七年に一度の善光寺御開帳

4月11日(月)、岳陽組の団参で信州・善光寺へお参りに行ってきました。善光寺は、天台宗(大勧進)と浄土宗(大本願)の二宗によって守られている寺院で、浄土宗の七大本山の一つとしても知られています。

善光寺の御本尊は、一つの光背の前に阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が立ち並ぶ、一光三尊式阿弥陀如来と呼ばれるものですが、秘仏として安置されているため誰も見ることができません。

鎌倉時代にはこの御本尊の身代わりとして、同じ姿の前立本尊(まえだちほんぞん)が造立されましたが、この仏様も普段は一般に公開されていません。七年に一度の御開帳のときだけ前立本尊を本堂に迎え、姿を拝むことができます。

本来は昨年がその七年に一度の年にあたっていたのですが、新型コロナウイルスの感染状況から一年延期となっていました。

そして、この御開帳を目当てに岳陽組では団参を組み、法源寺からは20名の檀信徒の方が住職と一緒に参加しました。

本堂前には回向柱が立ち、白い綱が結ばれています[写真参照]。この綱はたどっていくと、堂内の前立本尊・阿弥陀如来の右手に結ばれています。すなわち、回向柱にふれることで、前立本尊にふれるのと同じ功徳をいただけるというわけです。

善光寺は古典落語の演目「お血脈」にも登場する、極楽往生を目指す人にとっての憧れの聖地です。檀信徒の皆様も、久しぶりのハレの賑わいを感じつつ、阿弥陀仏の功徳にふれることができたことでしょう。

ちなみに、今回の御開帳は例年より期間を1カ月延長し、6月29日(水)まで開催されるようです。「遠くとも一度は参れ善光寺」といわれますので、ぜひこの機会に参詣されてはいかがでしょうか。

南無阿弥陀仏

令和4年春彼岸信行会厳修

3月21日、春彼岸信行会を行いました。本堂内には20名ほどお参りいただいたほか、YouTubeでもライブ配信いたしました(当日の様子は以下のYouTubeからもご覧いただけます)。

オミクロン株のまん延、ロシア軍によるウクライナ侵攻など、昨今の社会情勢は不安を極めています。そこで、回向では、「祝聖文」という以下の偈文もお読みし、念仏の功徳を世界平和のためにふり向けました。

天下(てんげ)和順(わじゅん) 日月(にちがつ)清明(しょうみょう) 風雨以(ふううい)() 災厲不起(さいれいふき)

国富(こくぶ)民安(みんなん) 兵戈(ひょうが)無用(むゆう) 崇徳(しゅうとく)(こう)(にん) 務修(むしゅ)禮譲(らいじょう)

この偈文は、『無量寿経』の中に出てくる一節で、その意味は、「天下は泰平となり、太陽も月も清らかに輝き、時季よく雨が降り風が吹き、災害や疫病も起こらない。国は豊かに栄え、民の暮らしは安らかとなり、武力を行使することもない。(人々は)他人の善いところを尊び、互いに思いやりながら、つとめて礼儀正しく振る舞い、また譲り合う」というものです。

念仏の功徳よって、この偈文のような世が実現すれば、みな心穏やかに過ごすことのできることでしょう。まさに、さとりの境地といえますね。

さて、彼岸とは、もともと()(がん)と呼ばれるこの世界から、彼の岸である極楽浄土に生まれ変わりたいと願う信仰実践の期間です。極楽往生の先にはさとりの境地が広がっています。現実世界では、煩悩ばかりでなかなかさとりの境地には至れない私たちです。こんな不安定な世の中だからこそ、お念仏をお唱えして心穏やかに過ごしたいものですね。

南無阿弥陀仏

ジャガイモ植えました!

