秋彼岸信行会をおつとめしました

9月22日(日)、秋の彼岸の中日に信行会を行いました。ずいぶん朝夕は涼しくなってきたとはいえ、日中はまだまだ日差しも暑い9月。先月取り付けたエアコンが今回も活躍してくれました。快適な本堂でお勤めができたこと、ありがたく思います。

さて、彼岸は、サンスクリット語でパーラミータ(到彼岸)という言葉に由来します。これを漢字にあてたものが「波羅蜜」です。京都にある六波羅蜜寺の「波羅蜜」です。

六波羅蜜とは、布施(執着を捨てる)・持戒(悪を行わない)・忍辱(我慢する)・精進(努力する)・禅定(雑念を捨て、集中する)・智慧(ありのままにとらえ、真理を見極める)の六つの実践徳目のことを言い、これを身に付けることができればさとりが開けると言われています。

彼岸とは、本来こうしたさとりの境地を目指して六波羅蜜の仏道修行に励む期間をいいます。彼岸は中日を挟んで前後3日ずつありますから、一日ごとにこれら実践を意識し過ごすことで、よりさとりの世界に近づけることでしょう。

さて、彼岸の中日である秋分の日は、昼と夜の長さが等しくなる日、そして一年のうちで太陽が真西に沈む日でもあります。沈む夕日の方角には、阿弥陀如来の極楽浄土、まさにさとりの世界があるといわれています。

極楽浄土は先立った方々がいらっしゃる場所。ご先祖様を思い浮かべともに手を合わせる信行会となりました。

法要後には知恩院布教師でもある高橋明功上人より、ご法話として鎌倉時代の武将・熊谷直実が法然上人に弟子入りし、法力坊蓮生と名乗り念仏の行者となった話をしていただきました。

罪悪生死の凡夫である自分が救われるのは念仏しかないと、そのシンプルな教えに身を寄せた熊谷直実の胸の内を熱く語ってくださり、誰もが救われる念仏の尊さを改めて感じることができました。

どんな人でも救われる道がある、大切な人とまた会える浄土がある、そのようなありがたい浄土教の教えに触れる一日となりました。

南無阿弥陀仏

静岡教区檀信徒大会の開催

9月3日(火)、伊東市観光会館にて第53回静岡教区檀信徒大会が開催されました。

今回は浄土宗開宗850年記念大会として、大本山増上寺より小澤憲珠大僧正台下のご巡教を賜り、大変にぎやかに華々しく執り行われました。

小澤台下は開白法要でお導師をお勤めいただいたのち、念仏の実践の大切さを説かれました。そして、以下に念仏を称えやすい環境を作るかが大事だというお話もされました。

いつでもどこでもできる行だからこそ、つい後回しになってしまいがちです。しかし、こうした簡単な行を法然上人が世に広めたのは、仏縁に触れがたい多くの人を救わんがためでした。だからこそ、とにかく称えることの大切さを説いたのですね。

第三部では、ご詠歌、声明、雅楽などをBGMに阿弥陀仏の慈悲と救済について布教師の方々がかわるがわる法話をしてくださいました。法話というと語りだけで聞かせるというイメージが強いのですが、こうして、視覚や聴覚に訴えながら法を説くことで、聴衆は一段とひきこまれていたように思います。

当日は、あいにくの天気でしたが、県内各地より大勢の檀信徒の方々が一堂に会し、僧俗ともどもに法悦に触れる一日となりました。

南無阿弥陀仏

【9月の言葉】西の彼方の確かな場所

お彼岸の中日には夕日が真西に沈みます。
その向こう、西の彼方にある極楽浄土は、
今は亡き大切な方とのかならず再会がかなうところです。
On the other side of the western horizon lies the Pure Land.
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浄土宗月訓カレンダーの9月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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日中はいまだ暑い日がありますが、朝夕の風はずいぶん秋めいてきました。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる

平安時代の歌人、藤原敏行は古今和歌集にこのような和歌を残しています。ここには、視覚ではまだとらえられないものの、聴覚や触覚などでとらえられた秋の訪れが豊かに表現されています。古来から、人はこうして、目に見えるものだけでなく、目に見えないものに気を配ってきました。むしろ、見えないところにこそ大事なものがあるととらえていたのかもしれません。

