあるあの名曲が楽しめることでしょう。ぜひお子さんお孫さんとともにお参りに来てくださいね。

南無阿弥陀仏

観音講デビュー

当山は、富士・富士宮に定在する横道観音霊場の札所でもあり、位牌堂には千手観音菩薩を安置していることから、毎月17日には観世音菩薩の功徳・妙力を説いたお経をお唱えする観音講を行っています(1月と8月は除く)。

昨日は、1歳3カ月の娘も観音講に初参加。おしゃぶりをしながらですが、お姉ちゃんと一緒に木魚を叩いていました。読経後の茶話会でも皆さんにかわいがっていただき、すっかり上機嫌になりました。こうして、檀信徒の皆さんにお育ていただくことにありがたく思います。

観音講は毎月行っていますので、どなたでもどうぞご参加ください。

なむあみだぶつ

【9月の言葉】継続とはあきらめないこと

立ち止まったり、つまづいたりしても大丈夫。
目標と向き合い続ければきっと成し遂げることができるはずです。
To continue means to never give up.
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浄土宗月訓カレンダーの9月の言葉。
字は大本山清浄華院第83世法主飯田実雄台下の揮ごうです。
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何をしても長続きしない人のことを「三日坊主」と言いますが、その語源は、出家した者が修行に耐えられず、三日で還俗(俗世に戻る)してしまうことから来ているそうです。

みなさんはどうでしょうか?
今年はやせるぞ~と始めたダイエットや資格取得に向けた勉強など、初日の決意は実践として継続されているでしょうか。かくいう私も、読もうと思って買った本が「積ん読」状態になってしまっております…。

出来ていない私が言うのもなんですが、継続のポイントはいかに習慣化できるか、でしょう。

たとえば、歯磨きを継続できない人はそういないと思います。これは「食べたら歯を磨く」が習慣化しているからです。習慣化していればやらないとかえって落ち着かないということになります。

毎朝の散歩が習慣化している人も同じでしょう。ダイエットのため頑張るぞという意気込みを毎日するのではなく、散歩そのものが日常の一部になっているからこそ継続できているのではないでしょうか。

さて、唐の時代に浄土教を広めた善導大師は、念仏者に求められる実践態度として、恭敬修くぎょうしゅ(阿弥陀仏や菩薩を敬うこと)・無余修むよしゅ(他の行ないをまじえず念仏だけをすること)・無間修むけんじゅ(時間的にも行としても間断させずに念仏を行うこと)・長時修じょうじしゅ(ひとたび念仏に心を寄せたら臨終まで一生涯継続すること)の四つを示しました。

浄土宗ではよく読まれる法然上人御遺訓の『一枚起請文』の中に出てくる「四修」とはこの四つの実践態度を意味します。

このうちの長時修は、まさに「継続」そのものです。法然上人は、毎日6万遍念仏を申されたと言われます。さすがに6万回は難しくとも、十遍のお念仏(十念)でしたらいかがでしょうか。毎日休むことなく十遍のお念仏でもおとなえすることならできそうですね。

あとはこれを習慣化するだけです。朝夕の仏壇へのお参りの際、食事をいただく際、就寝前などさまざまなタイミングがありますが、日常生活の中に組み込んでしまえば自然と念仏とともに生きる生活となります。

法然上人も、四修と呼ばれる実践態度も、念仏を称えるうちに備わっていくと説いています。逆説的ですが、態度がなければ続けられないのではなく、継続していく中に態度が備わっていくということです。

継続とはあきらめないこと

みなさんが継続したいことは何でしょうか。繰り返しますが、継続のポイントは習慣化です。習慣化できれば、継続は「挑戦」ではなく「日常風景」となります。

もし途中で途絶えてしまったら?

