【7月の言葉】思い 思われ 手を合わす

私たちが手を合わせ、極楽浄土の阿弥陀さまや
ご先祖さまを思うとき、その方々も私たちを思ってくださるのです。
When you place your palms together and think of those who have passed, they are watching over you.
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浄土宗月訓カレンダーの7月の言葉。
字は大本山善導寺第68世法主日下部匡信台下の揮ごうです。
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「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。

「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。

「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。

これは大正時代末期から昭和初期にかけて活躍した童謡詩人、金子みすゞの詩「こだまでしょうか」の前半です。東日本大震災の後、テレビで繰り返し流れていたのでそれを覚えている方もいらっしゃるでしょう。
この詩はこう続きます。

そうして、あとで
さみしくなって、

「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

こだまでしょうか、
いいえ、誰でも。

思えば思われるという言葉がありますが、優しい言葉をかければ優しい言葉が返ってくる、冷たい態度を示せば冷たい態度が返ってくる、そうした人と人との関係性を描いた詩です。

法然上人が師と仰いだ唐の善導大師は『観無量寿経疏』の中で、「彼此の三業あい捨離せず」(彼此三業不相捨離)と言っています。

彼(ひ)とは阿弥陀如来のこと、此(し)とは我々のこと、三業とは身体、言葉、心の三つの行いのことを言います。つまり、私たちの行いや言葉、思いを見聞きし受け止めており、我々が阿弥陀仏のことを想い続ければ、阿弥陀仏もまた私たちのことを想い続けてくださるということです。

これは単なる比喩ではありません。

私たちがお念仏を称え、阿弥陀仏を想うとき、その声は空に消えるのではなく、必ず聞き届けられ、応えてくださいます。呼べば、必ず返ってくる。それは、ご先祖との関係にも通じるものです。

お盆に手を合わせ、亡き人の名を呼ぶとき、返事は聞こえません。けれども、こだまが山に向かって放った声を必ず返すように、その思いは一方通行では終わりません。極楽浄土からご先祖もまた、こちらを見つめ、私たちのことを想ってくださっています。

「もう会えないから」と心を閉ざしてしまえば、その思いもそこで止まってしまいます。しかし、手を合わせ、語りかけ続ける限り、その思いは必ず届き、そしてまた返ってくるのです。

思い 思われ 手を合わす

呼べば応え、想えば想われる。それは阿弥陀さまとの関係であり、ご先祖との関係でもあります。7月に入り、当山でもそろそろお盆の準備が始まります。思うだけでなく手を合わすという行為を、手を合わすだけでなく思いを込めるという意識を大切にお過ごしいただければ幸いです。

南無阿弥陀仏

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