春と秋とに訪れる彼岸は、それぞれ春分の日、秋分の日を中日として前後3日間ずつ、計7日間をその期間としています。いまでは、お墓参り、先祖供養を懇ろに行う期間とされていますが、彼岸とは、この世の世界である「()(がん)」に対して「さとりの世界」を意味する言葉で、本来は、そのさとりの世界に向かえるよう、六波羅蜜(ろくはらみつ)とよばれる仏道修行を行う期間とされていました。()()(みつ)はサンスクリット語の「パーラミター」の音を漢字にあてたもので、至彼岸、すなわち、さとりに至るための修行を意味します。

6つの修行は何かといいますと、

布施(ふせ)    互いに施しあう
持戒(じかい)    きまりを守る
忍辱(にんにく)    苦しいことに耐え忍ぶ
精進(しょうじん)  あきらめず怠らない
禅定(ぜんじょう)  静かな心で精神集中する
智慧(ちえ)    偏らない心で物事を正しく見る

というものです。彼岸は、中日を挟んで前後3日ずつありますから、一日ごとにこれら実践を意識し過ごすことで、よりさとりの世界に近づけることでしょう。

さて、彼岸の中日である春分の日、秋分の日は、昼と夜の長さが等しくなる日、そして一年のうちで太陽が真西に沈む日でもあります。沈む夕日の方角には、阿弥陀如来の極楽浄土があるといわれています。

阿弥陀様は迷い多き私たちを救ってくださる仏様。極楽浄土は、先立った方々がいらっしゃる場所。ですので、彼岸のこの時期は、西に沈む夕日を思い浮かべながら、「きっとあちらにいらっしゃる」と念じて手を合わせる機会にもなります。

西の彼方の確かな場所

極楽浄土やご先祖様は物理的な存在を確認できるわけではありません。物質主義的な価値観が幅を利かせる現世では、こうした見えないものに対してあまり意識を払わないことも多々あります。

しかし、確かにそこにある、確かにそこにいると信じて日々生きると、今だけ、ここだけ、自分だけではない、別の価値観で物事が見えるようになってきます。

お釈迦様は、すべてのものは相依(あいよ)り、相助(あいたす)け、相互に関係しあいながら存在すると説かれました。あらゆるものは相互に影響し合って存在し、なにひとつ単独で存在しえないという意味です。それは目に見えるものだけではありません。むしろ目に見えないものにこそ気を配り、自己との関係性を問い直してみてはいかがでしょうか。

もうすぐお彼岸ですね。みなさまが仏縁に触れる機会となれば幸いです。

南無阿弥陀仏

令和6年度 盂蘭盆会・新盆供養を行いました

今年も8月13日18時30分より、盂蘭盆会および新盆供養法要を行いました。

今年は本堂にエアコンが入りましたので、これまでとは違い快適な環境でのお勤めとなりました。導師や維那(お経の発声をする僧侶)の汗をぬぐう回数もぐっと減ったように思います。おかげさまで、新盆家、一般檀信徒あわせて50名ほどのご参加をいただき、皆さんと一緒におつとめすることができました。

お盆は「盂蘭盆」(うらぼん)の略語といわれています。盂蘭盆はサンスクリット語の「ウランバナ」の音を漢字にあてたもので、もともとは「逆さ吊り」という意味です。富士・富士宮地区では8月13日から16日がお盆の時期にあたり、仏壇をきれいにし、僧侶による棚経を受け、ご先祖様をお迎えする準備を行います(8月盆と7月盆の違いについては【こちら】をご覧ください)。

今日のお盆の由来が記されている『盂蘭盆経』には、以下の様な逸話が説かれています。

お釈迦様の弟子のひとりに、神通力を持つ目連尊者(もくれんそんじゃ)という方がいました。ある日、亡き母がどうしているかと、神通力を使って母親の姿を探したところ、餓鬼道に堕ち、飢えと渇きに苦しむ母親の姿が見えました。神通力で食べ物や飲み物を届けようとしますが、母親の元に届く前に火に包まれてしまい、母親を助けることはできません。何とか救いたいと願った目連尊者は、師匠であるお釈迦様に相談したところ、お釈迦様は、雨期に行われる修行を終えた修行僧であればその徳をもって母親を救えるかもしれない、したがって彼らに食べ物や飲み物をささげるよう目連尊者に告げました。そして、修行僧たちにもまた、この施しを受ける際には、施主家の七代の父母のために祈りを捧げるようにと伝えました。目連尊者はその通りに修行僧たちを供養し、その功徳によって目連尊者の母親は餓鬼道から救われました。

