【8月の言葉】仏縁を継ぐ夏休み

8月はお盆月。私たちへと受け継がれた仏さまやご先祖様とのご縁を、次の世代にも伝えていきましょう。
During Obon, pass along to children what we have received from our ancestors.
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浄土宗月訓カレンダーの8月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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法源寺のある富士地区は間もなくお盆を迎えます。地域によっては7月にお盆を迎えるところもありますが、これは新暦(7月)で行うか、旧暦(8月)で行うかの違いによるものです(※詳しくは過去の記事「お盆は7月?8月?」をご覧ください)。

当山では、8月13日の夜に新亡(新しくお盆を迎える故人)の供養とあわせて、施餓鬼会を厳修しています。また、8月8日から14日にかけ、檀信徒宅の棚経(仏壇回向)にうかがいます。

夏休みなので、棚経に行くと仏壇前で一緒に手を合わせてくれるお子さんたちも多くいらっしゃいます。帰省したお孫さんと一緒にお盆のお墓参りにいらっしゃる方も多くお見えになります。また、お盆明けには、数名のお子さんと一緒に「こどもおてつぎ奉仕団」として知恩院に登嶺いたします。こうして考えると、8月は何かと仏事に触れやすい時期といえます。

仏縁とは、仏様との縁のこと。私たちを仏道修行に導き、供養の心を育てる機会だと思っていただければよいかと思います。

帰省した時、親戚一同が集まり、おじいさんおばあさんからお話を聞いたり、親戚が語るひいおじいさんやひいおばあさんのエピソードに思いを馳せたりすることもあるかもしれません。自分のルーツを再確認し、こうしたいのちのつながりの中に、自分が位置付けられるということを実感するのもまた、私たちを仏縁に誘う機会といえるでしょう。自分は一人で生まれたわけではない、命のつながりの中で、自分の命を授かったと思えば、その代々のつながりに対して自然と手が合わさるはずです。

しかし、大人がそうした機会を作らなければ、子どもたちは触れることすらできません。経験がなければ、仏様との縁や供養の心が育つはずもありません。

仏縁を継ぐ夏休み

親から子へ、子から孫へ

夏休みはいろいろな体験、経験を積む良い機会です。海外旅行で異文化体験もよいでしょう。国内で様々なアクティビティに挑戦するのも楽しいでしょう。でも、お出かけのうちの1日でも2日でも構いません。仏縁を継ぐために、ぜひ一緒に、お墓参り、お寺参りをなさってください。きっとそれは、いのちのバトンを受け取った者の責務なのではないかと思います。

南無阿弥陀仏

中島地蔵尊の祭礼

7月20日、中島地区にある子育地蔵尊の祭礼で、子どもたちの健やかな成長を願う法要を行いました。

中島地区は法源寺から1㎞ほど離れたところにありますが、この子育地蔵を安置するお堂とその境内は、法源寺の飛び地境内になっています。この地蔵尊とのご縁は、時を遡ること昭和6年、当地区住まいの檀家さんが自宅に安置していた地蔵菩薩を祀るため、宅地及び堂宇を菩提寺である法源寺に寄進されたのがきっかけとうかがっております。

以来94年にわたって、中島子育地蔵尊は地域の子どもの守り仏として大切に祀られ、代々法源寺の僧侶が縁日に御祈願のお参りをしてきました。また、この日にあわせてお祭りが行われ、子供たちが叩く太鼓が町内を巡回します。

法要後の法話は、参加する子供たち向けに六地蔵のお話をしました。

お地蔵さんは六体セットであることが多いのですが、これは六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)を輪廻する迷いの衆生を救うため、導くためといわれています。私たちは生まれ変わり、死に変わりしながら、この六つの世界をめぐるといわれております。

責め苦を味わい心身ともに辛く苦しい地獄道、貪りの心を離れられない餓鬼道、理性的な行動ができない畜生道、いがみ合い争う心が収まらない修羅道、私たちが暮らす人間道、互いを慈しみ合い楽しく仲良く暮らす天道、それぞれの世界はこのようなものですが、私たちと全く別のところにあるわけではありません。普段の生活を振り返ってみれば、私たち自身の心の中にもこれら六つの世界があるといってよいでしょう。