大丈夫、また始めましょう。そこでやめてしまわない限り、「ひと休み」しただけです。休みを入れながらでもまた続けることで、継続は達成されることでしょう。

どうぞその中にお念仏も入れていただければ幸いです。

南無阿弥陀仏

こどもおてつぎ奉仕団に参加してきました

8月22日(火)~24日(木)、総本山知恩院で開催された「こどもおてつぎ奉仕団」に行ってきました。今回、法源寺からは、中学1年生の女の子2人が参加してくれました。昨年に引き続き連続での参加です。ありがたいことですね。

さて、2人は、2泊3日、知恩院で寝泊まりして、おつとめの練習をしたり、御廟をお参りしたり、法然上人の幼少期から浄土宗を開くまでのアニメ映画を鑑賞したり、しっかりと研鑚を積んできたとのこと。

でも、スケジュールを拝見すると、こうした「学び」のほか、知恩院門前の白河での水遊びのほか、知恩院山内での謎解きといった「遊び」も充実していたようです。

こどもおてつぎ奉仕団に参加して、夏の思い出がまたひとつ増えたことでしょう。
きっと、修学旅行で京都に来たら「私ここ知ってる!」と思い出してくれるのではないでしょうか。

お友達と一緒でもOKです。皆さんのお子さん、お孫さんもぜひ参加してみませんか?

南無阿弥陀仏

※掲載の写真は知恩院おてつぎ運動本部からいただきました。

おてらおやつクラブ「夏のおすそわけ」

ありがたいことに、夏のお盆の期間、お檀家さまから「仏さまに」と多くの御供物をいただきました。これらにくわえ、お寺で別に用意したとあわせて、おてらおやつクラブのHPを通じて、必要とするひとり親家庭にお届けしました。

「おてらおやつクラブ」は、お寺にお供えされるさまざまな「おそなえ」を、仏さまからの「おさがり」として頂戴し、子どもをサポートする支援団体の協力の下、さまざまな事情で困りごとを抱えるひとり親家庭へ「おすそわけ」する活動です。奈良の浄土宗のお坊さんが始めた活動ですが、現在では全国1900か寺に広がっています(詳しくは【こちら】をご覧ください)。

今から23年前、浄土宗が21世紀を迎えるにあたって、すべての人びとの幸せを願って誓った「劈頭宣言」の中には、家庭にみ仏の光を 社会に慈しみを という一文があります。

寺院として浄土宗の教えを広めるだけでなく、阿弥陀様の慈悲のみ光が多くの方に届くよう、そして慈しみの心が社会に広がるよう実践してまいります。

南無阿弥陀仏

令和5年度 盂蘭盆会・新盆家回向法要をおつとめしました

8月13日18時30分より、令和5年度盂蘭盆会および新盆家回向法要を行いました。新型コロナウイルスも5類に移行しましたので、今年は4年ぶりに新盆家以外檀信徒の方も参加できるよう、従来通りの形での法要となりました。

オンラインでの配信は行わず対面のみでの開催でしたので、どれほどの方がお見えになるか心配でしたが、当日は新盆家以外の方もお参りにお越しくださり、本堂にはお念仏の声が響きました。

さて、お盆は「盂蘭盆」(うらぼん)の略語といわれています。『盂蘭盆経』には、今日のお盆の風習につながる以下の様な逸話が説かれています。

お釈迦様の弟子のひとりに、神通力を持つ目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。ある日、亡き母がどうしているかと、神通力を使って母親の姿を探したところ、餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに苦しむ母親の姿が見えました。神通力で食べ物や飲み物を届けようとしますが、母親の元に届く前に火に包まれてしまい、母親を助けることはできません。何とか救いたいと願った目連尊者は、師匠であるお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、雨期に行われる修行を終えた修行僧であればその徳をもって母親を救えるかもしれない、したがって彼らに食べ物や飲み物をささげるよう目連尊者に告げました。そして、修行僧たちにもまた、この施しを受ける際には、施主家の七代の父母のために祈りを捧げるようにと伝えました。目連尊者はその通りに修行僧たちを供養し、その功徳によって目連尊者の母親は餓鬼道から救われました。

この逸話をもとに、当山では毎年8月13日に盂蘭盆会を厳修し、とくにその年に初めてお盆を迎える新しい仏様の供養をねんごろに行っています。また、新盆家には目連尊者のように、飲み物をご寄進いただき、袋詰めしたあと、参加者一人ひとりにお渡しし、供養のための施しをしていただきました。

暑い中、法要にご参加くださった皆様、誠にありがとうございました。

南無阿弥陀佛

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