この逸話をもとに、当山では新盆家からの志納で飲み物を用意し、参加者にお配りしています。また、新盆家の皆様には法要前にお集まりいただき、袋詰めの作業を手伝っていただきました。

供養のための施しはまさに目連尊者のごとしです。新たにお盆を迎える一切の精霊はきっと極楽に救い摂られることでしょう。

暑い中、法要にご参加くださった皆様、お手伝いいただいた新盆家の皆様、誠にありがとうございました。

南無阿弥陀仏

【8月の言葉】墓掃除 清められるのは私

お盆の季節には、普段より一層ていねいに
お墓の掃除をしましょう。
きっと心も晴れやかになるはずです。
Cleaning your family’s grave will make your spirit lighter.
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浄土宗月訓カレンダーの8月の言葉。
字は大本山金戒光明寺清浄華院第76世法主藤本淨彦台下の揮ごうです。
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今年もまもなくお盆がやってきます。

お盆といえばお墓参りのために故郷に帰るという人も少なくないでしょう。

しかし、最近は、わざわざ遠方のお墓にお参りに行くのが大変、墓地の管理が難しい、といった理由でお墓を移したり、場合によっては、墓じまいを検討したりする人もいるかもしれません。

また、墓じまいの背景には、少子化の中で一人しかいない子どもに、いくつもの墓を管理させるのは申し訳ない、子どもが結婚しておらず今後墓の継承が難しい、子どもはいるが女性のみで嫁いでしまったため自分の家の墓守をさせるわけにはいかない、などさまざまな事情が垣間見えます。

そのとき決まって使われるのが「子どもたちに迷惑をかけたくない」という表現です。しかし、遺された子にとってお墓の管理は「迷惑なこと」なのでしょうか。

実は、先日、墓じまいを取り止めたいという相談がありました。

その方は、一人っ子ですが、早くに両親を亡くされて、現在は遠方で一人暮らしをしています。お盆やお彼岸のたびにお墓参りに来ることは難しいのかもしれず、前々から墓じまいについてのご相談を受けていました。

ある日、折り入って相談があるとのことでお寺に来られました。いよいよお墓の整理をされるのかなと思っていましたが、話を聞けば、墓じまいを考え直したいとのお申し出でした。

現在、その方の生まれ育った実家はすでに処分してしまっています。いわば、両親との思い出が詰まった場所はもうありません。ここでお墓まで片づけてしまったら、両親とのつながりが絶たれてしまうと感じられたようで、考え直されたとのこと。

小さい頃はよく両親に連れられてお墓参りに来ていた、お墓参りの後はごほうびとしてアイスやお菓子を買ってもらっていた、というお話も聞かせていただきました。

場所としてのお墓だけでなく、お墓参りを通じた両親との会話や出来事が記憶に残っているようでした。

お墓を守り続けたいというお申し出はお寺にとってはありがたいことです。来られる時だけでよいのでぜひお参り下さい。そしてその時はお寺にもお立ち寄りください。とお伝えしました。

物理的な場所がなくても、心のつながりは持ち続けられるという人もいるかもしれません。しかし、「ここに来れば会える」という場所があることは、心理的なつながりをより強固なものにするでしょう。お墓はまさにそうした場所のひとつです。そういった場所を自分の一存で片づけてしまっていいのか、墓じまいの際はよく考え、話し合っておくことが必要なように思います。

さて、浄土宗で大事にしているお経の一つである『阿弥陀経』の中には、「倶会一処(くえいっしょ)」という言葉が出てきます。極楽浄土に往生した人は、極楽で仏さまや菩薩様に会えるだけでなく、先立った家族や友人とも再会できる、という意味ですが、亡くなった後だけでなく、生きているうちにも再会を感じられる場所があることは、現世を生きる私たちの(よすが)ともなります。