そうしたとき、正しい方向へ導いてくれるのがお地蔵様です。お地蔵さまはさまざまな姿に化身して人々を救うとされています。ひょっとしたら、みなさんの周りにいるおじさん、おばさんがお地蔵さんかもしれません。

こうした地域のお祭りが、見守りの場をつくることに役立ち、子供たちの健やかな成長を助ける機会ともなります。

子どもの数が減ってきてはいますが、ぜひ継続していきたい大切な伝統だと思います。

南無地蔵尊

夏野菜の収穫―支え、支えられ

今年の夏はナスが豊作です。

法源寺農園部をはじめてから5年目に突入しまして、だいぶ季節ごとの野菜の管理も慣れてきました。お手伝いに来る若者たちも、最初はNPOの支援を受けて自立を目指す側だった人が、サポーターとしてほかの若者の支援に回るようになり、その一環で一緒に来てくれたりしています。

支えてもらった人が今度は支える側に回る。

素敵な循環が育まれています。

今年は、ナス以外にも、ズッキーニ、キュウリなどを植え、みなそれぞれに収穫の時期を迎えています。そうしたわけで、先日はお盆前に剪定も兼ね、たくさん収穫しました。また、畝まわりに生えた雑草を取るのも手伝ってもらいました。

夏の畑は油断すると雑草がすぐ生えてきてしまいます。若者たちの手がなければここまで管理することはできなかったでしょう。本当にありがたいことです。

人は常に強い個でいられるとは限りません。時には助け、時には助けられ、互いに支え合っていくことが生きるうえではとても大切です。あらゆるものは相互に依存し合って存在している。仏教でいうところの「縁起」ですね。

農園部の活動は若者たちの居場所になりつつありますが、その若者たちによって農園部も支えられているのです。

さぁお盆の準備を始めましょう。

南無阿弥陀仏

【7月の言葉】守られて 導かれて 救われて

仏さまは、お念仏をとなえる私たちを見守り、導き、
苦しみのない世界へお救いくださります。
As we practice Nenbutsu, we are protected, guided, and saved by Amida Buddha.
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浄土宗月訓カレンダーの7月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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信号待ちで木陰を探す季節がやってきました。
この暑さで体調を崩されていませんでしょうか。

先日、所用で浅草寺さまにうかがう機会がございました。浅草寺の境内は、それはもう大変な賑わいで、大勢の観光客、特に外国からのお客様でにぎわっていました。

浅草寺と言えば雷門、五重塔、そして本堂が有名ですが、その境内には多くのお堂があり、さまざまなお地蔵さまが祀られていることは意外と知られていません。これまで多くの人が願いを込め造立してきたのですが、その中には子供を抱えた母親姿のお地蔵さんがあります。母子地蔵尊と呼ばれるこのお地蔵さまは、満州からの引き揚げ途中に命を落とした人々を供養するために漫画家のちばてつやさんがデザインしたものとして知られています。

こうした仏さまが境内のそこかしこにあり、訪れる人を見守っているのですが、写真映えスポットを探す観光客にはその存在はあまり知られていません。

私たちも実は同じようなものです。日々の生活に追われあまり意識が向かないこともありますが、仏さまは常に私たちを見守っていてくださいます。その仏さまは、阿弥陀様であり、極楽浄土にいるご先祖様です。

私たちが悩んでいる時、困っている時、つらい時、寂しい時、悲しい時、本当はそばにいて見守っていて下さるのです。そして、あるべき方向に導いてくださいます。
自分一人で生きているつもりになっているうちはなかなか気づけません。しかし、見守られていること、導かれていることに気づけたとき、私たちは「私はひとりじゃない」と安心感を覚えるのではないでしょうか。
それがまさに「救われる」ということにほかなりません。

