7月の観音講を行いました

連日暑い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。

法源寺は富士・富士宮地区にまたがる横道観音霊場の札所であることから、毎月17日に『観音経』を読む、観音講を行っています(1月、8月を除く)。

『観音経』は『法華経』の中の「観世音菩薩普門品第二十五」という一章のことをいいます。この経典には、 観世音菩薩の偉大なる慈悲の力を信じ、その名前を唱えれば、私たちが人生で遭遇するあらゆる苦難に直面した時に、必ずや観音が私たちの声を聞き救ってくれると説い ています。

観音菩薩は、音を観ると書きますが、衆生の苦しみや悲しみの声(=音)を観て(=聞いて)、さまざまな形に姿を変え救いに現れてくださる菩薩様です。

ここのところ、コロナの感染者が急増し、真鍮穏やかでない日々をお過ごしの方も多いと存じます。政府からの行動制限はありませんが、お出かけの予定を変更された方もいらっしゃるかもしれません。私たちの生活の中での大変さや辛さもきっと仏様は受け止めてくださることでしょう。こういうときこそ、声を届けて、お救いいただきたいと思います。

暑い中ご参加くださった皆様、ありがとうございました。

8月の観音講はお休みです。次回は9月17日。どうぞふるってご参加ください。

「世間の物差し」を手放そう

5月の中旬、ある全国紙の読者からの相談コーナーで、50代の会社員女性から子どもに関する相談が寄せられていました。

簡単に紹介すると、「友人の子どもは進学校に行き、有名大学に進学した。自分の子どもは誰一人進学校に行けなかった。自慢したかったのに全くできない。できる子の親がうらやましい、自分の子の出来の悪さが恥ずかしい」というものです。

子を持つ親になって感じたことですが、このお母さんの気持ちもわからないわけではありません。生まれたときは五体満足で生まれてきてくれれば、とそれだけ願っていたのに、成長するにつれ、つい、「あれができたら」、「これができたら」と考えてしまいます。そして、「これができたら」の「これ」は社会で評価が高いものだったり、世間で価値が認められているものだったりします。

このお母さんのように「自慢したい」という動機ではなくても、我が子に社会で成功してほしい、社会で立派と言われるような人になって欲しいという思いは少なからず持つのではないでしょうか。しかし、世間や社会の評価基準でうまく測れない子どもたちもいます。「自分は〇〇ができない」「自分には価値がない」なんて思ってしまうと、自己肯定感が得られないまま育ってしまうことになりかねません。

さて、6月の中旬、同じ新聞の読者からの相談コーナーで、20代のアルバイト女性から、こういった相談が寄せられていました。

かいつまんで紹介しますと、「自分の存在意義がわからない。才能はなく、中学校も不登校、高校もすぐに休学してしまった。その後、通信制高校を卒業したものの、学歴はない。私は負け組だろう。言い訳を考え、周りのせいにしようとする自分の浅はかさも嫌だ。自分は何のために生きているのだろうか」というものです。

まるで、さきほど紹介した「相談」のつづきのようなものです。相談を寄せた両者に親子のつながりがあるわけではないでしょうが、これを読んで心が苦しくなりました。

生まれてきたときには、「生まれてきてくれてありがとう」、「元気でいてくれればそれでいい」と願ってたのに、いつの間にか世間の物差しで我が子を測ってしまう。その結果、生きづらさを抱えて苦しい思いをしている人が少なからずいます。でもその「世間の物差し」は未来永劫不変でしょうか? 

ある時、急に日の目を浴びたり、逆にそうでなくなったりすることなんていっぱいあります。スポーツ競技が、オリンピック種目に採用されるかどうかなどは典型的な例といえるでしょう。採用されれば、スポットライトが当たり、メディアでも特集が組まれます。競技人口にも影響するでしょう。

さて、浄土宗で大切にされている経典の一つに『阿弥陀(あみだ)(きょう)』というお経があります。その中には、「青色(しょうしき)青光(しょうこう) 黄色(おうしき)黄光(おうこう) 赤色(しゃくしき)赤光(しゃっこう) 白色(びゃくしき)白光(びゃっこう)」という一説があります。

これは、阿弥陀仏の浄土に咲く蓮の花のありさまを語ったもので、「青き色には青き光、黄なる色には黄色の光、赤き色には赤き光、白き色には白き光あり」という意味です。もっといえば、私たち一人ひとりが、すでに、それぞれの色を持ち、光り輝いていることを語っています。青い色は、黄色い光を放とうとはしないですし、赤い色は、白い光になろうとはしません。

