涅槃会と絵解き―「如是我聞」の秘密

2月15日は、お釈迦様が涅槃に入られた(亡くなられた)日といわれています。涅槃(ねはん)とはサンスクリット語のニルバーナを音を漢字にあてたもので、さとりの境地、苦しみが消滅した状態を意味します。当山では、2月15日の13時より、後世に残る仏教の開祖であるお釈迦様のご遺徳を偲び涅槃会を厳修いたしました。

涅槃会の後は、「絵解き」を行いました。絵解きとは図像の解説のことです。

少しご紹介しますと、お釈迦様が横になっているすぐ下に、伏してうなだれている若いお坊さんがいます。この人は阿難(あなん)といい、お釈迦様に付き従い、身の回りの世話をしていたお弟子さんです。お釈迦様の十大弟子の一人で、お付きとして常に説法を聴いていたことから多聞第一(たもんだいいち)と呼ばれていました。師として長年仕えてきたお釈迦様の入滅に際し、自分はこれからどうしていったらいいのかと嘆き悲しむ様子が描かれています。

阿難はその後、仏典の編集で大きな功績を残します。

中央下にいる若い僧形の人が阿難です

多くのお経は「如是我聞」(かくのごとく、われ聞けり)で始まることが多いのですが、この「我」とは阿難のことです。お釈迦様が亡くなった後、弟子たちが集まって、教えを書き記そうとしました。これが後にお経となるのですが、その際、お釈迦様のそばでよく説法を聞いていたことから、阿難は経典の編集者として重宝されることになります。

もし阿難がいなければ、如是我聞(現代語訳:お釈迦さまからこのようにうかがいました)といって始まるお経はなかったかもしれません。

2月いっぱいまでおまつりしてありますのでぜひご覧ください。

涅槃図と武田信玄騎馬像の展示

当山では毎年2月に涅槃図を本堂におまつりしています。

法源寺に伝わる涅槃図は、弘化4年に当時の檀信徒の寄進によって収められたとの記録が残っています。弘化4年といえば、西暦1847年です。ペリーが黒船に乗って浦賀沖に現れたのが1853年ですから、それよりも6年前に作られたものです。180年近く経ちますが、色はとても鮮やかに残っています。

また、今年は巳年ということで、巳年生まれの戦国武将・武田信玄騎馬像も堂内に展示いたしました。こちらの騎馬像は当山檀家で、もともとは武田家の家臣であった高田家所蔵の逸品でしたが、高田家よりご寄進いただき、これを機縁として当山で修復、保管してまいりました。戦国時代、富士山の南麓は武田、北条、今川の三氏の勢力争いの境界線でしたので、この騎馬像の伝来の話はそうした名残を感じさせます。

どちらも2月いっぱい本堂におまつりしております。

2月15日(土)午後1時からの涅槃会にあわせ、涅槃図は絵解きも行います。

どうぞご覧くださいませ。

南無阿弥陀仏

【1月の言葉】新たな芽の出る年に

今年はどんな年になるのか、どんなことをしようか、
そんな期待にワクワクしながら、目標を立てるのもいいものですね。
This is the year to take another step forward.
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浄土宗月訓カレンダーの1月の言葉。
字は大本山増上寺第89世法主小澤憲珠台下の揮ごうです。
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新年あけましておめでとうございます。

一年の計は元旦にありと言いますが、みなさんはどのような目標を立てましたか?
これまで続けてきたことがもっと上達するようにと願う人もいれば、新たな事に挑戦しようという人もいるかもしれません。受験や就職などまさに今正念場を迎えようとする人もいるでしょう。新年の決意は人それぞれですが、どんな目標でも立てて、そこに向かって努力することが大切です。

今年の月訓カレンダーの1月の言葉は、「新たな芽の出る年に」です。

新たな芽が出るには、枝から栄養を送らなければなりません。
枝から栄養を送るためには、幹がしっかりしていなければなりません。
幹がしっかりするためには、根が深く張られていなくてはなりません。

私たちが日々行っている何気ないことも、実は新たな芽を吹くための根っこになっているのかもしません。一日一日、一言一言、一挙手一投足を大切に、暮らしてゆきたいものです。