守られて 導かれて 救われて

さて、浅草寺本堂内陣の柱には、向かって右に「佛身円満無背相」、左に「十方来人皆対面」という偈文が掲げられています。これは、善導大師の『般舟讃』に示された句で、「仏様の体は円満にして背中の姿(背を向けること)はなく、あらゆる人に対して正面に向き合ってくださる」という意味です。

浅草寺さまのご本尊は観音様ですが、観音菩薩は阿弥陀如来の慈悲を体現する化身として知られています。したがって、『般舟讃』に示された偈文は、阿弥陀様が私たちにしっかりと向き合ってくださっている、見守っていてくださっているということを広く示しています。

あとは私たちが、その見守りと導きに気づけるかどうか…
安らぎという救いは、気づくことから始まるのかもしれません。

南無阿弥陀仏

ジャガイモ掘りをしました!

6月8日、飛び地境内にある農園でジャガイモの収穫を行いました。

法源寺農園部は、これまで富士市就労支援ネットワーク「ココ☆カラ」とつながっている若者たちのサポートで活動を続けてきました。2月に植えたジャガイモが収穫の時期を迎えましたので近所の子どもたちにも声をかけ、みんなでジャガイモ掘りをしました。

お手伝いに来てくれた若者は6名。子どもたちがジャガイモを掘りやすいよう、シャベルで土をほぐしてくれたり、種類の違うジャガイモをきれいに並べるのを助けてくれたり、サポート役のお兄さんお姉さんとして大活躍してくれました。

今回は、定番のキタアカリに加え、アンデスレッド(写真左)、インカのめざめ(写真右)など変わり種も植えましたが、キタアカリ以上によく穫れました。カラフルなジャガイモにみんな大満足です。

男の子は畑にいるいろんな虫にも興味津々。レモンの木についたレモンの実の赤ちゃんを見つけて教えてくれる子もいました。子どもの目はいろいろなものをキャッチする力に優れています。ココ☆カラの若者たちにとっても子どもたちと触れ合う楽しい時間になったようです。

収穫の後は、豊作の御礼で、ジャガイモを本堂の仏様にお供えし、みんなでお参りした後に山分けしました。また、いつも見守ってくださる近所の方々にもおすそ分けいたしました。

秋のサツマイモはこれ以上の出来の予感。また、にぎやかな収穫祭を企画したいと思います。

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※本活動は、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成を受けています。

【6月の言葉】自利利他

他者を思いやる行動は、自身の幸せにつながります。
Helping others helpes ourselves.
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浄土宗月訓カレンダーの6月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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「自利」とは、自らを利すること。
「利他」とは、他を利すること。
この二つを合わせて「自利利他」と言います。

より仏教的に言えば、自利とは自ら悟りを求め修行に励むこと。
利他とは他者を思って尽くすこと。

さらに浄土宗的に解釈するなら、自利とは極楽往生を願い念仏に励むこと、利他とは共に往生を願い自らの功徳を振り向けることといってよいかもしれません。

自利利他は大乗仏教の中心的な理念のひとつといわれています。
これらは車の両輪のようなものでどちらが欠けても前に進むことはできません。
どちらも同じくらい大切なものです。

体調の悪い時に周囲に気遣うのが難しいように、自分が満たされ落ち着いていなければ、他者を思いやることはできません。今風の言葉で言えば「セルフケア」です。社会的な活動をするために、自分自身を整えることはとても大切ですが、整った自分が誰のために何をするのかも同じくらい大切です。

現代社会は、「自分さえよければ」「他人は他人」となりがちです。
しかし、こうした考えは、人と人との分断を生み、結果として孤独と不安を生み出します。私たちは相互関係に生きる存在として、自分さえよければよい、という考え方を離れなければなりません。自分のことだけしか考えないのは、たんなる「利己」です。

また、利他の対象は、現世に生きる者だけでなく、過去生きていた人たちも含まれます。

たとえば、浄土宗のご法事では、みなさん一生懸命お念仏をおとなえします。この時、念仏によって自分が得られる功徳を他者(故人)に振り向けることで後生の安穏を願います。これを「回向」(えこう)と言います。