私たちは、すべからく本来の姿のままで、価値ある尊いものです。誰もがみな、得意なこと、不得意なこと、できること、できないことを持っています。今できることすら永久ではありません。年老いて、あるいは体の具合が変化して、それまでできていたことができなくなってしまうこともあるかもしれません。他者と比べて多少(すぐ)れたところがあったとしても、仏様からしたら大した違いのない凡夫(ぼんぶ)にすぎないのです。

どうしてうちの子はこれができないのかとお悩みの親御さんたち、自分はなぜうまくいかないのかと生きづらさを抱えている方々、ぜひ「世間の物差し」を手放してみてください。人は生きているだけで価値ある尊いものです。他者と比べて、自らを苦しめないでください。

ただいま子育て真っ最中の私です。この法話を、自らの戒めとしたいと思います。

南無阿弥陀仏

ジャガイモの収穫

3月上旬に植えたジャガイモがそろそろ採り頃かなということで、ジャガイモを収穫しました。前日に大雨と突風が吹き荒れましたが、農園の野菜たちは無事でした。

メークインはマルチをしてあったので早々に大きく育ちました。やはりマルチの効果は大きいですね。たくさん収穫することができたので、ご近所さんやちょうどお参りに来ていたお檀家さんにもおすそ分けすることができました。
一方、初挑戦のキタアカリは、、、生育不良でなかなか大きくなりません(悲)

人生、上手くいくときもあれば、上手くいかないときもありますよね。ましてや自然相手であれば、人間の力の及ばないことの方が多いかもしれません。

思い通りにいかないとつい苛立ちを感じることがあるかもしれませんが、こういった我執(がしゅう)を戒めるよい体験になりそうです。どんなことがあっても、腐らず、奢らず、若者たちと作業を進めたいと思います。

さて、ジャガイモの後には枝豆を植えようかなと計画しています。
また、今年は畑を少し広くしたので、サツマイモ、キュウリ、オクラ、そしてスイカを植え付けてみました。どれが上手に育つでしょうか。

またご報告いたします!

岳陽組檀信徒総会開催

5月14日(土)、富士宮の大頂寺さまで3年ぶりに岳陽組檀信徒総会が対面で開催されました。

浄土宗ではおおよそ各県に一つの教区があり、教区の中に「組」という単位の地域ごとのグループがあります。岳陽組というのは、富士・富士宮・沼津にある13か寺の浄土宗寺院で構成されています。この檀信徒会は、檀信徒同士でおてつぎ奉仕団に参加したり、団参に行ったりと、横のつながりを持つ場となっています。

昨年度より、当山の檀家総代である井出公治さまが岳陽組檀信徒会の会長となり、法源寺としても檀信徒会が盛り上がるよう支えております。新型コロナはまだまだ予断は許されませんが、今は小康状態というところでしょうか。久しぶりに対面での総会開催となり、互いの無事を確認し合う喜ばしいひと時となりました。

さて、例年、総会の後には「法話」があるのですが、こういう時期ですのでせっかく先生をお招きしても流れてしまうかもしれない、、、。遠方から先生を呼ぶのも憚られるということで、私(法源寺副住職)に白羽の矢が立ちました。

法話では、「コロナ禍だからこそ考えたい葬送儀礼の意義」と題して、葬儀の歴史から現代の葬儀の変化の背景をご紹介し、グリーフケアとしての葬送儀礼の役割についてお話しさせてただきました。

その内容についてはまた改めてこちらでも紹介したいと思いますが、ご参加の皆様はメモを取りながら熱心に聞いてくださいました。人と人との付き合いが変わっていく中で、葬送儀礼の意味や価値を見直したいという思いもあったのだと思います。これからも様々な場で積極的に伝えていきたいと思った次第です。

合掌

観音講のお勤めをしました

当山では、1月と8月を除く毎月17日13時から観音講を行っています。ここのところコロナ禍で縮小気味でしたが、4月17日は大勢の方を迎え、久しぶりににぎやかな観音講をお勤めすることができました。

法源寺は、富士富士宮地区にまたがる横道観音霊場の第二十六番札所として千手観音菩薩を位牌堂に安置しています。そういったご縁もあり、千手観音の縁日である17日に観音講を行っております。

読経するのは『法華経』の中にある「観世音菩薩普門品第二十五」という一章で、俗に『観音経』と言われています(そのほか、般若心経や念仏もお唱えします)。読経時間は30分程度ですが、木魚をたたき、声を出すことで、実に清々しい、すっきりとした気持ちになれます。これは読経のデトックス効果とでもいうのでしょうか(笑)