暑さ寒さも彼岸までといいますが、今年はお彼岸を前にずいぶん暖かくなってきました。おかげで花粉症持ちにはつらい日々です・・・

さて、法源寺農園部の活動も2年目に突入しました。先日は、就労を目指す若者たちと一緒にじゃがいもの植え付けをしました。今年は欲張って畝を増やしましたので、うまくいけば収量も増えるはずです。

農園部の作業は、身体を使う仕事が多いですが、成果が目に見えやすいものでもあります。頑張った分が一目でわかる、というのは作業する側にとっては励みになるものです。

また、大勢で協力して行う作業もあれば、一人で黙々と行う作業があったりと、個々人の向き不向きに合わせて多様なかかわり方ができることも魅力の一つではないかと思います。

もちろん収穫物でどんな料理を作ろうかといった楽しみもあります。

今回植えたのは、定番のメークインと最近人気のキタアカリという品種です。素人だらけの農園活動ですが2年目はどうなることでしょうか?

ジャガイモの成長だけでなく、農作業を通じた若者たちの成長にもご期待下さい。

お不動さん出開帳

この日限定の特別御朱印

3月5日、川崎市等覚院様から不動明王を勧請し、「お不動さん出開帳」を開催いたしました。

等覚院様は天台宗のお寺ですが、副住職の中島光信師が当山副住職と大学院時代の同級生だったご縁によって、このたび「出開帳」の運びとなりました。

聞けば等覚院様ではこの厨子に入ったお不動さんを地域の方々が順にお祀りし、近隣の方々とお参りするという、「不動尊御巡行」の信仰があるそうです。記録を紐解けば、江戸時代からこの御巡行が行われていたそうで、以前は渋谷の方までお出かけになったこともあるのだとか。このたび、初めて箱根の関所を越え、富士にやってきました。

当日は、天台宗のお経や浄土宗のお経をお唱えしたほか、不動明王のご利益、天台宗の教え、浄土宗の念仏行、阿弥陀様とお不動さんの違いなど対話形式で様々なお話をお聞きすることができました。ご参加された皆様にとっても、学びの多い一日になったと思います。

コロナ禍で遠出がはばかられる時代だからこそ、こうして来て下さる仏様がいて、また新しいご縁が結べるのはありがたいことですね。

ちなみにお不動さんは左手に羂索(けんじゃく)という縄を、右手に倶利伽羅剣(くりからけん)と呼ばれる剣を持っています。この縄で私たちの心の煩悩を引きずり出し、剣で断ち切り、さらに後背の火焔で焼き尽くしてしまうとのこと。迷いや怠けを取り除き、頑張るよう背中を押してくれる仏さまだということです。

ちなみに、阿弥陀様は頑張れない衆生も救ってくださる仏様です(笑)こうして私たちの気持ちや機根(能力)に応じて様々な仏様がいらっしゃって下さるのはありがたいことです。

南無阿弥陀仏

法源寺農園部、2年目始動!!

連日の寒さで億劫になっていましたが、ようやく重い腰をあげて畑を耕しました。昨年から始めた飛び地境内を活用した法源寺農園部もいよいよ2年目です。(昨年の活動はこちらから→農園部の発足ジャガイモの収穫)。

この日も、富士市若者相談窓口「ココ☆カラ」に通う若者たちに手伝ってもらいました。「ココ☆カラ」は、NPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡が運営する団体で、ひきこもりや不登校などの生きづらさを抱える若者やそのご家族の支援を行っています。

昨年は、ジャガイモや枝豆、キュウリ、サツマイモなど、初心者にしては上出来ではないかと思えるほどの収穫を楽しめました(写真参照)。


野菜がちゃんと育つためには、根がしっかり張らなければいけません。根が張るためには、土をしっかり耕して、土を豊かにしておく必要があります。というわけで、今年もいっぱい育つよう、まずは土づくりです。

なんと、今年は、農家の檀家さんから耕運機もお借りしました!
ちょっと本格的になってきましたので、つい欲張って畑を広げてしまいました(笑)これが吉と出るか凶と出るか…。合間の草取りが大変になるかもしれませんが、今年も若者たちと一緒に野菜を育てていきたいと思います。

畑仕事はみんなで力を合わせてする作業があったり、一人で黙々とする作業があったり、参加する人の得意不得意に合わせて役割や居場所がある素敵な場です。多くの方に訪れていただきたいと思います。