自利利他

わずか四文字のなかには、実に深い意味が込められています。

今月の言葉を思い浮かべながら、自分も大事に、他人も大事に過ごしてみてください。
きっとそれが仏教的な生き方を実践するということになるのだと思います。

南無阿弥陀仏

浄土宗ともいき財団助成金交付式に参加しました

5月29日、公益財団法人浄土宗ともいき財団の助成金交付式に参加してまいりました。

なぜ助成金交付式に?と思われるかもしれません。このブログでもたびたび紹介していますが、当山では飛び地境内を活用して、不登校や引きこもりの若者たちと一緒に農園活動を行っています。「法源寺農園部」と名付けられたこの活動は、今年で5年目になりますが、活動に必要な資金を2年前より、浄土宗ともいき財団様からいただいております。

浄土宗ともいき財団とは、浄土宗寺院や僧侶による社会貢献活動を支援し、地域社会の福祉・安寧の向上に資する活動を広げることを主な事業とする公益財団で、大正3年(1914年)、「財団法人浄土宗報恩明照会」として起こった歴史ある財団です。

今年もありがたいことに「法源寺農園部」を助成金事業として採択していただきました。そういうわけで交付式に参加してきたのです。

交付式に参加したのは50を超える団体。みなさん、それぞれに特色ある活動をされています。一例を紹介すると、子ども食堂、フリースクール、防災のワークショップなど、いずれも寺院がコミュニティの核として活かされるプロジェクトです。お寺をもっと地域に開きたい、社会の役に立つ寺院でありたい、そうした思いがひしひしと伝わってきました。私も大変刺激を受けました。

いただいた助成金を有意義に活用し、今年も農園部の活動を展開していきたいと思います。

岳陽組檀信徒総会が行われました

5月17日、稱念寺さまの書院にて令和7年度岳陽組檀信徒総会が開催されました。

岳陽組檀信徒会としての昨年度の行事、決算の報告の後、今年度の活動予定、予算が承認されました。また、役員改選の時期でしたので、これまで会長、副会長、会計監査などをおつとめめいただいた役員の皆様に、岳陽組組長八橋俊洋上人より記念品が授与されました。

岳陽組の活動を支えていただき、ありがとうございました。

総会後は、富士宮在住のカラーセラピスト・田丸千春先生をお招きし、生活の中にあふれる色から私たちの心や体の声を聴くというお話をいただきました。田丸先生は看護師としても長年病院にお勤めで、入院患者さんや看護師研修にもぬり絵セラピーをされているそうです。

例えば、赤はやる気が出る、オレンジはビタミンカラーで会話が増える、緑はリラックスや癒しといった効果があるそうです、こうした色が心に与える影響を巧みに操りながら体調を整える助けにするというようなお話でした。

たしかに、自分が好きな色の服などを着ると気分が上がりますよね。色を使うということはあまり考えていませんでしたけど、なかなか興味深いお話でした。

ちなみに、ぐっすり寝たいときはベージュの寝具がよいのだとか…

最近疲れ気味なので試してみたいと思います(笑)

【5月の言葉】完璧でないから つながれる

私たちは誰も万能ではありません。
だからこそ、お互いに頼り、頼られながら生きていく。
それでいいのです。
We can connect with one another precisely because none of us are perfect.
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浄土宗月訓カレンダーの5月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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熊谷晋一郎(くまがや・しんいちろう)さんという小児科医がいます。
この方は、生後間もなく脳性麻痺となり、以来、車椅子が手放せない生活をしています。東京大学医学部を卒業後、小児科医として10年ほど臨床経験を積み、現在は東京大学先端科学技術研究センターで障害と社会の関係について研究していらっしゃいます。

熊谷さんは「自立とは依存先を増やすこと」とおっしゃいます。

私たちは「自立=自分で何でもできるようになること」と思いがちです。人に頼らないで生活することを「自立」としたら、障害や病気を持ち介護が必要な人は一生自立することができないということになります。