※写真は加工してあります

お勤めの後は、書院に移動してお茶の時間。みなさん、いろいろな話題に花を咲かせ、楽しいひと時を過ごしています。この日は、参加した方から、富士市総合文化祭の紹介や、ウクライナ支援チャリティコンサートの案内などもあり、文化や平和についても考える機会をいただきました。

参加者からは「こうやって人と会って話をすると、いろいろな情報が入っていいね」というお声も。コロナ禍で各所でデジタル化が進み、情報伝達ではずいぶん便利な時代になりましたが、交流を深めるという点において、やはり、顔を合わせて一緒にお勤めしたり、お話ししたりすることに勝るものはありません。こうして少しずつ以前の日常が戻っていくことを願っています。

観音講はどなたでもご参加いただけますので、ぜひ一度お参りください。

南無阿弥陀仏

七年に一度の善光寺御開帳

4月11日(月)、岳陽組の団参で信州・善光寺へお参りに行ってきました。善光寺は、天台宗(大勧進)と浄土宗(大本願)の二宗によって守られている寺院で、浄土宗の七大本山の一つとしても知られています。

善光寺の御本尊は、一つの光背の前に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が立ち並ぶ、一光三尊式阿弥陀如来と呼ばれるものですが、秘仏として安置されているため誰も見ることができません。

鎌倉時代にはこの御本尊の身代わりとして、同じ姿の前立本尊(まえだちほんぞん)が造立されましたが、この仏様も普段は一般に公開されていません。七年に一度の御開帳のときだけ前立本尊を本堂に迎え、姿を拝むことができます。

本来は昨年がその七年に一度の年にあたっていたのですが、新型コロナウイルスの感染状況から一年延期となっていました。

そして、この御開帳を目当てに岳陽組では団参を組み、法源寺からは20名の檀信徒の方が住職と一緒に参加しました。

本堂前には回向柱が立ち、白い綱が結ばれています[写真参照]。この綱はたどっていくと、堂内の前立本尊・阿弥陀如来の右手に結ばれています。すなわち、回向柱にふれることで、前立本尊にふれるのと同じ功徳をいただけるというわけです。

善光寺は古典落語の演目「お血脈」にも登場する、極楽往生を目指す人にとっての憧れの聖地です。檀信徒の皆様も、久しぶりのハレの賑わいを感じつつ、阿弥陀仏の功徳にふれることができたことでしょう。

ちなみに、今回の御開帳は例年より期間を1カ月延長し、6月29日(水)まで開催されるようです。「遠くとも一度は参れ善光寺」といわれますので、ぜひこの機会に参詣されてはいかがでしょうか。

南無阿弥陀仏

令和4年春彼岸信行会厳修

3月21日、春彼岸信行会を行いました。本堂内には20名ほどお参りいただいたほか、YouTubeでもライブ配信いたしました(当日の様子は以下のYouTubeからもご覧いただけます)。

オミクロン株のまん延、ロシア軍によるウクライナ侵攻など、昨今の社会情勢は不安を極めています。そこで、回向では、「祝聖文」という以下の偈文もお読みし、念仏の功徳を世界平和のためにふり向けました。

天下(てんげ)和順(わじゅん) 日月(にちがつ)清明(しょうみょう) 風雨以(ふううい)() 災厲不起(さいれいふき)

国富(こくぶ)民安(みんなん) 兵戈(ひょうが)無用(むゆう) 崇徳(しゅうとく)(こう)(にん) 務修(むしゅ)禮譲(らいじょう)

この偈文は、『無量寿経』の中に出てくる一節で、その意味は、「天下は泰平となり、太陽も月も清らかに輝き、時季よく雨が降り風が吹き、災害や疫病も起こらない。国は豊かに栄え、民の暮らしは安らかとなり、武力を行使することもない。(人々は)他人の善いところを尊び、互いに思いやりながら、つとめて礼儀正しく振る舞い、また譲り合う」というものです。

念仏の功徳よって、この偈文のような世が実現すれば、みな心穏やかに過ごすことのできることでしょう。まさに、さとりの境地といえますね。

さて、彼岸とは、もともと()(がん)と呼ばれるこの世界から、彼の岸である極楽浄土に生まれ変わりたいと願う信仰実践の期間です。極楽往生の先にはさとりの境地が広がっています。現実世界では、煩悩ばかりでなかなかさとりの境地には至れない私たちです。こんな不安定な世の中だからこそ、お念仏をお唱えして心穏やかに過ごしたいものですね。

南無阿弥陀仏

ジャガイモ植えました!

