【11月の言葉】普通ってなぁに?

当たり前は人それぞれに違うもの。
自分の“普通”、他人に押し付けてはいませんか?
Be humble in your value judgments, because there is more than one view.
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浄土宗月訓カレンダーの11月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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先日、富士山に初冠雪が確認されました。平年よりひと月ほど遅いのだそうです。

富士市に暮らす私にとって、富士山が見えるのは普通の景色です。ところが、遠方から来られたお客さんが富士山を見て感嘆の声をあげたり、新幹線の車窓から熱心にカメラを向ける人を見かけたりすると、この景色がいかに貴重なものであるかに気づかされます。

同じ景色が、ある人には当たり前で、ある人には特別。「普通」は、立っている場所によって変わります。

私たちの言う「普通」とは、たいてい「自分がこれまで見てきた範囲」のことです。育った家庭、暮らした地域、勤めた職場。その中で多数派だったものを、いつの間にか世の中の標準と思い込んでしまいます。そして、その物差しを、気づかないうちに誰かに押し付けてしまうこともあります。

たとえば「普通に働く」と聞くと、月曜から金曜まで、朝9時から夕方5時まで働くことをイメージする人も多いでしょう。当山では、就労を目指す若者たちと一緒に農園をしています(法源寺農園部)。そこにいると、この型に合わない人が確かにいることに気づかされます。けれども、それは彼らに能力がないからではありません。制度の方が、彼らにはまっていないだけです。実際、介護や子育てをしている方の中にも、短い時間なら働ける、という方は少なくありません。

「働けない人」がいるのではなく、「その働き方には合わない人」がいる。そう見方を変えると、考えるべきは、人に「普通」を押し付けることではなく、普通のほうを広げることなのだと、つくづく思います。「普通」は自然に決まっているものではなく、多数派に合わせてつくられた型です。型である以上、つくり直すことができます。

とはいえ、頭では分かっていても、つい「普通」で人や自分を測ってしまう。それが私たち凡夫です。「こういう時は普通こうするだろう!」「普通のことが何でできないんだ!」こんな苛立ちを感じたら、ぜひ自分に尋ねてみてください。

普通ってなぁに?

人の数だけ、ふつうがある。そう受け止めると、「普通」は人を測る物差しではなく、お互いを知るための入り口になるはずです。

南無阿弥陀仏

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