さて、今年は巳年。干支の動物はヘビです。ヘビは金運の象徴としてよく知られていますが、脱皮をすることから再生や新たな命の象徴としても崇められています。

年頭に思い描いた新たな自分に生まれ変わる一歩をともに進んでまいりましょう。

南無阿弥陀仏

岳陽組おてつぎ信行奉仕団

11月30日〜12月1日にかけ、静岡教区岳陽組の檀信徒の皆様と一緒におてつぎ信行奉仕団として総本山知恩院に登嶺して参りました。

御影堂前には開宗の御文が!昨年、上宮高校の書道部のパフォーマンスをちょうど目にしたものですので、ここで再会できたことを嬉しく思いました。

他教区の寺院様とご一緒に結団式をした後、別時念仏に励み、境内の掃除と、充実した一日を過ごしました。

身体と心を働かせた後の夕飯の美味しいこと美味しいこと。みなさんも和気藹々とした雰囲気で楽しんでおられました。

2日目の朝は阿弥陀堂でのお勤めから。その後、御影堂に移動して別回向を頂戴しました。肌を刺すような空気で目が覚めましたが、御影堂を出ると朝日に照らされた京都の街並みが見えとても美しく感じられました。

信行奉仕団としてはここまでで、朝ごはんをいただいた後は、お楽しみタイムに。まずは、京都国立博物館で開かれている『法然と極楽浄土展』を鑑賞。この春、東京国立博物館でも行われていましたが、こちらの展示は東京とはまた少し違った雰囲気でした。法然寺(讃岐)の涅槃群像の並びもやや違っていましたが、こちらもまた素晴らしいものでした。

その後は、真言宗智山派の総本山智積院を参拝。こちらの会館でお昼をいただき、境内を拝観させていただきました。長谷川等伯の障壁画の煌びやかさは言うまでもありませんが、近代の画家・堂本印象のポップな襖絵も寺院建築との相性が良く、魅入ってしまいました。境内では美しく色づいた木々が目を楽しませてくれ、大変優雅なひとときを過ごすことができました。

その後はバスで静岡へ。皆無事に帰ってくることができました。こうして檀信徒の方々と体験を共有できるのは嬉しいことですね。

みなさまお疲れさまでした!

南無阿弥陀仏

吉水先生ご法話「真の佛教徒とならん」

先日の十夜法要ならびに開宗850年慶讃法要へのご参加ありがとうございました。

当日ご参加できなかった方や遠方の方、はては同じ浄土宗の僧侶の方々から、吉水上人のご法話をぜひ聞きたいとの声を頂戴いたしました。
そこで記録用に録画したものを公開してよいか吉水上人にお願いしましたところ、ご快諾いただきましたので、多くの方にお聞きいただければ幸いです。

本当に素晴らしいご法話です。

南無阿弥陀仏

【吉水岳彦(よしみずがくげん)上人プロフィール】
1978年生まれ。2009年に若手僧侶有志と「社会慈業委員会 ひとさじの会」を発足。以来、ホームレス状態にある人や身寄りのない人の葬送支縁、浅草山谷・上野地域における炊き出し夜回り、東日本大震災被災地支縁に取り組んできた。一方、2016年には病院のスピリチュアルケアワーカーとしての活動を開始。2017年に、自坊に「こども極楽堂」を開設し、子どもの居場所支縁を行う。現在、浄土宗光照院住職、大本山増上寺布教師、ひとさじの会事務局長、大正大学非常勤講師、淑徳大学兼任講師、東京慈恵医科大学病院非常勤講師。公益財団法人仏教伝道協会 第58回仏教伝道文化賞・沼田奨励賞 受賞。

令和6年十夜法要並びに開宗850年慶讃法要を行いました

10月14日(月・祝)、当山の最大行事である十夜法要を厳修いたしました。今年は法然上人が浄土宗を開いてから850年の節目の年にあたりますので、十夜法要と併せて開宗850年慶讃法要も執り行いました。

法要後のご法話は、東京教区光照院住職の吉水岳彦上人をお招きし、「真の佛教徒とならん」と題したお話をいただきました。

吉水上人は、2009年、生活困窮者支援団体「ひとさじの会」を立ち上げ、現在も事務局長として、東京山谷地域の身寄りのない方々の支援を行っています。そうした活動を通じた体験談から始まり、どんなに至らない私たちでも救っていただける阿弥陀如来さまのお慈悲の心をありがたく受け止め、念仏の生活を送ることこそ本当の仏教徒であることをお話しくださいました。