涅槃図公開中(2月中のみ)

当山には代々寺宝として伝わる涅槃図(ねはんず)があります。

涅槃図とは、お釈迦様が亡くなられた時の様子を描いた絵のことで、そこには今日の風習にも通じるものが多くあります。
例えば、涅槃図でお釈迦様は頭を北に顔を西に向け横たわっていますが、そのお姿から、人が亡くなると北枕にするという風習が生まれました。

法源寺に伝わる涅槃図は、弘化4年に当時の檀信徒の寄進によって収められたもので、高さは3メートルにも及ぶでしょうか。写真のとおりずいぶん大きな掛け軸です。
弘化4年といえば、西暦1847年です。ペリーが黒船に乗って浦賀沖に現れたのが1853年ですから、それよりも6年前に作られた一幅ということになります。裏には寄進した方のお名前も残されています。幕末期の涅槃図という歴史的な価値もさることながら、こうして檀信徒の想いが込められ、代々受け継がれてきたことこそが、お寺にとっては大きな宝だと感じています。

現在、涅槃図は法源寺本堂にて公開中です(2月28日まで)。2月15日(火)13時には、お釈迦様のご遺徳をしのぶ涅槃会も行われます。住職から絵解き(涅槃図の解説)もあると思いますので、ぜひお寺に足を運び、この機会に大きな涅槃図をご覧ください。

南無阿弥陀仏

お不動さんがやって来る!

みなさんは「出開帳」(でがいちょう)という言葉を耳にしたことはありますか?

出開帳とは、仏教寺院で厨子等に収められている仏像を他の土地に出張し、拝観できるようお祀りすることで、江戸時代には、成田・新勝寺の不動明王、嵯峨・清凉寺の釈迦如来、信州・善光寺の阿弥陀如来などが江戸で人気を博したといわれています。

さて、このたびご縁をいただき、関東三十六不動霊場第六番札所である神奈川県川崎市の天台宗・等覚院様から、お不動さん(不動明王)をお招きすることとなりました。

等覚院様では、毎年四月、五月に、厨子に入った不動明王像を、地域住民で持ちまわる風習があります。お宿(会場)と世話人(受け入れ人)を記した等覚院所蔵の『不動明王御巡行記』には、江戸時代の巡行の記録も残っています。世話人としてお不動さんを受けた住民は、自宅に安置し、その間地域の人々が、宿となった方の家へお参りに来ることで、多くの方が仏縁を結ぶことができるというものです。
過去の記録には、渋谷の方までお出かけされたことが記されていますが、今回、お不動さんは遠く名古屋まで巡行されるとのこと。なんと、箱根の関所を越えるのは初めてのようです。

その巡行にあたって法源寺にもお立ち寄りいただき、檀信徒や地域の皆様にぜひご覧いただこうと「お不動さん出開帳」というイベントを企画いたしました。

等覚院様は天台宗のご寺院です。法然上人は浄土宗を開かれる前に、比叡山で天台教学を学びました。実は、鎌倉仏教と呼ばれる宗派の多くの祖師達は比叡山で学んでいます。まさに日本仏教の母なる山といってよいでしょう。天台宗の教えについてもお話が伺えるかもしれません。なお、当日はこの日だけの特別御朱印(二枚一組)も用意いたしますので、ぜひご縁を結びに足をお運びください。

イベント詳細は以下の通りです(新型コロナの感染状況によって中止となることがあります)。

お不動さん出開帳

令和4年3月5日(土)14:00-16:00

参加無料(どなたでもご自由にお参りください)

< タイムスケジュール >

13:30 受付        
14:00 ご挨拶・天台宗のお経
14:20 不動明王の解説   
15:00 自由参拝・御朱印頒布
15:45 浄土宗のお経・ご挨拶
16:00 閉会    
    

