
7月18日、中島地区の子育て地蔵尊の祭礼にて法要をおつとめしました。
今年は子どもの数が少なくなったため神輿はなく祭礼のみとなりましたが、炎天下の中、区長さんをはじめとする地域の方々やお子さんが参加くださり、無事お勤めすることができました。
この地蔵尊の祭礼は、篤信の檀家様によって昭和6年(1931年)この地を当山の境内地としてご寄進いただいたことに端を発します。以来、95年にわたって連綿と受け継がれてまいしました。
その頃の法源寺はというと先々代が住職を務めていた頃でしょう。その後、先代・功旭上人に引き継がれ、現住職・裕功上人に引き継がれ、そして私と、四代にわたって地域の安寧と子供の成長を祈願する法要をつとめてまいりました。きっと、この日お参りの地域の古老の方々も子どもの頃から参加していたに違いありません。

この日は梅雨明け前とはいえ地獄のような暑さでしたので、法話では地獄とお地蔵様の関係について以下のようなお話をいたしました。
地獄といえば閻魔大王を思い浮かべる人も多いでしょう。人が亡くなると、まず奪衣婆に服を脱がされ、その服の重さで生前の罪の重さを計られます。木の枝にかけてそのしなり具合を見るのですが、罪が重い人ほど枝が下までしなるというわけです。
この罪の重さにより、川を渡る場所が決まりました。罪深い者は深く流れの急なところを泳いで、罪が軽い者は浅瀬を歩いて、そして、罪がほとんどない者は橋を使って向こう岸へ渡ります。このわたる場所が三か所あることからあの世とこの世を分ける川を「三途の川」といったのです。
川を渡ると、極楽に行くか地獄に行くか、閻魔大王の裁きが待っています。浄玻璃の鏡に姿を映すと、隠してきた悪事も露わになってしまいます。一切ごまかしがきかないのです。そうして生前の罪を吟味し、私たちを裁くのです。
さて、『地蔵十王経』というお経には、この閻魔大王は地蔵菩薩の化身であると示されています。なんと実はこの閻魔様、本当の姿はお地蔵様だというのです。意外ですよね。
人が亡くなると七日ごと、初七日、二七日、三七日・・・と供養をして(七本塔婆を裏返していく)と聞いたことがあるでしょう。実はその七日ごとに私たちは裁きを受け、次のステージへと進んでいくのです。そして、七七日(四十九日)は次の生が決まるとされています。
閻魔大王が登場するのは五七日。地方によっては葬儀の後に、続いて三十五日法要を執り行うところもあるようです。生きているものが功徳を積み、その功徳を亡き人に振り向けることで罪障消滅をお願いするというわけですね。
しかし、閻魔様は私たちを地獄に落としたいわけではありません。できることなら、これを機縁に仏道に心を寄せてほしい、極楽浄土に行ってほしいと思っています。そのためあんなに厳しいお顔でいらっしゃるのです。なんだか、部活動の怖い監督みたいな感じですね。
でも、閻魔大王の本当のお姿がお地蔵様だと聞くと、少し安心しませんか。あんなに恐ろしいお顔をなさっているのは、私たちを懲らしめたいからではなく、なんとか仏様の道に引き戻したいという、厳しい愛情の表れだったのです。
お地蔵様は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天という六道すべてを巡り、そこで苦しむ者を一人残らず救い上げるまでは、ご自身は仏にならないという誓いを立てられました。とりわけ最も苦しみ深い地獄にまで、自ら出向いて救ってくださる。そういう仏さまがこの地を長らく守って下さったことともに感謝し、これからも大切にお祀りしていきましょう。

こうした伝統ある行事が連綿と受け継がれていくお手伝いをさせていただいたことにありがたく思いました。
南無地蔵尊