たねかんがごとし。かまえて善人ぜんにんにして、しかも念仏ねんぶつしゅすべし。これを、真実しんじつ仏教ぶっきょうしたがものというなり。(随順仏教『念仏往生義』)

雑草だらけの畑では、よい種をまいてもなかなか良い作物は実らないでしょう。善い行いをして(あえて悪いことをしないで)、私たち自身の身を正しく保ち、そのうえで往生の種となる念仏を一生懸命となえること。これこそが誠の仏教徒であるということです。

法要後には、「最後のお十念で胸がジンと熱くなった」「素晴らしいお話で孫を連れてくればよかった」とのお声をいただきました。また、「その昔、戦災孤児を見ても何もできなかった。なんとかそんな思いを形にしたい」といって、ひとさじの会にご寄付くださる方もいらっしゃいました。さらには、この法話を聞くために焼津からお見えになった檀信徒以外の方もいらっしゃいました。

当日お見えになった方は50名ほどですが、みな一様に法悦に触れ、心豊かに生きる糧をいただいたのではないかと思います。

このようにして、おかげさまで開宗850年を祝うのに相応しい十夜法要をお勤めすることができました。開催にあたってお力添えを賜った総代、世話人の皆様、ご参加のみなさまに、あらためて御礼申し上げます。

南無阿弥陀仏

令和6年十夜法要ご案内

今年もお十夜の季節がやってまいりました。

法源寺を開基した観譽祐崇上人は、室町時代、浄土宗に十夜法要の勅許を得た高僧です。よって当山では、十夜法要を最も由緒ある年中行事として500年以上にわたって継承してまいりました。

今年は法然上人が浄土宗を開いてから850年の節目の年にあたります。そこで十夜法要と併せて開宗850年慶讃法要を下記要領にて厳修いたします。

13:00 受付開始
14:00 法要開始
14:50 法話「真の佛教徒とならん」吉水岳彦上人
15:50 終了予定

法要後には東京光照院住職の吉水岳彦上人をお招きし、ご法話をいただきます。吉水師はNHK「こころの時代」にもとりあげられた念仏実践と社会実践を車の両輪の如く大切に行われている、現代の聖(ひじり)です。

信仰をもって生きるとはどういうことか、仏様の平等の救いを実践できぬもどかしさを抱えながら社会とどう向き合って生きていくのか、混沌とした現代社会だからこそ、私たちの心に響くお話であることは間違いありません。

どうぞお誘いあわせのうえ、ぜひご参加ください。

南無阿弥陀仏

【10月の言葉】同じ月を眺めている

阿弥陀さまはすべての人に慈悲の光を注いでくださいます。
月は場所によって見え方が違っても等しく私たちを照らしているように。
The moon may look different depending on where you are, but it shines down equally on us all.
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浄土宗月訓カレンダーの10月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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つきかげのいたらぬ里はなけれども
ながむる人の心にぞすむ

浄土宗の檀信徒であれば、この和歌を一度は耳にしたことがあるでしょう。
これは浄土宗を開かれた法然上人が詠まれた歌といわれています。

その意味は、「月の光が照らさないところはありませんが、月を眺める人の心にこそ、月の光が澄み渡るのです」というものです。

ここでいう、月の光とは阿弥陀様のお救いの光明のこと。仏さまは皆を救おう救おうと思ってその光で私たちを分け隔てなく照らしてくださいますが、その光源である阿弥陀様の方向を見なければ、つまり、その教えに心を向けなければ、救いの光を受け損ねることになります。

法然上人はまたこういう御歌も詠まれています。

露の身はここかしこにて消えぬとも
こころは同じ花のうてなぞ

この歌は「私たちの命は、露のようにはかなく、いつ尽きるとも限りませんが、念仏を称える者は必ず極楽浄土に往生し、蓮台(=うてな)で再び会うことができますよ」という意味です。

法然上人が活躍された時代、念仏だけで救われるという教えは、厳しい修行こそがさとりへの道であるとする既存の仏教界から大いに批判を受けました。とくに、比叡山や興福寺などは朝廷に働きかけ、念仏の教えを止めさせることを要求していました。

弟子の咎もあり、その責任を取らされる形で法然上人は四国の土佐へ流されることになりましたが(実際は讃岐で止め置かれました)、上人に深く帰依していた先の関白・九条兼(くじょうかね)(ざね)公は上人との別れを悲しみ、もう今生では二度と会えないかもしれないと嘆きの手紙を送りました。これに対する法然上人の御返事が先ほどの御歌です。