暑さ寒さも彼岸までといいますが、今年はお彼岸を前にずいぶん暖かくなってきました。おかげで花粉症持ちにはつらい日々です・・・

さて、法源寺農園部の活動も2年目に突入しました。先日は、就労を目指す若者たちと一緒にじゃがいもの植え付けをしました。今年は欲張って畝を増やしましたので、うまくいけば収量も増えるはずです。

農園部の作業は、身体を使う仕事が多いですが、成果が目に見えやすいものでもあります。頑張った分が一目でわかる、というのは作業する側にとっては励みになるものです。

また、大勢で協力して行う作業もあれば、一人で黙々と行う作業があったりと、個々人の向き不向きに合わせて多様なかかわり方ができることも魅力の一つではないかと思います。

もちろん収穫物でどんな料理を作ろうかといった楽しみもあります。

今回植えたのは、定番のメークインと最近人気のキタアカリという品種です。素人だらけの農園活動ですが2年目はどうなることでしょうか?

ジャガイモの成長だけでなく、農作業を通じた若者たちの成長にもご期待下さい。

お不動さん出開帳

この日限定の特別御朱印

3月5日、川崎市等覚院様から不動明王を勧請し、「お不動さん出開帳」を開催いたしました。

等覚院様は天台宗のお寺ですが、副住職の中島光信師が当山副住職と大学院時代の同級生だったご縁によって、このたび「出開帳」の運びとなりました。

聞けば等覚院様ではこの厨子に入ったお不動さんを地域の方々が順にお祀りし、近隣の方々とお参りするという、「不動尊御巡行」の信仰があるそうです。記録を紐解けば、江戸時代からこの御巡行が行われていたそうで、以前は渋谷の方までお出かけになったこともあるのだとか。このたび、初めて箱根の関所を越え、富士にやってきました。

当日は、天台宗のお経や浄土宗のお経をお唱えしたほか、不動明王のご利益、天台宗の教え、浄土宗の念仏行、阿弥陀様とお不動さんの違いなど対話形式で様々なお話をお聞きすることができました。ご参加された皆様にとっても、学びの多い一日になったと思います。

コロナ禍で遠出がはばかられる時代だからこそ、こうして来て下さる仏様がいて、また新しいご縁が結べるのはありがたいことですね。

ちなみにお不動さんは左手に羂索(けんじゃく)という縄を、右手に倶利伽羅剣(くりからけん)と呼ばれる剣を持っています。この縄で私たちの心の煩悩を引きずり出し、剣で断ち切り、さらに後背の火焔で焼き尽くしてしまうとのこと。迷いや怠けを取り除き、頑張るよう背中を押してくれる仏さまだということです。

ちなみに、阿弥陀様は頑張れない衆生も救ってくださる仏様です(笑)こうして私たちの気持ちや機根(能力)に応じて様々な仏様がいらっしゃって下さるのはありがたいことです。

南無阿弥陀仏

法源寺農園部、2年目始動!!

連日の寒さで億劫になっていましたが、ようやく重い腰をあげて畑を耕しました。昨年から始めた飛び地境内を活用した法源寺農園部もいよいよ2年目です。(昨年の活動はこちらから→農園部の発足ジャガイモの収穫)。

この日も、富士市若者相談窓口「ココ☆カラ」に通う若者たちに手伝ってもらいました。「ココ☆カラ」は、NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡が運営する団体で、ひきこもりや不登校などの生きづらさを抱える若者やそのご家族の支援を行っています。

昨年は、ジャガイモや枝豆、キュウリ、サツマイモなど、初心者にしては上出来ではないかと思えるほどの収穫を楽しめました(写真参照)。


野菜がちゃんと育つためには、根がしっかり張らなければいけません。根が張るためには、土をしっかり耕して、土を豊かにしておく必要があります。というわけで、今年もいっぱい育つよう、まずは土づくりです。

なんと、今年は、農家の檀家さんから耕運機もお借りしました!
ちょっと本格的になってきましたので、つい欲張って畑を広げてしまいました(笑)これが吉と出るか凶と出るか…。合間の草取りが大変になるかもしれませんが、今年も若者たちと一緒に野菜を育てていきたいと思います。

畑仕事はみんなで力を合わせてする作業があったり、一人で黙々とする作業があったり、参加する人の得意不得意に合わせて役割や居場所がある素敵な場です。多くの方に訪れていただきたいと思います。

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