※御朱印を希望される方は千円のご志納をお願いいたします。

お不動さんは、除災招福・病気平癒・疫病退散・身体健全といったご利益があります。大難を小難に、小難を無難に、みなさまの厄をきっとお祓いくださることでしょう。コロナ禍で遠出することが難しい中、仏様の方からお越しくださいますので、ぜひともこの機会にご縁を結んでいただけましたら幸いです。

人の世は…

一昨年から私たちの生活は新型コロナウイルスに翻弄されています。
ワクチンが接種されるようになって、いくぶん収束するかと思ったら、今度はオミクロン株。重症化率は低いものの感染力は強く、あっという間に市井に広がってしまいました。
静岡県内でもあれよあれよという間に1000人を超える感染者数を記録しています。

あぁ、もう少しで「日常」が戻ったのに・・・

友人と集まって酒を酌み交わすことができたのに・・・

家族と一緒に遠くへ出かけることができたのに・・・

期待が裏切られたときほど人は落胆するものです。
でも、あせらず、あわてず、あきらめずに日々を送りましょう。
「こうあって欲しい」「こうありたい」という思いは、時として執着(しゅうじゃく)につながります。お釈迦様はこの執着こそが苦の原因なんだとおっしゃいます。

思った通りに行かないのが人の世です。
いずれ来る春に備えて、今はゆっくり足元を固める時期なのかもしれません。

「あわてない、あわてない、ひとやすみ、ひとやすみ」

一休さんも言っていますよ(笑)

おかげさまの心で

今年も残すところあとわずか。やり残したことはありませんか?

年末はお盆に次いで多くの方がお墓参りに訪れます。帰省とも重なるからでしょうか。一年の終わりを迎えるにあたって、先祖が眠るお墓を掃除し、手を合わせる方が多くいらっしゃいます。

今年もコロナに翻弄された一年でしたが、その中で少しずつできることも増えてきました。
当山でも、彼岸お盆、さらには十夜法要をオンラインで配信したり、秋にはおてつぎ信行奉仕団として京都・知恩院を皆さんと一緒に参拝したり、新たな挑戦や、活動の再開の目途が立ちつつある一年となりました。また地域活動としては、ひきこもりの若者を支援するNPO法人青少年就労支援ネットワーク静岡さんとつながり、法源寺農園部の活動が始まったり、ダンスワークショップを行ったりと、寺院としての可能性も広がったように思います。

それもこれも陰日向に支えて下さる、檀信徒の皆様、地域の皆様あってのことでしょう。あらためて御礼申し上げます。

さて、仏教、とくに浄土教では「他力」の教えを説きます。これは自分の力だけでさとりを得ることができない私たちは、仏の力によって極楽に往生し、そこでさとりをひらくことができるというものです。この仏の力を他力といいます。ですが、一般的には「他人の力」「他人まかせ」といいような意味合いで使われることも多いですね。

いつだったか、仏様の力についてこんなお話を読んだことがあります。

仏様は荷車を後ろから押してくれる、そんな見えない力をくださるものなんだ

荷車は人が引っ張って前に進むものです。平坦な道はいいですが、上り坂は大変です。そんな時、後ろから押してくれる人がいたらどんなに助かることでしょう。でも、後ろから押す人は荷車を引く人からは見えません。ひょっとしたら自分自身の力でその坂を上ったと思うかもしれません。長い道のりを一人の力で歩き通したと思うかもしれません。

これと同じで私たちが今日ここまで歩いてきた道のりは、見えない、意識もしなかった誰かの助けによって歩いてこれた道のりなのかもしれません。自力でやり遂げたと思っていることの陰に他力のはたらきがあるかもしれません。だからこそ、見えないものにこそ感謝の気持ちを振り向け、おかげさまの心を持ちたいものです。

感謝の気持ちはカタチにしましょう。亡くなられた方には、花を手向け、手を合わせてください。今生きている人には、「ありがとう」と言葉にして伝えましょう。

今年もあとわずかですがまだカタチにする時間は残っています。一年を無事過ごせた喜びと感謝の気持ちを備えて、よいお年をお迎えください。

南無阿弥陀仏

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