極楽で再会した時にあの人にどんなお土産話をもっていけるかなぁと、死んだら終わりではない死生観を持つことで私たちの生はより豊かになることでしょう。

墓掃除 清められるのは私

このお盆はそうしたことを思いながらぜひお墓を参りいただければと思います。

雑草を取り、墓石を洗い、お花と線香を供養し、手を合わせる。
きっと清々しい心持ちになれることでしょう。

でも暑いので熱中症にはくれぐれも気を付けてくださいね。

南無阿弥陀仏

改修工事がほぼ終わりました

浄土宗開宗850年記念事業の一環として行ってきました堂宇の改修工事もまもなく終わります。檀信徒の皆様におかれましては、本事業にあたり多大なお力添えを賜り、誠にありがとうございます。

いつでも、どこでも、だれでもが、浄土宗の念仏の教えの根幹ですが、この教えに適うよう、どなたでもお参りしやすいお寺づくりを目指して、このたび堂宇の改修を行いました。

なかでも本堂への空調導入は、昨今の夏の暑さを考えると必須項目でした。
当山の施餓鬼会はお盆の真っただ中、8月13日に行われます。夕方6時30分開始とはいえ、窓を全開にして、扇風機をつけても、法要が終わる頃には参列者の皆さんも大粒の汗をかくほどでした。本堂に空調を導入することで、夏の施餓鬼会はもちろんのこと、春秋の彼岸法要、秋の十夜法要、正月の修正会、さらには日々の法事など、高齢の方や小さなお子さんにとってもお参りしやすい環境が整うことと思います。

また高齢化が進む中で、車いすの方もしばしばお寺にお見えになります。北玄関にスロープを付け、駐車場のスペースを確保し、広いお手洗いを新設することで、車いすが必要な方でも気軽にお参りできるようになりました。

法源寺会館は、岳陽組の行事や地域行事のために使われてきましたが、建設から30年が経ち、建物の老朽化が目立つようになってきました。この先も地域社会の資源として活用できるよう補修を行い、お手洗いなども使いやすくなるよう改修をしました。

おかげさまで、誰でもお参りしやすい環境が整った堂宇でお盆を迎えることができそうです。どうぞ今年の夏は涼しい本堂で施餓鬼会を一緒にお勤めしましょう。

南無阿弥陀仏

令和6年度 棚経の日程

上記のように、8月8日から14日にかけ、お盆の棚経(各家の仏壇供養)に参ります。
詳しい時間を知りたい方はお寺までご連絡ください。なお、道路事情や途中ご相談を受けたりすることもございますので、時間が多少前後する可能性があります。お伝えするお時間は目安としてお含みおきください。

どうぞよろしくお願いいたします。

お地蔵さんの前掛けはなぜ赤い?

7月20日、中島地区にある子育地蔵尊の祭礼で、子どもたちの健やかな成長を願う法要を行いました。

中島地区は法源寺から1㎞ほど離れたところにありますが、この子育地蔵を安置するお堂とその境内は、法源寺の飛び地境内になっています。この地蔵尊とのご縁は、時を遡ること昭和6年、当地区住まいの檀家さんが自宅に安置していた地蔵菩薩を祀るため、宅地及び堂宇を菩提寺である法源寺に寄進されたのがきっかけとうかがっております。

以来93年にわたって、中島子育地蔵尊は地域の子どもの守り仏として大切に祀られ、代々法源寺の僧侶が縁日に御祈願のお参りをしてきました。また、この日にあわせてお祭りが行われ、神輿や太鼓が町内を巡回します。

法要後の法話では、なぜお地蔵様の前掛けは赤いのか?というお話をいたしました。

そもそも前掛けは赤ちゃんの象徴です。お不動様、観音様、阿弥陀様、御薬師様、様々な仏様がいらっしゃいますが、前掛けをしているのはお地蔵様だけです。

お地蔵様はつるんとした頭から赤ちゃんの姿を連想させます。昔は幼くして亡くなる子どもも多く、その菩提を弔うために地蔵菩薩を造立する方も多くいらっしゃいました。幼き子どもに着せる前掛けや頭巾をつけることで、我が子の極楽往生を願ったのです。そこから転じて、残された子どもの健やかな成長を見守る仏様となりました。