同じ月を眺めている

スマホひとつで相手の声も聞け、姿も見られる現代社会では、会えない寂しさを紛らわす術も随分変わってきたことでしょう。しかし、同じ空の下で、同じ景色を見ている、同じ月を眺めているという行為を共有することで、共同性を感じることはできます。

この場合の「同じ月を眺めている」とは、阿弥陀様の教えに心を向けるということ。

極楽浄土は大切な人、親しい人との再会が約束された場所。阿弥陀仏に心を向け、その浄土に救い取られることで、再び会うことができます。

法然上人と九条兼実公、讃岐と京都、距離は離れていてもふたりは同じ月を眺め極楽浄土での再会を願っていたに違いありません。

南無阿弥陀仏

秋彼岸信行会をおつとめしました

9月22日(日)、秋の彼岸の中日に信行会を行いました。ずいぶん朝夕は涼しくなってきたとはいえ、日中はまだまだ日差しも暑い9月。先月取り付けたエアコンが今回も活躍してくれました。快適な本堂でお勤めができたこと、ありがたく思います。

さて、彼岸は、サンスクリット語でパーラミータ(到彼岸)という言葉に由来します。これを漢字にあてたものが「波羅蜜」です。京都にある六波羅蜜寺の「波羅蜜」です。

六波羅蜜とは、布施(執着を捨てる)・持戒(悪を行わない)・忍辱(我慢する)・精進(努力する)・禅定(雑念を捨て、集中する)・智慧(ありのままにとらえ、真理を見極める)の六つの実践徳目のことを言い、これを身に付けることができればさとりが開けると言われています。

彼岸とは、本来こうしたさとりの境地を目指して六波羅蜜の仏道修行に励む期間をいいます。彼岸は中日を挟んで前後3日ずつありますから、一日ごとにこれら実践を意識し過ごすことで、よりさとりの世界に近づけることでしょう。

さて、彼岸の中日である秋分の日は、昼と夜の長さが等しくなる日、そして一年のうちで太陽が真西に沈む日でもあります。沈む夕日の方角には、阿弥陀如来の極楽浄土、まさにさとりの世界があるといわれています。

極楽浄土は先立った方々がいらっしゃる場所。ご先祖様を思い浮かべともに手を合わせる信行会となりました。

法要後には知恩院布教師でもある高橋明功上人より、ご法話として鎌倉時代の武将・熊谷直実が法然上人に弟子入りし、法力坊蓮生と名乗り念仏の行者となった話をしていただきました。

罪悪生死の凡夫である自分が救われるのは念仏しかないと、そのシンプルな教えに身を寄せた熊谷直実の胸の内を熱く語ってくださり、誰もが救われる念仏の尊さを改めて感じることができました。

どんな人でも救われる道がある、大切な人とまた会える浄土がある、そのようなありがたい浄土教の教えに触れる一日となりました。

南無阿弥陀仏

静岡教区檀信徒大会の開催

9月3日(火)、伊東市観光会館にて第53回静岡教区檀信徒大会が開催されました。

今回は浄土宗開宗850年記念大会として、大本山増上寺より小澤憲珠大僧正台下のご巡教を賜り、大変にぎやかに華々しく執り行われました。

小澤台下は開白法要でお導師をお勤めいただいたのち、念仏の実践の大切さを説かれました。そして、以下に念仏を称えやすい環境を作るかが大事だというお話もされました。

いつでもどこでもできる行だからこそ、つい後回しになってしまいがちです。しかし、こうした簡単な行を法然上人が世に広めたのは、仏縁に触れがたい多くの人を救わんがためでした。だからこそ、とにかく称えることの大切さを説いたのですね。

第三部では、ご詠歌、声明、雅楽などをBGMに阿弥陀仏の慈悲と救済について布教師の方々がかわるがわる法話をしてくださいました。法話というと語りだけで聞かせるというイメージが強いのですが、こうして、視覚や聴覚に訴えながら法を説くことで、聴衆は一段とひきこまれていたように思います。

当日は、あいにくの天気でしたが、県内各地より大勢の檀信徒の方々が一堂に会し、僧俗ともどもに法悦に触れる一日となりました。

南無阿弥陀仏

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