ある学会の講演で、熊谷さんがこんな話をしてくださいました(記憶を頼りにまとめたものですので正確性はお許しください)。

大学生になって一人暮らしを始めた私に、介護スタッフがこう言ったんです「熊谷さん、これからは自分でできることは自分でしましょうね」と。当時は私も若かったので、「なぜ私だけにサバンナの掟を適用するのですか」と言ってしまいました。たしかに、私だって頑張れば靴下も履けます。ただし、2時間くらいかかりますが(笑)できるできないで言えば、「できる」になるのでしょうが、でも人の手を借りた方が圧倒的に早くできます。健常者の人だって同じです。服や靴を自分で作っている人はそれほどいないはずです。食事を食べるのにも、自分で野菜を作ったり、魚を獲ったりする人もそういないでしょう。それぞれ商品として購入しているんです。人は得意不得意があって、不得意なことはサービスや商品で置き換えて生活しているのに、なぜ障害者だけが不得意なことも自分でやることを勧められなればいけないのか、と思ったのです。(2024年11月 スピリチュアルケア学会 基調講演)

サービスや商品の形をとると見えづらくなってしまいますが、私たち多くの人の世話になっています。いわば他者とのつながりの中に日々の営みを築いています。

誰にも頼らずに生きていくことは不可能です。熊谷さんは、頼って生きることの大切さだけでなく、その頼り方についてもお示しくださいました。

依存先(=頼れる人、場所)が一つだと相手にも過度の負担がかかってしまいます。しかも命綱は一本ですから、その依存先がなくなれば、たちまち生きていけなくなります。しかし、いくつもの依存先(=頼れる人、場所)を作っておけば、一つ一つの依存先の負担は軽減されるし、ここがダメでもまだ次があると心の余裕につながることでしょう。

逆説的に思えますが、人が自立するためには頼れる人や場所をできるだけたくさん作っておくことが大事なのです。そして、依存先を増やすためには、自分一人では生きていけない、自分自身は至らない者である、という自覚が必要です。

浄土宗の教えでは、これを「愚者の自覚」といいます。

完璧でないから つながれる

万能でないからこそお互いに頼り、頼られながら生きていく。
頼ることを恥ずかしいと思わず、頼られることを煩わしいと思わず、時には助け、時には助けられ、心豊かな日々を送りたいものですね。

南無阿弥陀仏

日本仏教看護・ビハーラ学会のご案内(6/28~29)

日本仏教看護ビハーラ学会の第21回年次大会が、6月28日、6月29日に東京で行われます。副住職が登壇しますのでこちらでも宣伝させていただきますが、中身は大変充実したものになることが期待されます。

初日は南千住回向院で、基調講演、落語(反魂香)、シンポジウムがあり、2日目は浅草寺で個人発表とシンポジウムが行われます。

初日のシンポジウムでは、日雇い労働者として身寄りなく生き抜いてきた人々をケアしてきた支援団体、そして当事者から「最期まで支えるケアのありかた」を学びます。2日目は、戦後「蟻の街」と呼ばれた浅草で、医療に携わってきた浅草寺病院の歴史を紐解き、過去そして現在のケアの在り方にどのように仏教が息づいているのかを学びます。

こういう学会では通常「落語」はないのですが、今回は大会長のたっての願いでプログラムに組み入れました。

演目は反魂香(はんごんこう)です。反魂香には、土手の道哲と呼ばれる僧侶が登場します。この道哲が、吉原の花魁・高尾太夫の菩提を弔うため、毎晩鉦を叩いているというところから噺がスタートします。山谷のすぐ隣には吉原があり、この地の歴史を知るには欠かせない古典落語です。

会場がちょっと遠いうえに有料なので気軽にお越しくださいとは言いづらいのですが、気になった方はぜひチラシをご覧いただければありがたいです。

なお、申込みについては学会HPをご覧いただければありがたく思います。【仏教看護ビハーラ学会HP】

副住職はこんなこともやっていますよというお知らせでした。

合掌

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