そして、太陽や血の色を連想させる赤は、古来より魔除け、厄除けの色として宗教的な意味を持ち、使われてきました。神社の鳥居も、還暦のちゃんちゃんこも赤色ですね。これも汚れを祓う、災いを遠ざけるという意味を持っています。

子どもの厄を除け健やかな成長を願う姿として、お地蔵様は赤い前掛けをしているのです。

でも、そうしたお地蔵様が地域にあることで、皆が集い、交流し、大人が子どもの成長を見守る場ができる。そのことこそお地蔵様の何よりの功徳ではないでしょうか。

いつの時代も子どもたちが笑って元気に過ごせる社会になるよう努めてまいりたいものです。

南無地蔵尊

おてつぎ運動推進大会および岳陽組檀信徒総会

5月18日、法源寺会館を会場に岳陽組檀信徒総会が開催されました。

また、今年は諸般の事情で総会に先立って総本山知恩院のおてつぎ運動推進大会も併修され、知恩院執事の神田眞晃上人をお招きし、ご法話をいただきました。

神田上人は大阪・法善寺のご住職で、法善寺は小説『夫婦善哉』で“大阪の顔”として紹介される有名な寺院です。大阪の繁華街の町中にありますが、多くの人の信仰を集め、長年水をかけられて苔むしたお不動さんをお祀りしているお寺でもあります。

神田上人からは、「親が拝めば 子も拝む 拝む姿の美しさ」というお話をいただきました。親から子へ、子から孫へ、大切な教えが、見せる姿によって受け継がれていくとのことで、まさにおてつぎ運動そのものであると感じられました。

昨今、子どもが遠くに住んでいるという人も少なくありません。仏教に限らず、文化や伝統を次世代に伝え、残していくことの難しさを感じている人も少なくないでしょう。言葉だけではなく姿勢で伝える、ということも必要なのかもしれませんね。

おてつぎ推進運動に続く、檀信徒総会では令和6年度の事業計画案が示され、開宗850年に向け様々な行事が組をあげて行われることが承認されました。

その中でも、今秋は総本山知恩院へのおてつぎ奉仕団が計画されています。開宗850年という節目の年に、ぜひご一緒に祖山にお参りし、法然上人の残した念仏のみ教えをともに嚙み締めましょう。

南無阿弥陀仏

増上寺御忌参拝(岳陽組団参)

4月3日(水)、増上寺の御忌大会・浄土宗開宗850年慶讃会にあわせ、岳陽組の団参として増上寺へ参拝いたしました。岳陽組としては98名、うち法源寺からは住職、副住職含め18名の参加でした。

増上寺は浄土宗大本山の一つで、徳川将軍家の菩提寺として江戸時代大いに栄えた寺院です。また、檀林とよばれる学問所としても知られ、浄土宗僧侶になるための修行道場として現在でもつかわれています。ちなみに浄土宗にはここ増上寺を含め、光明寺(鎌倉)、善光寺大本願(長野)、清浄華院(京都)、金戒光明寺(京都)、知恩寺(京都)、善導寺(久留米)の7か寺を大本山と呼んでいます(※知恩院は総本山です)。

毎年、4月の上旬には数日にわたって法然上人のご遺徳を偲ぶ御忌大会が営まれますが、今年は浄土宗開宗850年の節目に当たりますので、その慶讃法要もあわせて、例年以上に盛大に厳修されました。

4月3日は、増上寺の前執事長である友田達祐上人(静岡・法伝寺住職)が浄土宗開宗850年慶讃会の慶讃導師をつとめられ、岳陽組だけでなく静岡教区から大勢の檀信徒の方が参拝されました。

当日はあいにくの雨模様でしたが、随喜(法要に参列すること)の僧侶の数も大変多く、また本堂内に入りきれないほどの参拝客が法要に参加し、大変賑々しく厳修されました。

これほどの規模の法要は、本山でも増上寺や知恩院でしかなかなかお目にかかることはありません。参拝された方はその迫力やきらびやかさに圧倒されたことと思います。

秋には知恩院で行われる慶讃法要にあわせ、おてつぎ信行奉仕団が企画されています。ぜひご一緒にお参りいただき、850年の節目をともにお祝いいたしましょう。

これを逃すと次は50年後です。ちょうどよい巡り合わせの時期ですので、ぜひ多くの方にお参りいただきたいと思います。

南無阿弥陀仏

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